第11話 もう一つの顔
「今日はラビットマウンテンとは反対方向の電車なんですね」
「うん。今日は事務所の仕事だからね」
吊革に掴まって白兎さんと並び立つ電車の中は、ちょうど学校帰りの学生たちで賑わっていた。
繁華街へ向かう電車なので、これから遊びに行く子たちが多いのか、はしゃいだ空気が車内には漂っている。
「事務所のって、本牧くんが所属している芸能事務所のですか?」
「そ、そうだね」
「どんな仕事なんですか?」
興味深々という感じで、隣に立つ白兎さんが俺の方を覗き込む。
吊革に掴まって並び立っているのだが、会話をするためか白兎さんは少し身体を俺の方に傾けるようにして立っているので、距離が近くて、会話の際には白兎さんの顔がいつもより近い事に少し心が乱される。
「期待してるような華やかな仕事じゃないよ。あ、次の駅で降りるよ」
心の中の動揺を悟られたくなくて、俺はわざとはぐらかすような言い方をして、誤魔化した。
「はい」
そんな俺にも、白兎さんはニコニコとしていた。
その無垢な信頼しきったような白兎さんの顔が、ますます恥ずかしくなった俺はつい白兎さんから顔を逸らしてしまった。
◇◇◇◆◇◇◇
「はい。じゃあ白兎さん。これ首から提げて」
「名札ですか。見学者?」
事務所に到着して、俺はまず受付で見学者の申請をしてきた際に発行された見学者のパスを白兎さんに手渡す。
「芸能事務所併設のスタジオだから結構セキュリティが厳しくてね。学生証ありがとう」
身元確認用に白兎さんから預かっていた学生証を返す。
学生証の写真を見た受付のお姉さんに、白兎さんの薄紫色の髪色を驚かれた。
「じゃあ、行こうか。見学者はスタジオ後方の壁ベンチね。案内するよ」
「スタジオ? あの、それで本牧くん、見学って……」
「先に言っておく。引かないでね白兎さん」
「はぁ……?」
何のことだか解らないという風の白兎さんを見学席に案内すると、俺は更衣室へ向かった。
「「「「本日もよろしくお願いします‼ 本牧コーチ‼」」」」
「はい、皆さんよろしくお願いします」
スタジオの中にいた、男女20名ほどの生徒が一斉に、大きな声で挨拶をしてくる。
歳の頃は中高生で、髪色は明る目で、メッシュが入っていたり、中には髪をお洒落に編み込んだコーンロウ等のお洒落な髪型の子たちが多い。
そんな一見チャラついていそうな容姿の子たちだが、服装は一様に、上は動きやすいTシャツに、下はカーゴパンツやスエットパンツ、ジョガーパンツといった機能性を重視した格好だ。
俺は努めて冷静な風を装って、いつものように振舞うが、やはり気になるので、スタジオの後方見学席にいる白兎さんの方をチラッと見る。
ポカーンと口を開けた白兎さんと目が合う。
そうだよね……
普段の制服姿とも、ラビットフェスティバルのダンスのお兄さんの、子供向けの品行方正なコスチュームとも違うからね。
と、俺は白のノースリーブに黒のジョガーパンツ姿の自分を見下ろす。
白兎さんが来るって事前に解ってれば、ラビットマウンテンのキャラTシャツとかにしたのに……
いや、今日の担当クラスはガチでプロのダンサーを目指している子たちで、本気度高いからな。
ラピッドのTシャツを講師が着てたらふざけてると思われちゃうから、やっぱり無理か?
