第2話 灰色の高校生活と一人ぼっちな白兎さん
「この動画観てみ。ぜってぇウケるから」
「え~、ホントっすか」
「って、エッチな動画じゃん!」」
「もう、一陽君ったら~」
「ギャハハッ!」
うるさいな……
俺は突っ伏した机から首をもたげるようにして、騒音の元へ目をチラリと向けた。
夏休み明けの教室で、久しぶりに会うクラスメイトたちとの近況報告に花を咲かせるのだから、多少騒々しくなるのは当然なのだろうが……それにしたって少々バカ騒ぎが過ぎる。
この1年4組の1軍様たち御一行の声がデカすぎて、他のクラスメイトたちは相対的にヒソヒソ声のようにして会話をしている。
まるで、1軍グループの数名のために、クラスのその他大勢が気を使っているという図式だ。
けど、案外社会も同じような構図だから、社会に出る前の訓練所たる高等教育機関としては、社会や準拠集団での立ち居振る舞いを学べるという意味では意義があるのかも。
そりゃ、気を使ってもらえる側の人間としては、さぞや気分が良いだろうさ。
けど、それ以外だった側は……
「よ~、本牧~。夏休みはどうだったよ? 気持ちいい想い出とか出来たかよ?」
詮無き事を考えていたら、いつのまにかこちらの席に唐突に声を掛けられつつ背中を叩かれ、ビクッと身体を震わせた。
「あ、沼間君久しぶり。ううん、見ての通り何にも変わってないよ~。夏休み中はバイト三昧だった」
俺は作り笑いでヘラヘラしながら、このクラスの1軍リーダーである沼間一陽の問いかけに答えた。
ヘラヘラ笑いながらとは言っても、相手を小バカにしているように捉えられないように、卑屈さを醸し出したような笑い方を心掛ける。
こういう所で、ダンスショーの際の表情管理のテクニックが活かされているのは複雑な気分だ。
「ん~だよ。俺と一緒の “陽” の漢字が入ったっていうか、まんまな名前の癖に、しみったれてんな~」
「アハハ……だねぇ~」
「俺なんかこの間よ~」
俺と1軍リーダー様は、下の名前に陽気の陽の字が入っている。
高校に入学してこのクラスになって間もなくの頃から、こすり倒されてきたネタだ。
こすり倒されて最早、ネタの鮮度としてはとうの昔に擦り切れていると思うのだが、当の1軍リーダー様がこのネタと、自身の自慢話をする導入としてお気に入りのため、周りが付き合って愛想笑いを浮かべるのだ。
俺の名前を小馬鹿にして、それに引き換えこの俺はという風に、この夏休みに自分が如何に充実していたかという心底どうでも良い話を、さも興味がありますという風に笑顔を貼り付けて「うんうん」と相槌を返す。
最初は、人の名前を茶化してくることに、当然、俺も悪感情を抱いた。
だが、既にクラス内の地位を固めつつあった1軍リーダー様に反抗的な態度を取ることは、灰色な高校生活を更に漆黒に染め上げる事になる。
頭の中では高校なんて辞めたいと思っていながら、結局俺は自身をピエロに仕立てて、為政者から幾ばくかの慈悲を貰う道を選んだ。
結果、俺の高校生活は実に平穏に、そして相変わらず灰色な物となった。
「一陽、そう言えば、化学の夏休みの宿題プリントやってないって言ってなかったか?」
「お、そうそう! 途中まではやったんだけどよ~」
「じゃあ、俺のやったプリントを一陽の名前で提出しとくから、一陽のプリントちょうだい」
「マジか⁉ 竜司マジで神‼ あんがと!」
「今度、ジュースでも奢れよ」
ひとしきり1軍リーダー様の夏休みの武勇伝の話が終わったタイミングで、1軍リーダー様のブレーンで補佐官である、滝本竜司が声を掛けてきた。
1軍リーダー様は、ドカドカと騒がしい足音を立てながら、メタルフレームのメガネをかけた理知的な見た目の滝本くんの元へ駆け寄っていく。
2人が話している内容はもろに不正なのだが、1軍リーダー様と滝本くんはその事を意に介している様子はない。
特に口止めをしなくても、この事を教師に告げ口をしたらどんな事になるのか、俺を含めた皆が知っているのだから……
