第18話 文化祭の青春と言えばクラスTシャツ
「んあ~、空が青いぜ」
俺は、いつもの旧校舎の屋上で背中を伸ばしながら天を仰ぎ見る。
空は何なら少し曇っているが、開放感から来る爽快感から、実質青空みたいなもんである。
「ああ……もう、エナジードリンクをチャンポン飲みして眠気と戦いながら、パソコンの動画編集ソフトと格闘する必要は無いんだな……」
俺の横で、しみじみとしている明浩の目の下にはクマが出来ている。
「2人共、ダンス動画の編集お疲れさまでした。これ、ほうじ茶です」
「「ありがと~」」
9月も半ばを過ぎ、ようやくしつこい夏日が終わってくれると、途端にこういう温かいお茶が欲しくなる。
徹夜つづきで疲れた胃に染みわたる……
「動画編集って、凝り出すと、とんでもなく手間がかかるのな……」
「調子に乗って、各ポジション別と、歌詞無しバージョンも作ったりしてて、最後の方は今、自分が何のバージョンを作ってるのか解らなくなってた……」
「私とムラサキで、ちゃんと全てのバージョンが揃っているか確認してアップしたので安心してください、本牧コーチ、楠三段」
「篠田先輩。私をムラサキって呼ぶの、いい加減止めてください」
「まぁ教習動画のためにダンスの練習は頑張ってたけど、所詮1曲だけだから、まだまだね」
「く……」
白兎さんと恵梨子のじゃれ合いを眺めて、ようやく日常が戻ってきたことを感じる。
「Bチームの様子はどうです?」
「Sugarも百花繚乱も順調ですよ。元々、適性を見た上で本牧コーチが振り分けてくださっていましたし。動きが硬い子も、Sugarのカクつかせた方が格好良い曲にはぴったりで、踊ってる様子をスマホの動画で撮って観て、自分がこんな風に踊れるんだって驚いていました」
「自信が付けば、ステージでより堂々と大きく表現できるしね。好循環の波に乗れて良かった」
これなら、文化祭当日は大丈夫そうだ。
「もっと詳しくBチームの子たちの様子を話してあげたいのですが、今日はダンス部の文化祭ステージに関するミーティングがあるので、すいませんが、これで失礼させていただきます」
「ありがとう恵梨子」
「ありがとうございました篠田先輩」
「ありがとうございます篠田部長。あ、お祖父さんとの将棋の指導対局の日程候補日決まったら連絡ください」
「きゃ~‼ 祖父も喜びます。では」
明浩の申し出に恵梨子は喜色満面という感じで、慌ただしくランチミーテイングが行われる学生ホールへ向かっていった。
「篠田先輩、忙しそうでしたね」
「本来は、今が文化祭の直前期で準備のピークなんだよな」
「俺たちは、前準備のダンス教習動画の作成で、準備期間の前半がピークで忙しかったけど、今はヒマだもんな」
屋上から見下ろすと、そこかしこのクラスで文化祭の準備をしているのだろう。
釘を打つ音や、何やら作業について打ち合わせている声などが聞こえてくる。
後は、Bチームの練習次第だが、そこはダンス部部長の恵梨子が練習を見てくれているのだから何の心配もないだろう。
「そういや、Aチームのダンスの出来ははどうなんだろうな?」
「さぁ? 菅原さんっていう、ダンス部の子が仕切ってるみたいだけど」
講師って、結構向き不向きもあるからな。
菅原さんは、ダンスの歴が長い訳でもなさそうだし、そこら辺は未知数だ。
「ま、Aチームの出来については、流石に俺らに責任はねぇから気にしなくていいんじゃないか。これで、俺たちの文化祭は終了、お役御免だな」
「そうだな」
「そうですね」
まだ文化祭は始まってもいないのに、すでに俺たち3人の中では、やりきった感がいっぱいだった。
「動画を作るのは骨が折れたけど、明浩の家に泊まり込みでパソコンで作業したのは、ちょっと特別感があってテンション上がったな。まぁ、2日目からは死にそうだったけど」
「俺のハイスペックパソコンは、本来は将棋の研究用なんだがな」
「代わりに動画編集ソフトは俺の方で用意したんだから良いだろ」
「本当は、私も2人と一緒に泊まり込みで作業したかったのに……2人して私には帰れ帰れって……私、あの時哀しかったんですよ」
