46 褒めっこ
守谷さんの用意してくれた夕食を食べ、風呂に浸かって、独楽に髪を拭いて貰って少し気が抜けた——。
けど、布団の上に座っても、眠くならない。
何かモヤモヤが拭えないんだよ。
怒られて終わりって、理不尽だよな。
私、今回は少し頑張ったのに。
ああ、黒龍神様にはお礼の舞を報じたけど、赤鳥神様にはお礼をしてないなぁ。
「……仕方ない。若君に相談して決めるか」
また、勝手に何か送ったりして怒られても嫌だし。
かの女神様は何を喜ぶだろう。
美しい方だから、素敵な簪とかかなぁ。
行灯の明かりの中で、チラッと若君の部屋と繋がる襖を見る。
夜に尋ねたら迷惑かな。
独楽はすでに魔力を遮断して、休息の状態に入ってる。
彼女も疲れたんだろう。
本当なら、さっさと眠るべきなんだけどな。
明日には若君の元服式だし。
——けど。
なんか、モヤモヤが。
意を決して、薄衣を掴んで襖越しに声を掛ける。
「嵐龍様」
しばらくして返事が返って来た。
「……なんだよ」
「起きてましたか。ちょっと、そっちに行っていいですか?」
「…………いいけど」
灯りはついていたけど、若君はすでに布団に入っていた。波打つような髪が、枕の上を覆ってる。少し体を起こして、片肘で頭を支え、目を細めて襖の前の私を見る。
「なんだよ」
まだ、不機嫌かなぁ。
そうでもない?
薄明かりの中の若君は、なんだか普段と違って見えるけど。
でも——若君だなぁ。
そう思ったら嬉しくて、モヤモヤを素直に言えた。
「褒めて下さい」
「……は?」
「私、ちゃんと五日で帰って来たし、陰陽の気も巡らせて来ました」
若君は少し面白そうな顔をして起き上がった。
「俺に褒めて欲しいのか?」
「もちろんです」
と、ジッと私を見てから言う。
「こっち来い」
少しお腹の中が震えるような、気の籠った声に胸がギュッってなる。
そばに寄ると、腕を引っ張って抱きかかえ、ゆっくり私の頭を撫でてくれた。
「頑張ったな」
「……はい」
若君の香りで強張ってた体の力が抜けてく。
「お前……崖から落ちたって?」
「はい。でも、赤鳥神様の加護で翼が生まれて命拾いした」
「へぇ、翼が出せるのか?」
「神気の翼が、何秒かなら」
「それは見たかったかもな」
髪を撫でられて、そばで声を聞き、若君の体温を感じてると眠くなって来た。
「黒龍神様の加護も借りて、若君の…髪も…手伝ってくれた」
「役に立ったか」
「うん……すごく。馬の移動も長くて、疲れた」
「そうかよ。大変だったな」
暖かくて、優しくて、馴染んだ若君の香りに包まれて——思い切り気の抜けた私は、そのまま眠ったらしい。気がつくと自分の寝所だった。
「………」
朝日が差し込む杜若の自室で目覚めた私は、寝る前のことを思い出してあまりの事に両手で顔を覆う。思わず足までバタバタさせてしまった。
——甘えすぎだろ。
駄々をこねる子どもみたいな態度だったよな。
若君は今日が元服式だっていうのに。
疲れてたのは本当だし、褒めて欲しかったのも本当だが。
労ってもらって、腕の中で安堵して寝落ちって——どんだけだ。
「私は……何やってんだ」
若君の残り香が香る自分の夜着に、胸が締めつけられるような、泣きたいような気持ちになった。
たった五日。
離れてたのは、たった五日だったのに。
寂しかったんだな。
気づいてはいたけど——私は嵐龍様に懸想してる。
とても白国の王を笑えないじゃないかよ。
□
衝撃を受けたとはいえ、私は人生経験も長いお姉さんだ。
若君の晴れの日に、狼狽えている場合じゃない。
起き上がって布団を畳んで顔を洗いに行った。
独楽はお疲れだったらしく、私が動き出しても休息状態のままだった。
式には出ないけれども、今日は祝いのご馳走を作る日だ。
紅葉の着物に灰色袴を身につけ、タスキを持って台所へ向かう。
「おや。楓ちゃん。早いですね。もう少し眠っているかと思いました」
「杜若に戻ったので、眠りが深かったようです」
まさか、若君に寝かしつけてもらったとは言えない。
「今日は何を作りますか?」
「朝食は軽めですよ。餅の残りと、汁物です。夕食用には散らし寿司を考えてます。木の芽の澄まし汁と、久しぶりに鶏肉も焼いて豪華にしましょう」
「いいですね。お祝いの膳らしい」
「でしょう」
にこにこする守谷さんの指示で、干し椎茸を戻し、薄切り人参を花形に加工する。
「……やっぱり、楓ちゃんが居ると良いですね」
「そうですか?」
「若君も活気を取り戻しますし」
「……昨日、すごく怒られましたけどね」
「あー。髪紐を貰ったんですって?」
やっぱり知ってた。
絶対に濃紫が喋ったんだろ。
「気にしなくて良いですよ。相手を知らなかったって事は、名乗り合うような事はなかったんでしょ?」
「名前を聞かれましたが、笛姫としか」
「ははは、笛姫ですか」
——なんで笑いますか。
守谷さんは面白そうに肩を揺らす。