1軍リーダー様が自分の所から去って、ホッと息を吐きだすと同時に、俺は反抗した者のなれの果てへ視線を移した。
(てっきり、夏休み明けに学校に来ないんじゃないかと思ってたんだけどな……)
俺はそんな事を思いながら、彼女の横顔を盗み見た。
窓際の一番前の席に座る彼女、白兎紫野さんは、一学期の頃と変わらぬ様子で、窓の外を眺めていた。
薄紫色のロングの髪がわずかに、窓から教室に通り抜ける風でなびく。
夏休み明けだが、白兎の姓のとおりに白く透き通った肌には日焼けの痕はない。
夏休み明けで、まだまだ暑い季節なのに長袖のブラウスを着ていることが華奢な印象を強調するが、ややつり目な眼力からは意志の強さを表している。
「おっす~、久しぶりだな陽」
「わっ! びっくりした。明浩か」
ポケーッとしていた所を急に声を掛けられて、驚いて思わず椅子から飛び跳ねるように腰を上げてしまう所だった。
「おいおい、夏休み中に唯一の友達のことを忘れんじゃねぇよ」
そう言って、中学からの友人である楠明浩が、俺の後ろの席に着席する。
「唯一じゃないし。ちゃんと……」
俺にはちゃんとラビットマウンテンに友人が……あれ? 雷蔵さんは後輩で、有希お姉さん達は、年齢的にもお姉さんなので友人と言うのは憚られるし……
「今、色々頭の中スキャンして該当者ゼロだったんだろ」
「人の心を勝手に読むな!」
気心の知れた相手ゆえ、先ほどの1軍リーダー様との邂逅とは打って変わって、リラックスして話せる。
「はいはい。で、陽は誰をボケーッと眺めてたのかな? んー? ほほう」
「な、なんだよ……」
俺の視線の先を見て、明浩が得心顔で頷く。
「いや、お前さんも好きもんだなって」
「別に俺は……」
「いや、お前はほんと兎が好きだな。流石はラビットマウンテンの重度オタク」
「だから違うっての。白兎さんは関係ないってば」
「まぁ、彼女は止めとけ」
突然、茶化したトーンから明浩がマジトーンに声を落とした。
「彼女、よく学校来たよな」
「だな……俺なら登校拒否するか学校辞めちゃうわ」
俺と明浩はそう言いながら、またチラリと彼女の、素知らぬ顔をした横顔を盗み見た
夏休みに入る1ケ月前。
突如、クラスのグループチャットに1軍リーダーの一陽くんからメッセージが飛んできた。
『白兎紫野は、本日付けをもって無き者として扱え』
たった一文の命令文で、経緯や理由が何も記載されていないことが、逆に1軍リーダー様の激しい怒りが垣間見えた気がした。
そして、半強制的に全員参加をさせられているグループチャットの参加人数が、すでに1人減っていることに俺たち下々の者たちは恐怖した。
白兎さんはその美貌から、入学当初から1軍のメンバーで、リーダー様の一陽君が熱を上げているのが傍目からも解った。
それなのに、あの通達から、一陽君は一切白兎さんに近づこうとしなくなった。
1軍メンバーの内紛と脱落劇に際し、様々な憶測がクラス内に留まらず、学校中を飛び交った。
男女の痴情のもつれが原因ではという説が有力だったが、真実を知っているはずの1軍メンバーたちが、この件に関しては貝のように口を閉ざしていた。
そして、彼女は一人になった。
クラス内では完全に孤立。
彼女の声を聞くことが出来るのは、授業中に教師に当てられて発言する時だけだった。
中には、これをチャンスとばかりに彼女に近寄ってくる、ヒエラルキー高めな男の先輩がもいたが、
「興味ありません。私に話しかけないでください」
と、彼女の丁寧語だけれど冷たい声で断るのが常だった。
「せっかく保護してやろうと思ったのによ!」
と、顔を潰された先輩は捨て台詞を残して彼女のもとを去って行った。
誰も近づけようとしない彼女には、やがて本当に誰も近づかなくなった。
この彼女の態度に対し、俺たちクラスの下々の者たちは、正直安堵してしまった。
理由も解らずに、1軍からの命令で無視させられている彼女への罪悪感を感じる機会が減ったからだ。
彼女自身が人を遠ざけているのだから仕方がないと。
彼女は無視をされるようになってからも、学校を休んだり遅刻すらせずに1学期を乗り切った。