思い出し怒りで、白兎さんがむくれながら抗議する。
「いや、白兎さん。あの日は、目をこすりこすりで限界だったじゃない」
「別に、眠くなったらその辺の絨毯の上で寝させてもらえば」
「白兎さん! 君は、色々と自覚を持った方が良い!」
俺は白兎さんの肩をガシッ! と掴み、ちょっと強めに注意する。
「あ……あの……」
突然、俺に肩を掴まれて恥ずかしそうにする白兎さんだが、俺は構わずに話を続ける。
「女の子が、男の家でうたた寝なんて、防犯意識の不足どころか欠如だから! よそで絶対やっちゃ駄目だからね! 世の中には悪い男なんていくらでもいるんだから」
こういうのは、ちゃんと言ってあげないと、何かがあってからでは取り返しがつかないのだ。
「わ、解ってますよ……私だって、誰の前でもああなる訳じゃないんですから……」
「解ってるならいいけど」
「あの……それでその……そろそろ肩を抱くのを解いていただけると……」
俺に両肩を掴まれて逃げられない白兎さんが頬を染めながら顔だけを背けている様子に、俺はようやく今の状況を理解した。
「わわっ! ごめんっ!」
俺はすぐに白兎さんの肩においていた手を引っ込めた。
男の怖さを説いておいて、自分がやらかしていたら世話ない。
「気をつけろよ白兎さん。陽はむっつりだからな」
「何言ってんだ明浩⁉」
「白兎さんを家まで送って俺の家に戻って来た時、やっぱり白兎さんの寝顔見たかったって悶絶してたからな」
「おま⁉ それ言うなよ!」
徹夜明けの謎のテンションの残滓か、明浩の暴露に俺はあたふたする。
口では乙女の貞操の危機がどうのと紳士っぽく説教を垂れておいて、当の本人がこんなんじゃ、白兎さんに嫌われ……
「そうですか……私の寝顔に興味が……それなら良いです」
良いの⁉
まだ顔は赤いけど、白兎さんは何故か嬉しそうだ。
何故許されたのか、さっぱり解らない。
「まぁ、初めての想い出の場所が俺の部屋じゃ後々、後悔するだろうから、我慢して正解だったんじゃね」
「明浩、言い方! さっきからお前、失言のデパートか! もう帰って寝ろ!」
初めてって、文化祭の準備で泊まり込むのがね!
高校生ならではな美しい青春の話だからね!
「へいへい。さーて、帰って少し寝たら将棋の研究しなきゃな」
「悪いな。ここ数日、研究出来てなかったろ」
「ちょうど、今年度の三段リーグの前期と後期の狭間の時期だったから良かったよ。今度、篠田先輩のお祖父さんへの指導対局もあるしな」
「恵梨子には本当にお世話になったからな。よろしくな」
「よろしくお願いします、楠さん」
「おう! じゃあな」
いつも放課後は研究会だ、練習対局だ、で忙しない明浩の日常が戻ってきたって感じだな。
そんな事を、屋上の出口へ向かう明浩の後姿を眺めながらボーッと考えていると、
「きゃっ!」
「おっと!」
屋上出口から、突如小さな悲鳴が上がった。
「あ……」
その悲鳴の元に対して、明浩も戸惑ったような声を上げた。
「どうした⁉ 明浩」
何があったのかと、俺と白兎さんが屋上出口に向かうと、
「あ……あの……」
そこにいたのはクラスメイトの女子だった。
メガネで三つ編みの真面目な学級委員長という雰囲気のこの子は、たしか喜多菫さんだったか。
どうやら明浩とぶつかりかけたようだ。
明浩が、先ほど躊躇したような声を上げたのは、俺たちをシカトしなくてはならないクラスメイトだったので、自分が話しかけて良い物なのかと逡巡したせいだ。
「すいません! ちょっと前からいたんですが、どう声を掛けようかと迷ってたら、楠くんにぶつかりかけちゃって……」
どうやら、屋上の出入口付近でこちらの様子を窺っていたら、ちょうど帰ろうとした明浩とぶつかりかけたようだ。
ここで俺は慌てて屋上から下に降りる階段付近を覗き込んだ。
シカト対象の俺たち3人と喋っている所を見られては、彼女まで標的にされかねないからだ。
「ええと、喜多さんだっけ? 俺たちと喋ってると危ないでしょ。何か用?」
いきなり話しかけてきた喜多さんと周囲を警戒して、明浩は小声で話す。
