64 龍は格好良い
お茶を飲む前に着替えたいと言ったら、若君が襖を隔てて待ってると言い出した。
「大丈夫ですよ。着替えるだけですし」
「一人になるな」
「ここは杜若ですよ?」
「それでもだ」
「……分かりましたよ」
過保護に拍車が掛かったとは思っていたが、ちょっと重症のようだな。
——ん?
私の部屋の衣紋掛けには、青国の姫に剥がされた振袖が広げられてた。部屋をよく見れば、いつもの薄衣も、若君に頂いた扇も、懐刀に守り鈴も……あの時に持っていかれた物が全て回収されている。
「若君」
「なんだ?」
襖の向こうに声をかけると、すぐに若君の声が聞こえる。
一人で大丈夫だと言ったけど、やっぱり安心するな。
「青国の雨は止んだんですか?」
あ、ちょっと無言。
「……止めたよ。まあ、日差しは戻してないけどな」
「人民に罪はないですからね、あんまり追い込まないで欲しいなぁ。作物に影響が出ない程度にして下さいよ」
「分かってる。けど、舐められるのは好きじゃないからな。王家にはシッカリ報復しなきゃ気が済まない」
「ははは。お手柔らかに」
私は真澄様に頂いた着物に着替え、髪も解いて後ろに一本で結び直す。外した髪飾りの本数に少し引いた。まあ、私の支度は赤鳥髪様直々のしつらえだったしな。帯も着物もたたむのは後でいいや。豪華すぎて重いしねー。
手洗い桶には新しい水が張ってあって、横に乾いた手ぬぐいが畳んである。
きっと、独楽が用意してくれたんだろう。
いつ私が戻っても良いようにって。
そう考えると、胸の奥がジンっと温かくなった。
水桶に手ぬぐいを浸して顔を拭う。
「……うわぁ」
「どうした?」
「顔を拭ったら手ぬぐいが極彩色」
「ぷっ、はははは! さすがは赤鳥神だな」
——全く、芸術的だよ。
何度か顔を拭って、白粉やらの化粧を綺麗に落とスッキリした。
部屋から出て行くと、嵐龍様がしみじみと私を見て頷く。
「いつもの楓だな」
「はは、やっぱり赤鳥神様の支度は違和感がありましたか」
「違和感ってほどじゃなかったが、まあ、派手だったからな」
「ですよね」
嵐龍様がひょいっと私の手を取る。
過保護はしばらく治りそうもないなぁ。
「戻るぞ」
「はい。ああ、そういえば白砂は?」
「里帰り」
「は?」
「湖に行ってる。書簡でお前の無事が確認できた時、白蛇が会いにきたとかで里心がついたらしい」
——ああー。
白蛇神はちゃんと会いに来てくれたんだな。
そうだ。
天水玉の話もしなきゃいけないんだったな。
「なんだ?」
「なんでもありません」
タイミング計らないとな。
今の感じで話したら、すぐにも婚姻って言い出しそうだ。
別に嫌だってわけじゃないけど——。
子作りできるよ、なんて言い出すのは——なんか、恥ずかしいじゃないか。師匠に先に話して、師匠から伝えてもらおうっと。
□
居間でお茶を飲むと、体の力も抜けて来た。白獅子神がずっと一緒だったから、不安には思ってなかったけど気は張ってたみたいだな。
独楽は私の隣に座って、着物の袖を掴んでる。
可愛いけど、心細い思いをさせちゃったんだよな。
私は促されるまま、守谷さんと灰色さんに拉致されてからの経緯を説明した。雲母王子が大陸を出て商いをしたいようだと話すと、しきりに関心してた。
「悪名が流れていたので、先見の明のある方だとは思いませんでしたね」
「どこの国でも親父の方が腐ってるのか」
「権威者になると諌める人は減りますし、視野も狭くなるんでしょう」
「人の振り見て…だな。俺も気をつけねーと」