「黒国の笛姫なら、すぐに誰だか分かりますね。白国の第一王子も、知ってから青ざめてるんじゃないですか?」
「そうですか?」
「そうでしょう。黒国の皇太子の許嫁に、後見人志願したんですから」
——まあ、そうなるのか。
「現状の白国と黒国は、関係が微妙に緊迫してますしね。謝罪文くらい送られて来くるでしょう」
「隣国のそういう習慣を勉強しとけって、思い切り睨まれました」
守谷さんも真顔で頷く。
「それは確かにそうですね。勉強した方がいい。許嫁という立場は微妙ですから」
「……帝は、さっさっと婚姻しろって言いましたけど、若君は断ってましたよ」
「嵐龍様の性格なら、そうでしょうねぇ」
「性格の問題なんですか? ……乗り気じゃないのかと」
片手を振った守谷さんが、眉を下げて苦笑する。
「乗り気ですよ。そうじゃないなら、楓ちゃんが貰った髪紐なんか放っておきます。若君はね、ちゃんとした婚姻がしたいんです」
「ちゃんとした……とは?」
困ったような、意味ありげな目で私を見た守谷さんは——。
「この先は、僕の話すような事じゃありません」
そう言って口を閉じてしまった。
気になるじゃないかー。
「……教えてくれないんですね」
「若君に叱られますからね。ただ、肝に命じておいて下さい。若君は貴女を娶ると決めてるんです。変な不安に駆られないようにして下さい」
「変な不安ですか?」
「そうですよ。さっきみたいに、乗り気じゃないのか、なんて言ってると若君が悲しみます」
——そうなのかねぇ。
嫌われてはいないと、思うけれども。
好かれてるという確信もないんだけどな。
そんな話しをしていたら、胸元の守り鈴が鳴った。
「若君が起きたようですね。ここは良いですから、若君のところへ行って下さい」
「……はい。あれ、そう言えば灰色さんは?」
「今日は濃紫の用事で黄国まで行ってます」
「アイツは人使いが荒いなぁ」
「実家の用事だそうですよ。灰色は濃紫の侍従ですが、恩があるのは実家の方らしいですから」
「へぇ」
まあ、そうか。
幼い頃のお守役だったんだしね。
「では、若君のところへ行ってきます」
「はい」
廊下を早足で歩きながら、少し頬が高揚してくるのを鎮めるのが大変だった。
だって——恥ずかしい。
見た目はともかく、だいぶん年上の女が、まだ少年で通じるような若君に甘えてさ。しかも、腕の中で寝落ちだもんな。頭痛がしそうなシチュエーションだ。
部屋の前で一呼吸置いて、息を深く吐いてから襖を開く。
「おはようございます」
「んー」
呼びつけて置いて、やっぱり布団に転がってる。
最近、寝起きが悪くないかな。
今朝のは——私のせいか。
寝際に褒めろとか駄々こねたし。
「起きて下さい、ほら。今日は元服式でしょ」
「引っ張って起こせよ」
「若ぎみー」
伸ばされた腕を引っ張ったら、逆に布団に引きずり込まれてしまった。
「ちょ、嵐龍さま!」
「俺のことも褒めろよ」
「……はい?」
「お前が留守の間も、真面目に仕事してたんだぜ?」
「えっと、そうですね」
「つまんない奴らだと思っても切れたりしてねーし」
「それは、偉かったですね」
「だろ? 愚痴る相手は遠くでさ、違う男に髪紐をもらってんだぞ?」
「いや、だから……アレは」
「褒めろ」
ははは。
こう来るとは思わなかったなぁ。
若君の頭を抱き寄せて、してもらった様に髪を撫でる。
「偉かったです。頑張りましたね」
「……ああ」
「あの口ばっかりの公家や役人に我慢するなんて、なかなか立派になられました」
「だよな」
「力があっても振るわないでいられるのは、強い人間の証です。若君は強くて、格好良くて、優しい青年です」
「………お前、本気で褒めてないだろ」
「本気で褒めてますよ」
「口ばっかだ」
「違いますよ。本当に思ってます!」
ガバッと起き上がった若君は、耳まで赤くして拗ねた表情をしてる。
——ああ。
分かる。
起きてすぐの私も、そんな感じに恥ずかしかった。
分かるよ、若君。
私も布団に起き上がって、腕を伸ばして若君の髪を撫でる。
こんな表情してると、本当に可愛いな。
「ちゃんと思ってますよ」
「………分かった。もういい」
「もういいんですか?」
「いいって。……独楽は?」
「さすがに起きてると思いますけど」
ふっと襖を見たら、少しだけ開いてて独楽が覗いてた。
若君が赤い顔をさらに赤くして、ほとんど鬼灯状態になってる。
「独楽……変な気は回さなくていいからね?」
こくっと首を傾げてから立ち上がり、若君の部屋に入って、さっさっと布団を畳み始めた。
最近の独楽って、さらに女の子じみて感じるよな。
私を若君の布団に寝かせたりさー。
どこでそういうの覚えるんだろ。
油断ならないよね。
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有難うございます!