「各自、柔軟運動は済んだな? じゃあ、まずは基本ステップ練、終わったら今日は課題曲『センチュリー』の2週目だ。各自、自身の先週の課題解決が出来てるか確認すること。じゃあ、クラブステップからやってくぞ」
「「「「「はい!」」」」」
このクラスは、プロのダンサーを目指している子たちが集まっているエリートクラスだ。
なので、本気度も礼儀も整っている。
ダンス、特にストリート系のダンススクールなんて習っている奴は、見た目のせいもあってチャラついているという印象が強いかもしれないが、ガチでやっているクラスは結構ゴリゴリに体育会系なのだ。
「ほら、伊織! 軸ブレてんぞ! 制止意識しろ!」
「さーせん!」
「恵梨子! よそ見すんな! 集中しろ!」
「はい! すいません!」
故に、結構レッスン中も激しい言葉が飛びがちだが、生徒も本気なので、指導には自然と熱を帯びる。
「じゃあ、10分休憩」
レッスンの折り返し地点の時間で小休止に入る。
生徒たちは既にかなり消耗していて、壁に背中を預けてタオルを頭から被って必死に息を整えようとしている。
「いかがですか? 見学してみて」
タオルを首に掛けて汗を拭いながら、スタジオ後方にいた白兎さんに声を掛ける。
「あ、本牧くん。あの……」
「あ、生徒たちの手前、初対面のふりでお願いね」
唇の前に人差し指を立てて、シ~ッとして、笑いながらウインクで合図する。
「は、はい」
何故か、見学していただけの白兎さんの顔が真っ赤だ。
スタジオは空調効かせてるんだけど、この人数で激しく動いてると、すぐに熱気が籠っちゃって暑いんだよな。
「このコースはプロ志望の子たちが集まってるので、結構指導は厳しくて見学しててちょっとビックリされたかと思います。他にも、流行のダンスミュージックの曲の振りをマスターしてみようという短期集中のコースもありますから」
「本も……先生はお若いですけど、講師をやってらっしゃるんですね」
白兎さんが、本牧くんと呼びそうになって、慌てて言い直す。
俺の都合に巻き込んでしまい申し訳ないが、講師としての立場的にも、公私混同を疑われてはマズいので、白兎さんには引き続きこの茶番に付き合ってもらうことにする。
「たしかに若輩者ですが、これでも当プロダクション芸能事務所『スターライツ』のダンサー部門で契約しているプロダンサーですので、ご安心を」
「へぇ~ 凄いですね」
「事務所との契約で、プロダクションの下部組織スクールの講師を担当することもセットになってましてね。義務的にやらなきゃなんです」
俺は口元に手を当ててちょっと小声で、苦笑しながら言いにくいぶっちゃけ話をした。
事務所は、プロダンサーが講師として教えるスクールだと宣伝して生徒を集めているという訳だ。
「大変なんですね~」
「そうなんですよ~」
白兎さんも苦笑しながら、俺の愚痴に労わりの言葉を掛けてくれる。
「けど、先生はレッスン中はいつもと感じが変わっているように見えましたね」
「え! ちょっと怖かったですか?」
「いえいえ。熱心に指導されてて、生徒さんもその指導に食らいついて行ってやろうって気概が見えて、とても良い関係に見えました」
「そう……見える?」
「はい」
思わず素になって聞き返してしまった俺に、白兎さんが笑って答える。
あまり、こういう第三者の人から自分の講師ぶりについて講評をもらう機会って無いから、ちょっと嬉しい。
「おっと、そろそろ休憩時間が終わるので、私も上を着替えてきます。汗が凄いので」
「先生も大変ですね」
「それでは、後半もごゆっくり、見学なさってください」
「はい、ありがとうございます。あの、最後に一つだけ……」
「はい? 何でしょう」
更衣室に向かいかけた足を止めて、再び白兎さんの近くに寄る。
「いつもと違うちょっとワイルドな本牧くん、カッコ良くてキュンとしちゃいました」
コソッと内緒話をするように笑う白兎さんの言葉に、俺は思わず顔を紅潮させてしまい、あわてて首にかけたスポーツタオルで顔を覆い、更衣室へ踵を返した。
その時に、壁際にもたれかかるように座り込み、スポーツタオルを頭から被って休んでいる生徒たちの中に、一つ、タオルの奥から鋭い眼光を向けていた少女の視線があったが、この時の俺は残念ながらその事に気付けなかった。