5 奉納舞
苦い顔をした濃紫が若君の部屋を見舞いに来た。
ふっ。
美形も苦悩してると——くそ。
二割り増しくらい艶かしい。
「嵐龍様、お怪我の方は大丈夫でしょうか?」
「ああ」
濃紫は灰色さんを従えて、若君の前に正座すると深々と頭を下げた。
「今回の件は僕の不手際です。大変に申し訳ありませんでした」
「いい……不問にする。それより、状況を説明してくれ」
はーっと深いため息の後、濃紫が語るには——。
「まず、十日ほど前に凄い美人が門兵を訪ねて来たそうでね。その女が願い札だから、龍気を纏う帝か皇太子の宮付近に埋めてくれと頼んだそうです。家の病人を癒したい。龍神様に願いが届くと信じてるって、ヨヨと泣かれたんだそうですよ。少しは疑っての、まったく」
灰色さんが深刻そうに頷く。
「その門兵に、僕より美人だったのか聞いたら、そうでしたって言うんだよ。信じられない審美眼だよねー?」
もう一度、灰色さんが深刻そうに頷く。
少しだけ牙を剥き出したのは、悔しがっているからだろうか。
「で、いくらかの袖の下も貰っちゃったもんだから、仕方なく見つからなさそうな方、嵐龍様の宮付近に埋めたと。そのせいで、結界が緩んだ。賊は、隙を見て飛び込んで、楓ちゃんを拉致しようとした」
——だからさ。
なんで私の事情を知ってんだって。
「鳥人の一味は、始めから門兵が札を皇太子の宮近くに埋めると、見当をつけてたんでしょうね。で、なんで側付きが攫われそうになったと思う? って聞いてみたら。門兵は何て言ったと思います?」
知るかよ。
引きを作ってんなよ。
「あの嵐龍様が側に置く女の童なら、さぞ可愛らしい娘なんでしょう。それだけで、興味を持って欲しがる奴も居るでしょう。自分だって見てみたい、とね」
ああー。
若君の顔が奇妙に歪んでく。
「俺が側に置いてるから?」
「そうです。他の兵や女官なんかにも聞きましたが、まあ、宝珠の話は全く出てこなくてホッとしました。皆、アレは封じられて宝物庫にあると思ってますね」
項垂れて顔を覆った若君は、困惑したような声を出した。
「コイツ、他に移した方がいいのか? 」
「今まで通りで大丈夫でしょう。僕が思うに、楓ちゃんは嵐龍様のお気に入りにしとくべきです。そうすれば、宝珠の話から遠ざけられますから」
「……いや、だけど」
濃紫は、もう一度、深々と頭を下げた。
「今回の件、全て僕のせいです。守りが弱かった。宮中という事で、少し気を抜いてた所もあります。襲って来たのは鳥人だと灰色に聞きました。その鳥人は使い魔に追わせています」
若君は腕を組んで私を見る。
足を投げ出してるからか、輩感が出てますよ、若君。
帝みたいだから、そういうの止めましょうね。
「……このままにするなら、対策はどうする?」
「はい。灰色をそのまま楓ちゃんに付けて置くのと、彼女には頑張って多少でも魔力を取り戻してもらいます」
淡い紫と黒の瞳で、濃紫は私を見つめた。
珍しく真剣らしい。
「訓練する。君は僕に匹敵するくらい魔力量の多い女性だった。今は枯渇してるとはいえ、作り出せない筈はない。微量でいい。魔力を取り戻してもらう。そうすれば、天水玉の力が使える。不逞の輩に自分でも対抗できるようになって欲しい」
私は黙って頷く。
だって、その話は望む所だからね。
「もう一つ、僕の使い魔に梟が居ます。探査に長けた狩人ですので、杜若の宮を外から守らせます」
「……分かった。俺にできる事は?」
「そうですね。楓ちゃんに懐刀の使い方を教えて下さい」
「承知した」
ポンッと手を叩いた濃紫は、ニッと笑う。
「今回の件はこれで終わりとして。明日は楓ちゃんが代役だそうだね」
「ええ、まあ」
「君が必要だって言うなら、付与魔法をかけてあげるよ?」
——忘れるなよ。私は二度とお前は信じない。
「けっこうです」
「ええー。重力なくなったら、お猿さんじゃなくて、蝶のように舞えるよ?」
「若君が舞を褒めてくださったので、今のままで十分です」
私がそう答えると、若君が瞬きを繰り返した。
「あらー。僕の知らない間に、随分と仲良くなったじゃない?」
「悪いかな? 信頼は日々の積み重ねだ。私は頑張ってる若君を知ってるからね。で、積み重ねた信頼は一瞬で失われる。取り戻せないんだよ、濃紫」
濃紫は眉を下げて、珍しく寂しそうに笑った。
「楓ちゃんは、厳しいな」
灰色さんが耳を寝かせて、コクリと頷いた。
□
黒国の春の奉納舞は、黒龍神の住まうとされる黒山の麓。黒龍神社の境内で行われる。境内の周りにはグルッと山桜が植わっていて、今を盛りと美しい花を咲かせていた。
