第15話 ムラサキ
「はぁ~、まさか即日で問題が解決するとはな。すげぇじゃん陽」
「そうなんだよ明浩。色んなまさかが重なってな」
昼休みのいつもの場所に、いつものクラスから総シカトを受けている3人が……と言いたいところだが、今日はもう1人、この旧校舎屋上という人気のない場所での集まりに加わっていた。
「ちょっとムラサキ、邪魔をしないで。本牧コーチにお茶を淹れるのは、教えを受けている私の役目です」
「いえ、年上の先輩にそんな事はさせられませんよ、篠田先輩。ここは、本牧君と同い年で後輩の私がやります。あと、私の名前はムラサキじゃなくて紫野です」
紅茶セットを持ってくるのが見事に被った、白兎さんと恵梨子が、どちらが食後のお茶を淹れるかで小競り合いをしている。
2人共笑顔のままで、お互いのティーセットを掴んで相手の妨害をしている。
「しかし、まさか陽のダンススクールの生徒が、この学校のダンス部の部長さんとはな」
「芸能事務所との契約上の義務的な仕事だと思ってやって来た講師の仕事だけど、おかげでこんな形で助けられるとはね。今度会ったら、事務所のマネージャーにもうちょっと優しくしようかな」
マネージャーには、取ってくる仕事にNGばっかり出して泣かせてるから、今度は、もうちょっと話を聞いてあげようと思いつつ、じゃれ合っている白兎さんと恵梨子を横目に、明浩に昨日の顛末を説明する。
「1年4組からの協力依頼に応じていただいたのは感謝しています。ですが、何で貴方がお昼休みにここに来ているんですか?」
「あら、解らない? じゃあ、はっきり言いましょうか。ムラサキ、貴女のような盛りのついたメスウサギを野放しにするのは危険だからよ」
「盛りのついたって何です‼」
心外という風に、白兎さんが思わず声を荒げる。
「貴女は気付いていなかったでしょうけど、この間、スターライツ附属ダンススクールの見学の時に、私もあのスタジオにいたのよ。そんな薄紫色の髪の子なんて滅多にいないから、学校の1年の子だってすぐに解ったわ。それで、レッスン中にチラチラ見学席を見てみれば、生徒の私たちじゃなくて、ず~~~っと本牧コーチをポーッとした顔で眺めちゃってて」
「な⁉ そ、それは、いつもと違う雰囲気の格好でダンスしてる本牧くんがカッコ良かったからで……」
白兎さんは頬を染めてゴニョゴニョ言った後に、チラッと俺の方を見て、俺と目が合うと慌てて視線を逸らす。
「普通、レッスン見学に来た人は生徒の様子を見たいから来てるのに、貴女は本牧コーチばかり目で追って……それが気になって気になって、貴女の方を睨んでたら、ちゃんと集中しろって私が本牧コーチに怒られたんですからね!」
「いや、そこは余所見ばっかしてた恵梨子が悪いだろ」
割と講師をやってる時はスイッチ入ってるから、そういうのを見つけるとつい指導しちゃうんだよな。
気を抜いてるとケガの元だし。
「先輩なのに下の名前、呼び捨てなのな」
「ダンススクールだと生徒は下の名前呼びが多いんだよ」
「フフフッ。本牧コーチとの付き合いは1年以上ですからね。どっかのムラサキみたいに、たまたま同じクラスになっただけではなく、ダンスという共通の道を志す者としての深い絆がありますから」
「じぇら……」
何だか、さっきから散発的な諍いが、白兎さんと恵梨子の間で起きてるな。
主に、恵梨子がケンカを売る形だけど。
「ただの講師と生徒の間柄で大袈裟だな。白兎さん、気にしないでね」
「つーん……」
「白兎さん?」
「しーん……」
「……?」