俺も、喜多さんに何かしらの意図があるのではと疑い注視する。
「あの……その……」
俺と明浩からのプレッシャーに、喜多さんがアワアワして、手に持っている何やら黒い布をギュッと胸に抱き込む。
「楠くん、ちょっと言い方が怖いですよ。本牧くんも睨まないでください」
白兎さんが、俺たちと喜多さんの間に入って俺たちに注意をしてくる。
「ごめん」
「ごめんなさい」
たしかに、女子1人に男子2人が圧をかけるなんて怖いよな。
俺と明浩は反省して下がりながら、素直に謝罪する。
「ここは、私に任せてください。ええと、喜多さんは、確か文化祭Bチームの百花繚乱のセンターでしたよね。ダンスで何か解らない事でもありましたか?」
白兎さんが、まるで保育士さんが園児に話しかけるよう優しい顔と柔らかな声音で、相手の用件を窺う。
その慈愛に満ちた雰囲気に、俺と明浩のせいで固まっていた喜多さんが再起動する。
「いえ、ダンスの事は大丈夫です。篠田部長がきっちり教えてくれてますし、何よりダンスの教習動画が解りやすかったので。白兎さんも本牧くんも凄くダンスが上手でした」
「良かったです。あの動画、皆の役に立ったんですね」
心底嬉しそうという風に顔をほころばせる白兎さんの笑顔がまぶしい。
本当に、文字通り血のにじむような練習を重ねたのだから、白兎さんももっと、自分の努力を誇っていいのに、この子はそういう承認欲求という物が乏しい。
「あの、それで……これ、皆で作ったんです。だから皆さんにもって」
そう言って、喜多さんは先ほどから胸に抱き込んでいた黒い布地を俺たち3人に渡してくる。
「これって……」
「文化祭のクラスTシャツです。当日はこれを着てステージで踊ります」
「え、俺たちの分も? その……大丈夫?」
思わず俺は喜多さんの心配をしてしまう。
「はい。こういった物品購入は私が担当してますから、上手くTシャツの枚数も誤魔化して発注しました」
喜多さんは笑いながら言っているが、これは結構、危険な橋を渡っている。
直情脳筋タイプの沼間君はともかく、1軍ブレーンの滝本君辺りが気付く可能性は高い。
支出額と発注した業者のサイトの見積もりを調べられたら、クラスTシャツを何枚発注したかなんて簡単に解ってしまう。
「そんな無茶を、何で……」
白兎さんも、喜多さんのことを案じてか、心配そうにその真意を訊ねる。
「だって、文化祭で一番頑張った人達に何も残らないなんて間違ってるから……こんな事で、罪滅ぼしになんてならないでしょうけど……」
そう言って、喜多さんは後ろめたさからか、顔を俯かせた。
「そんな事ないです! こうして形に残る物が出来て嬉しいです。クラスのみんなで、という感じではないかもしれませんが、『わたしこの時、頑張ったんだな』って想い出せるきっかけのアイテムになりました。どうもありがとう喜多さん」
白兎さんがまぶしい笑顔で感謝の言葉を告げると、喜多さんの顔にも安堵の感情が挿す。
「あの、明日は実際のステージで予行練習をする日なんです。良ければ、その……観に来てください」
明日が、ステージでの予行練習であることは、恵梨子から聞いていて知っていた。
ただ、俺たち3人は行ったところでステージに上がれない。
文化祭当日はどうするかと3人で話し合った結果、俺たち3人は当日もステージには上がらない事に決めた。
恵梨子からBチームの皆の様子を聞いたり、撮ってくれた動画を観る限りでも、百花繚乱もSugarもかなり完成度が高くなっていた。
そんな良い仕上がりの状態に、今までろくに一緒に練習出来ない俺たちという異物が土壇場で混じると、本番で失敗しかねない。
だから、俺たちは身を引くことに決めた。
それでも、やはり皆の様子が正直気になるというのが本音だ。
「うん、ありがとう。陰からこっそり覗かせてもらいます」
せっかく危険を冒してまで、俺たちに誘いの言葉をかけてくれた喜多さんに報いるために了承の返事をする白兎さんは、とても嬉しそうだった。
クラスTシャツはその後、部活着やパジャマになりがち。
読んでいただきありがとうございます。
ブックマーク、評価もよろしくお願いします。