57 新しい宝玉
額にビシャッと冷たいモノを感じて目が覚めた。
「……?」
私を覗き込む青みがかった金色の瞳が、宝石のように煌めく。
えっと、この綺麗な目は……あ、王子か。
「起きた! 起きたぞ、白獅子! 姫さんが気づいた!」
『だから心配ないと言ったろう』
ガバッと私の首っ玉に抱きつくモフモフした腕。半獣人の腕はビロード並みに触り心地が良い。肌触りが良いのはいいんだが——。
「……く、苦しい。王子、苦しい」
「心配したじゃんかよ! 戻ってみれば白獅子に何かされて倒れてるし。何されたんだ? 体平気か?」
未だ人型の白獅子が、苦笑の混ざった笑みを浮かべる。
『腕を離してやらんか。お前の馬鹿力で締め上げたら、姫の首が折れるぞ』
ビックリしたように腕を離した王子は、それでも心配そうに私を眺めてる。とにかく、助かった。本当に絞め殺されるかと思ったじゃないか。
大きく深呼吸して王子をみれば半泣きで、私の額には濡れた手拭きが乗せてある。体は熱く、頭の芯がクラクラしている。
「雲母王子。世話してくれたんだね、ありがと。えっと…私は……加護を賜ったのかな?」
赤鳥神様の時ほどじゃないけど、体を巡る力の渦に翻弄されて視界がグルグルする。
——と。
冷んやりと冷たい手が、王子とは逆の方向から伸びて私の頬に触れた。
『大義であったなぁ』
「……?!」
なに、この美人。
白獅子神より白く透明に近い髪や肌を持ち、ほっそりと華奢で鬼灯みたいな真っ赤な目をしてる。彼女は微笑むと小さく首を傾いだ。
『ソチのお陰で解放された』
「解放? え? あ……白蛇神様?」
『いかにも』
え!
ということは?
私は飛び起きて手甲を力任せに引っ張った——あれ?
「まだ……嵌ってる」
黒、赤、白、三色の線が入った天水玉は、私の血液の色で薄紅に染まったままだ。
『案じる事はない。天水玉はもう呪いを放ったりせんよ。身から外す事も可能だが、ソチの為に外さない方が良かろう』
「私の為……ですか?」
彼女は真っ白な着物の袖で口元を隠し、艶かしい微笑みを浮かべた。
『さよう。三神の加護を得た玉は、強い神気を放っておる。例え嵐龍殿の子を身ごもっても、ソチの寿命を削るような事はせぬ。安心して黒龍神様の新しい末を産むが良い』
……は…い?
彼女は意味深に眉を下げた。
『我は玉に囚われておったゆえ、嵐龍殿とソチの睦まじい様はよう見ておった。玉のような子が授かるのもすぐであろう』
見てたって——。
何ですと?
えっ、甘え放題の時とかも?
甘やかし放題の時とかも?
……見られてたと?
雲母王子が口先を軽く尖らせ、小さな牙を見せる。
「あーあ。真っ赤になってやんの。兄貴は脈なしだな。あんたが義理姉になったら、すげー面白そうだったのに」
「……か、顔が赤いのは熱のせい!」
白獅子髪が雲母王子の頭に軽く手を乗せる。
『揶揄うな。姫は皇后になるという使命を持つ女性だ。皇太子と睦まじいのは良きことだろう』
白獅子神は銀と青の煌めく瞳を細めた。
『黒龍殿の血は我らより多くの気を必要とする。今までの妃であったなら、寿命でそれを補わねば子が健やかに育たなかった。だが、天水の玉が姫と共にあった事で三神の加護を受けた。たとえ身に加護を受けずとも、天水の玉を身につけた姫ならば黒龍殿の末を生み、寿命まで健やかに生きられる』
——寿命まで。
白蛇神様が優しく微笑む。
『ソチは黒国に新しい宝をもたらしたようだ。いつか、新しい姫が次代の皇太子に嫁ぐ時が来るであろう。その時こそ天水玉を外して贈ってやる事じゃ』
私は思わず弾かれたように神々を見た。
そうなのか——黒国の皇后は腹の子に食われるっていう、因習めいた哀しい事態が避けられるようになるのか。
私は思わず天水玉の嵌った手を胸に抱き、深々と頭を下げていた。
「あ、有難うございます。胸のつかえが取れました。白獅子神様。生意気な口をきいたというのに、加護を授けて頂けるとは……」
『何を言う。そなたの言葉は正しい。王を諌めるのは国神の仕事だ。迷っていた私が愚かであったのだ。たみを思う姫の義憤が、私の目を覚まさせた』
ケラケラと軽い笑い声を上げた雲母王子が、私の頭をバシバシと叩く。
「なんだよ、おい。泣くな、泣くな、湿っぽい。礼を言うってことは、これで良かったんだろ? 良いことあったら笑って喜べ!」
言われて気づいた。
私ってば泣いてたのか。
でも……氷みたいに胸の奥で固まってた不安が、一気に溶け出して流れた気がする。
だって、私、嵐龍様の子供が成長するのを見られるんだ。
成長するまで——抱きしめたり、頭を撫でたり、何度でも大好きだって伝えられるんだな。
困った——涙腺が閉まらない。
『感慨に浸っているところ申し訳ないが、私が加護を与えた理由はもう一つある。我が国の内乱を治める手伝いをして欲しいのだ』
「それは……私で役に立つというなら」
『黒国の笛姫にしかできない役目がある。是非とも力を貸してくれ』
——そりゃ、念願を叶えてもらった以上は全力で頑張るが。
私にしかできない事ってなんだ?
『ほほほ。忙しい娘じゃの。妾はそろそろゆかねばならん。せいぜい、励め』
「は、白蛇様、あ、あの!」
『分かっておる。分かっておるとも。我を案じ、長く付き従った白砂に会うてから行く』
——あ、ああ。
良かった。
……けど。
天水玉から解き放たれた白蛇様は、どうなってしまうんだろうか。
『そのように不安気に見る事はない。案じるな。我は消えてしまうわけではない』
白獅子神が私の側に寄って来てポンと腕を叩くと、微笑みながら白蛇神の行く末を教えてくれた。
『白蛇は神界へ戻る。神としての力を失ったゆえ、太神様の元で修行をしなおす。太神様とは、我らが世界の柱神、創造の主だ』
『ふふふ。神力を取り戻した暁には、末長くソチの末を見守る役を努めよう。楽しみにしておる』
そう言った白蛇様は、溶けるようにその場から消えてしまった。
『さて、もう少し休ませてやりたい所だが、そうも言っておられぬ。黒龍殿が迎えに来る前に難題を片付けねばな』
白獅子神はニッと笑った。
手伝いって、何をさせられるんだろう?