「紫野です」
「……? 知ってるよ、白兎さんの下の名前でしょ?」
「そうじゃないです。私のことも紫野って呼んでください! 篠田先輩だけズルいです!」
頬を膨らませて抗議してくる白兎さんが可愛くて、思わず言う事を聞いてあげたくなるのだが、
「ああ、そういう事……けどな~」
歯切れの悪い回答をする俺の様子を見て、途端に白兎さんは心配顔になる。
「え? 駄目……なんですか?」
断られるとは正直思っていなかったのか、白兎さんは今にも泣きそうな顔になっている。
「う~ん……俺の個人的な希望なんだけど、白兎さんって呼びたいんだよね。ほら、俺ラビットマウンテンのファンだから、兎の字が入った、白兎さんの苗字って好きなんだ」
「え……! それは私と同じ苗字になりたいという……」
「白兎陽か。うん、悪くない名前の響きかも」
「きゅ~~!」
「って、白兎さん大丈夫⁉」
後ろにバターンと倒れた白兎さんは意識がおぼろげな状態のようだったが、何故か良い顔をしていた。
とりあえず問題なさそうなので、いつものラビットマウンテンのレジャーシートに寝かせる。
「ムラサキは随分、無理攻めしたのでお眠なようです。ささ、本牧コーチ、今のうちにお茶をどうぞ」
「ああ、いただきます」
ここぞとばかりに、恵梨子が自分の淹れたお茶を手渡してくる。
「楠くんもどうぞ」
「あれ? 俺の名前、なんで知ってるんです? 自己紹介しましたっけ?」
明浩が不思議そうに、恵梨子に訊ねる。
「実は、あの……楠三段、サインください!」
ペンを添えて、恵梨子がサイン色紙をズイッと明浩に突き出す。
「ああ、将棋ファンの方だったんですか」
それでかと、明浩は得心したといった様子でサイン色紙を受け取り、ペンを走らせる。
しかし、恵梨子が将棋ファンだったなんて初めて知った。
「本牧コーチから、同じ無視されているクラスメイトの名前を聞いて、どこかで聞いたことがあるぞと思って、雑誌の将棋ワールド最新号を見たら、三段インタビューのコーナーに掲載されていてビックリしました」
「あ~、あれですか。前期の三段リーグは、特にこれといった活躍もせずだったので、ちと恥ずかしいっすね」
不甲斐ないとか言いつつ、明浩の顔は緩みっぱなしだった。
しかし、一見ギャルの将棋ファンとか、界隈でもかなり貴重なのでは?
「高1で三段リーグまで上がれている時点で凄いですよ。あ、是非サインください!」
「ええ喜んで」
「こっちは恵梨子さんへで、こっちの色紙には泰三さんへでお願いします」
「泰三さんって?」
「私の祖父です。私が将棋を習ったのは祖父からでして。きっと祖父も喜びます」
書いてもらったサインを恵梨子がホクホク顔で眺めつつ、大事にカバンに仕舞う。
明浩って、自分のサインとかあるんだ……
ラビットマウンテンのダンスのお兄さんの肩書は表立って営業活動に使えないから、俺はファンへサインなんてしたことないんだよな。
その点は、ちょっと明浩が羨ましい。
「っていうか、俺にも敬語なんですか?」
「尊敬できる人には、年齢問わずに敬意を払うというのが私の主義です。厳しく勝負の結果が出る世界で戦っている楠三段を尊敬します。私もプロのダンサーを目指しているので、あの……握手してもらって良いですか?」
「ええ。お互い頑張りましょう恵梨子先輩」
「ひゃ~、将来のプロ棋士に先輩って呼ばれちゃった~」
明浩の言葉に、恵梨子が子供のようにはしゃぐ。
何か、それ俺の時にも言っていたな。
年下有能後輩キャラが恵梨子の癖なのだろうか?