「灰色さんは大丈夫でしょう。あの奥様がついてますから。灰色さんが暴走したら、奥様から雷が落ちると思いますよ?」
守谷さんにそう言われ、灰色さんは照れたように笑った。
「まあ、違いねぇな。ああ、そういや、濃紫は置いて来たのか?」
あ、そういえば居たねぇ。
「親父が残ってるからな。濃紫は魔法省の代表だし」
「嵐龍様が変化してまで連れ帰る必要はないですよね」
そうだった。
「若君、体は大丈夫なんですか? あれだけの大技を使ったら、体がきしむとか、どこか痛いとか」
「体力的に、すげー疲れるだけだ」
「へー」
お茶漬けを掻き込む若君を見て、守谷さんが笑ってる。
「私があのお姿を見たのは、二度目ですねぇ」
「前にも龍姿になったんですか?」
「ええ。帝が倒れられた事がありましてね」
「え!! あの帝が?」
湯飲みを掴んだ若君が苦笑する。
「大岩がぶつかったんだよ」
「は? 岩?」
「まだ俺が小さかった頃に、西の街道を整備してたんだけどさ。その時に魔物が出て、親父が退治したのは良いんだが岩をぶつけられたんだ」
「あの時は大騒ぎでしたよ。楓さんは鬼をご存知ですか?」
——鬼。
人型の魔物の中では最強と言われる。山の奥深くに籠って修行する山人が、運悪く陰気に侵されるとなる魔物だそうだ。人をさらって食べるのはもちろん、魔法で縛って使役することもある。凶暴で知恵の働く面倒な魔物だ。
「聞いたことはありますが、会ったことはないですね」
「まあ、あれは滅多に生まれませんからね。西の街道整備の時に、運悪く黒国に現れましてね。魔法使いたちが手を焼いたので、帝が直々に討伐に出たんです。帝も若かったですし、まあ、黒国で最強の人物ではありますから」
——黒国最強ね。異論はないけどさ。
「街道整備のために山を切り崩してたんですが、そこで大立ち回りでした。鬼が最後の力を振り絞って、帝に大岩を転がしましてね。頭に命中した帝が意識不明になったんですよ。普通の人間なら頭が潰れてたでしょうね。二階のある屋敷程度は大きさのある岩でしたから」
二階のある納屋程度?
それって岩なのか?
小山ではないのか?
いや——材質によっては、岩、なのか。
「若君は5、6才でしたか? 変化して帝のところに駆けつけたんです」
「そりゃ、心配もしますよ……頭が潰れる大岩でしょ?」
嵐龍様に目をやると、なんとも言えない表情をしている。
「タンコブが出来てたな」
「……タンコブ?」
「親父は……びっくりしたぜ、火花が飛んだって言ってたな」
「意識不明だったんですよね?」
「後で話をよく聞いたら、三十秒くらい気を失ってたってさ」
——おい。
それって、意識不明か?
「そういう顔をしますけどね。あの方は、ああ見えて帝ですからね? 何かあったら家臣にとっては一大事です」
「いや……はは、さすが帝。頑丈ですね」
「その時に、変化を見ました。今回を除けば、あの時だけでしたね」
含んだような守谷さんの視線に、嵐龍様が口を尖らせる。
「守谷は平気だったけどな。あの後、周りが怯えて面倒だったんだ」
「そんなに怯えたんですか? あんなに格好良い姿なのに」
龍なんか絵でしか見た事がなかったが、嵐龍様の変化した龍は勇壮で格好良かったけどな。守谷さんが嬉しそうに笑う。
「ですよね。私もそう思うんです」
「ねー!」
守谷さんと頷きあってたら、若君が呆れたような声を出す。
「肝が据わりすぎだろ」
灰色さんが大きく頷くと、若君がかtルク苦笑を浮かべる。
「俺は正直いって肝が冷えた」
「気にするな、灰色。それが普通の反応だ」
——?
なんでだろうな。
嵐龍様が少し嬉しそうだ。