社の前に帝が腰を据え、その前に舞台がしつらえてある。舞台から少し離れ、取り囲むように貴族たちの席が設けられて居る。向かって左側には雅楽達の席がしつらえてある。
奉納される舞は三つ。乙女四人が、巫女姿で鈴を鳴らしながら舞う、春月の舞。公達が榊を使って三人で舞う早春の舞。そして、本来ならば皇太子が舞う筈だった、幻視蒼穹弓舞。
と、いうわけで——私の出番は最後になる。
社の側に設置された控え用の幕の中で、舞の手順を脳内に再生してる。付き人の役をしてくれるのは、なんと、守谷様だ。良いんだろうか、彼は皇太子の侍従だってのに——。
「良いんですよ。楓ちゃんは私の娘のようなものです」
「娘? い、いやいや。守谷さんは、もう少し若いでしょ?」
「いいえ。私の娘は今年で二十六歳ですよ?」
「なんと?」
「二児の母です」
——あー。
そうだよね。
二十六、七歳は、そのくらいの年齢ですかね。
けどさ。
「守谷さんって、お幾つなんですか?」
「僕ですか? 四十四ですかね。自分の歳って曖昧になりやすいですけどね」
ははは。
十歳は若く見積もってましたよ。
「初孫は十歳になりました。楓ちゃんを見てると思い出します」
「……そうですかぁ」
もう、突っ込む気力がないな。
外見が孫で、中身が娘かぁ。
「ああ、前の曲が終わりましたね。そろそろ行きましょう」
「……はい」
いくら舞が得意と言ったって、奉納の為に舞った経験はない。
やっぱり、緊張するよな。
まあ、私とすぐ認識されないように顔は濃いめに化粧してるし、髪も黒一色が目立たないように色糸の束を所々で結んでる。今の私は黄色みの混ざった髪に見えてるはず。
舞台には一人で立つ。
化粧弓を持ち、帝、しいては黒龍神の社に一礼。
ゆるゆると、笛の音から始まる幻視蒼穹弓舞の曲が流れ出す。始めはゆっくり、次第に早くなっていく曲に合わせて、私は無心で中天を射抜いては回る。足を鳴らし、射抜いて、飛んで、回って、射抜く。
だんだん、空の上に宇宙が見える気がして来た。
この黒国に幸多からん事を願って、私の弓は流れる星へ変じていく。
曲調はどんどん速くなり、音に合わせた私の動きも速くなる。太鼓や笙の音が抜けてゆき、最後は甲高く伸びる笛のみになって、ふっと切れる。切れた瞬間、私は中天を射抜いて立っている。
シンッと辺りが静まった。
——終わった。
大きな失敗もなく、舞切ったと思った瞬間に辺りが陰った。
晴れ渡った空から小雨が降り注ぎ、陽の光でキラキラとまるで星屑のようだ。
私の辺りに靄が立ち込め、少し離れた所に身長が二メートルはありそうな男性が立っていた。
『気に入った』
腹に響いて内臓が揺れるような声だ。
人離れした美貌の持ち主で、長い黒髪は絹のように艶やか、帝や若君によく似た赤い目に黒い瞳孔、ただ事じゃない目力をお持ちだ。一瞬も目がそらせない。
『名をなんという』
——名前。
口を開く直前、私を背に庇って目の前に若君が立った。
彼はすぐに片膝をついて頭を下げる。
私は呆然と立ったまま、若君の背中と大きな男性を見つめていた。
『我が末か』
軽く首を傾げた男性が、小さく笑った。
『それは、お前の玉か』
若君が顔を上げる。
「………はい」
『なれば、シッカリと掴んでおれ』
男性は私に視線を移すと、軽く指差した。
『次は女舞を見せるが良い。楽しみにしていよう』
瞬間、風が逆巻いて男性の姿が消えた。
惚けて居る私をそのままに、若君は振り返ることもせずに自分の席に戻ってく。
キラキラ光る小雨を受けて、私はやっと正気付いた。
——おお、美しい。吉兆かの。
——晴れ雨とは、龍神様も粋なことをなさる。
——良きものを見た。
人の騒めきに混ざって聞こえるのは、おおむね喜びの言葉で胸を撫で下ろす。
進み出て帝の前で一礼、弓を捧げて舞台を降りる。
これで舞の奉納は終わった。
「お疲れ様です。見事な舞でしたよ」
舞台横で控えていてくれた守谷さんが、私を労って声をかけてくれた。
「あの、守谷さん」
「はい」
「すごく大きな男性を見たのですけど」
「大きな男性ですか?」
「若君が私の前に来ましたよね?」
「あ、ええ。どうなさったんでしょうね。立ち上がったと思ったら、楓ちゃんの前に片膝ついてましたが……楓ちゃんには背中を向けていましたし。まあ、すぐにお戻りになられたので、大した事ではなかったと思いますが」
——なるほど。
守谷さんには、あの男性は見えてなかったってことか。