でも、今日からまた学校が始まる。
彼女は今、静かな顔をしているが、心の内は今どうなっているのだろう。
「彼女、俺や陽みたいに学校の外に属してるコミュニティや準拠集団でもあるのかな?」
明浩もやはり気がかりではあるようで、何とはなしに呟いた。
「明浩は今年は昇段できそうなの?」
「今期は既に昇段の目は無いな。地獄の三段リーグはやっぱりキッツイわ」
明浩はプロの将棋棋士を目指していて、現在、将棋連盟の奨励会に通っていて、高校1年生にして、すでにプロ棋士が目前の所まで来ている。
「大変だな」
「陽の方が先にプロになっちゃったもんな。ダンサーの事務所と契約してさ」
「ちょ、明浩! その事は学校で秘密にしてるんだから、あまり大きな声で言うな」
慌てて明浩の口を手で塞ぎながら、俺は抗議の声をあげた。
「おっと、そうだった悪い悪い。けど、そこまで秘密にせにゃならんことかね? プロのダンサーだって言えば、学校の女子にモテそうだけど」
「ラビフェスのダンスのお兄さんであることは、契約上、ダンサーのキャリアとして明かしちゃいけない取り決めになってるんだよ」
ラビットマウンテンとの契約で、自身のSNSやダンサー事務所ホームページの経歴欄に、ラビフェスのダンスのお兄さんお姉さんをやっている事を記載することが出来ない。
これは、ダンスのお兄さんお姉さんはあくまで夢の国のキャスト、いわば裏方であり、あくまで主役はラビットマウンテンのキャラクターたちだという考え方に基づくものだ。
俺達自身がショーのノイズになってしまうのは本意ではないので、こちらとしても納得済みな扱いだ。
「でも、ダンスのお姉さんたちは思いっきり名前もSNSも特定されてるじゃん」
「それは、大きなお友達なファンたちが熱意を以って勝手に特定してるだけだ」
ネットの特定班が、昔のミュージックビデオやミュージカルの映像などを掘り起こし、ダンスのお姉さん達は大体素性が割れてしまっている。
まぁ、あくまで言っちゃいけないのはラビフェスのダンスのお姉さんをしている旨をSNSや事務所のホームページに記載してはならないという意味であって、SNS自体が禁止されてる訳ではない。
他の仕事の来歴についてまでは契約による制限の範囲外だからね。
ただ、自分から大っぴらにラビフェスのダンスのお姉さんだ、だったという経歴を自身のキャリアの宣伝には使えないという主旨なのだ。
「陽はネットにまとめ記事とか無いよな」
「お兄さんファンなんていないんだよ」
悲しいかな、それが現実だ。
ショーの切り抜き動画がネットに上がっていたりするが、大体はお姉さんにフォーカスされてて、お兄さんの方は碌に映っちゃいないのがほとんどだ。
「たしかに学校でもバレてないな」
「別に俺はラビフェスで踊れれば満足だから」
アイドルみたいに有名になりたいなんて思ってはいない。
俺の望みは、幼少の頃からの夢だった、このステージに立って、お客様たちに元気を与える事だ。
そして、俺の姿を見てダンサーの道を志す子がいてくれたら、まさしく言う事なしだ。
「話が脱線してきたな。白兎嬢についての話だったよな」
「そうだったね。明浩には将棋がある。俺にはダンスのステージがある。けど、彼女にはそういった、自分の居場所が学校外にあるのかな……」
俺と明浩は幸いなことに、学校外の世界がある事と、学校外には大きな世界が広がっていることを知っている。
最悪、高校が嫌になったら辞めてしまっても良いと考えもしている。
俺と明浩がよくつるんでいるのは、同じ中学出身である事以上に、特殊な個人事情が奇跡的に似通っている点にあるのだろう。
俺と明浩は、そういった余裕があるからこそ、1軍様たちのことに対して、ある程度の余裕をもって接することが出来ている。
「もしそういった他の居場所もなく、学校だけが世界の全てだったら、お前だったらどうする?」
「…………」
明浩のしてきた問いかけは、想像するだけで恐ろしく、俺は答えを返すことが出来なかった。