ちょっと、ニッチな趣味で解らないな。
それにしても、ファン向き用なのか、明浩も丁寧な対応だ。
まぁ、そもそも恵梨子は3年生で先輩なんだから、本来は丁寧に接しなきゃいけないんだけど、俺と明浩への恭しい恵梨子の態度に、思わず親し気に接してしまい、先輩であることを忘れがちだ。
「ほら、ムラサキ、起きなさい。これからの話をするんだから」
まだ、仰向けで寝転んでいる白兎さんの頭を、恵梨子がベシベシと叩く。
あ、白兎さんだけはそういう扱いなのね。
「さて、ここからはダンス部部長としての話です」
「「「はい」」」
先程の砕けた雰囲気からは一変し、ダンス部を束ねる長としての顔になった恵梨子、もとい、篠田部長が話を切り出したので、俺たちも居住まいを正して聞き入る。
「まず、楽曲を早々に決めて下さい。Bチームで2曲、そして、メンバーをどちらの曲に振り分けるのかも合わせてお願いします」
「楽曲は、もう決めてあります。楽曲はSugarと百花繚乱です」
Sugarは本格派男性ダンスユニットの曲で、百花繚乱は人気女性アイドルグループのデビュー曲だ。
「正反対の曲ですね。Sugarはカチッ! バキッ! とした動きで、百花繚乱はやわらかな動きが特徴ですね」
篠田部長が、何故その選曲なのかという事を聞きたそうだったので、俺は選曲の理由を説明する。
「そう。だから、動きが硬いけどパワーはある人はSugarで、逆に体力に不安がある人は、激しい動きがない百花繚乱っていう風に振り分けた。体育の授業の様子を眺めて振り分けたけど、結果男女別のグループになったね」
昨日、家で事前に作成しておいたSugarと百花繚乱のそれぞれのメンバー表を皆に配る。
選曲とメンバーの振り分けだけは先行して始めていたから、大した手間ではなかった。
「ダンスにも適性ってあるんですね」」
「自分の適性に合った曲の方が上達も早いし、やってて自信が付くからね。初心者の壁は、まず恥ずかしがらずに踊れるかって点だから。そこを超えれば、楽しくなって後は勝手に上手くなっていくから」
白兎さんの疑問に対し、俺は指導者目線での答えを返した。
「なるほどな。まぁ餅は餅屋だから、ここはその案を採用しようや」
明浩も同意してくれたので、この案で行くことになった。
「そう言えば、1年4組のBチームに派遣されるダンス部の人って誰なんです?」
そろそろ昼休みも終わりそうなので、後片付けをしながら白兎さんが訊ねる。
「あ、それはもちろん、わ・た・し です♪」
「「「え⁉」」」
てっきり、ダンス部の2年の先輩辺りが講師として派遣されてくるのかと思っていたので、部長自らの指導と聞いて仰天してしまう。
「大丈夫なんですか? ダンス部も文化祭で舞台公演があるから、そこに全力投球なんじゃ……」
「ああ。私は3年で部長だけど、文化祭での役割としては、当日にセンターで踊る事じゃなくて総監督的な立ち位置で、代替わりする新部長に助言やアドバイスをするって感じなの。言い方は悪いけど、所詮学内でのお祭りごとだしね」
ダンス部の目標は、あくまで全国高校生ダンス大会などの外部の大会での勝利なので、学内の文化祭は、あくまで新戦力が場数を踏む機会としてるのか。
となると、かえって2年生の先輩たちは、自分たちの代の新たな船出ということで文化祭公演に気合が入ってるだろう。
「今の貴方達のクラスの状況じゃ、Bチームは何かしらチョッカイや妨害を受ける。その対象は、場合によっては講師役のダンス部員にも及びかねない」
「……正直、仰る通りだと思います」
情けない話だが。
当然ながら、Bチームがダンス部と渡りをつけてダンス練習の体制を整えたことは、すぐにAチームも知る事となる。
Bチームの面々に口止めしても恐らく無駄だろう。
「それなら、講師役も向こうが手出し出来ない人物でなくてはならない。そう考えたら、部長である私が講師役を引き受けるのが、最適解でしょ」
たしかに1軍メンバー様たちも、流石に3年のダンス部部長という学内屈指の有名人相手に大それたことは出来ないだろう。
ちょっと過剰戦力な気もするけど。
「ありがとうございます篠田部長。正直、こんなに心強い事はありません」
「いいんですよ楠三段。あ、良ければ今度、祖父や私と指導対局していただけるとありがたいんですが……」
「そんなの、喜んで何回も行かせていただきます」
「やった♪」
どうやら、篠田部長にとっても利がある申し出みたいなので、そこまで心苦しくならずに済んで良かった。
実は、俺がダンスの個人レッスンをするっていうのも、篠田部長への報酬として考えていたのだが、それは何となく、今隣にいる、俺の制服のシャツの裾を摘まんでいる白兎さんが怒りそうな気がするので、言わなくて良かったと俺は思った。