45 男女の機微は難しい
行って帰っての移動だけで四日かかる強行軍は、なんとか無事に終わりそうだった。宿屋でぐったりしながら、雑魚寝の用意をする。相変わらず、馬に揺られる感覚が拭えない。けど、後の一日を走り抜ければ、無事に若君との約束が守れる。
——転がり落ちた谷は、やっぱり次の目標地点だったらしい。成り行きで陰気を払ったんだが、氷室に褒めちぎられた。
「楓。すごい。落ちて生きてただけでも、すごい」
「いや、氷室。お前がいきなりブリザード起こしたからだからな?」
「猿の数が多かった。仕方ない」
「自分で仕方ないっていうかな」
「言う。か——葵を拾いに谷に降りたら気が巡ってた。尊敬する」
——どうでもいいけど、コイツってわざと片言を使ってるだろ。
そう突っ込んだら。
「文章の組み立てって面倒だろ? 単語の羅列でも通じるんだから、それでいいじゃないか」
と、流暢に答えやがって。
可愛げが半減だな。
肝心な時に飛ばされて、そばに居られなかったのを気にしているらしく、しょげ返った独楽が私の腕にしがみついてるのが可哀想だった。
「ヘコむな、独楽。悪いのは氷室だからな」
「俺は悪くない」
「先に魔法を使うって言えよ。そしたら、こっちも心構えするんだから」
「……か、蒼なら対応できる」
その信頼はどこから来るのか。
そもそも、対応できてないから転がり落ちたのに。
「そんなことは、どうでもいいんだけどね」
不機嫌な濃紫が私達を睨む。
どうでもいいってこたないだろ。
「なんで、あんな谷でまで男を垂らし込んでるわけ?」
「言い方! 助けただけだって言ってるだろ」
氷室が濃紫を横目で見る。
「楓はすごい。惚れても仕方ない」
「……氷室まで垂らし込まれてるじゃないか」
「結果は良好。文句言う筋合いじゃない」
「……………まあ。確かに仕事は無事に終わったけどさ」
こういうのを瓢箪から駒というのかな。成り行きで一番酷い凝りを解消してしまったわけだ。最後の場所も独楽に舞ってもらって楽勝で解消できたし、夕方には尾根から山村に戻ることができた。谷底へのダイブは二度としたくないけどね。
私はお礼を兼ねて、黒龍神の祠で勝手に舞を奉納する事にした。
神々の加護がなかったら、私は生きてなかったろうから。
それに——私の舞はすべからく黒龍神様への捧じものだ。
舞は独楽が踊ったモノと同じ、満点星の花にする。
珍しく氷室が楽を奏でると言った。
「琵琶なら弾ける」
「へー。知らなかったな」
「帝に習った」
「なるほど」
……あの帝、厳つい顔して楽や舞が好きだもんな。
さすが、黒龍神様の血筋って感じでさ。
濃紫が口を尖らせて私達を睨む。
「君達、ほんとうに仲が良いよね。若君にチクるよ?」
「そんな事で若君が動じるかよ。お前じゃないんだから」
「そう思ってるの、楓だけだからね」
すぐ拗ねるんだよな。
面倒な親父だ。
「私と氷室は属性が近いんだよ」
「楓は同じ水系魔法使いだった」
私と氷室に同時に言われた濃紫は、半目になって腕を組む。
「言われなくても知ってる! だから、今回の相方に氷室を指名したんだから」
「なら、黙って見てなよ。私の舞は黒龍神様にしか奉じないから、見る機会は限られてるよ?」
「……分かったよ」
踊ってみて思ったが、琵琶に合わせるのは難しい。
難しいんだが、上手く合わさると笛や雅楽とは違った趣になって面白い。
今度、若君にも琵琶をねだってみよう。
あの人なら琵琶くらい弾きこなしそうだし。
□
帰りもやっぱり強行軍で、ずーっと馬に揺られてた。
ヘロヘロになって杜若に戻って来たのに——。
なんで私は若君に睨まれなきゃならないんだろう。無事に戻った私たちを、守谷さんや灰色さんは歓待してくれたのに……理不尽だ。
「で、お前は何でこんな物を持ってんだ?」
こんな物とは——白国の青年がお礼に渡して来た飾り紐だ。
「ええと、ですから。命を救ったお礼です」
「……お前、これが何か知らないのか?」
「髪紐ですよね?」
なんて深いため息をつくんだ。
そんなに吐いたら、呼吸困難になるぞ。
「濃紫」
若君に名を呼ばれた濃紫は、ヘコーっと頭を下げる。
——なんでだ?
「言い逃れのしようもありません。楓を一人にしたのは僕たちの不手際です。誠に申し訳ありません」
「……無事だったんだから、いい。だけどな、コイツの能天気さには胃が痛む。お前から、この紐の意味を教えてやれ」
濃紫はアホの子を見るように私を見た。
「白国の貴族階級において、男の髪紐飾りってのが重要な意味を持ってる。貴族は一人一人、独特の紋を持ってて、髪紐飾りには自分の紋を使うんだけどね」
——ふぅん?
それが、なんだって言うんだろう。
黒国の貴族も一族ごとに紋を持ってるだろ?
「男が髪紐を渡すってのは、いつでも後見人になるって意味だ」
「……後見人?」
「その紐を持ってって、助けた男を頼れば愛人にしてくれる」
……なんと。
「しかも…ね」
濃紫の目が胡乱に、若君の目は剣呑になって——。
「夜香蘭の飾りは、白国の第一王子、黄水晶様のものだよ」
ああ。
まあ、ね。
なんか、そうじゃないかと思ってたけどね。
王族だとは思ったしね。
——白国第一王子の愛人か。
洒落になってないんじゃないかな。
「この髪紐は、俺から白国の王子に返しておく」
「……よろしく、お願い申し上げます」
思わず私も濃紫にならって、へこーっと頭を下げてしまった。
「お前さ」
キュッと眉を寄せた若君は、胡座の姿勢のままで私を睨めつけた。
「もう少し隣国の勉強をしろ。北斗王からも歌を貰って、普通に返歌を贈ってたけどな。赤国の男は好ましい女にしか歌を送らないんだぞ」
「……へ? いや、北斗くん、友達だし」
「馬鹿か」
「…………ええ?」
そんな苛つかなくても良いじゃん。
「あの歌はな。男同士なら友情の歌だが、男女とくれば裏の意味が含まれる。俺に縁付かなくても、身請け先はあるって意味だぞ」
「……え…まさかぁ」
あの北斗くんに限って……というか、北斗くんは、まだ子供じゃん。
赤鳥神様が後見についてるから即位したけども。
見た目なら私も子供だけれども。
「お前の返した歌は、そうできるように努力する、そういう意味にも取れるんだぞ」
「え? いや、違いますって!」
彼は私が若君の意許嫁だって知ってるし。
——ねぇ?
だから、そんな顔しないでってば。
「……お前の意図が、そこにないのは知ってる。じゃなきゃ、止めてる」
疲れたように項垂れた若君が——。
「もう、いい」
「え、そんな、匙を投げなくても。ちゃんと勉強しますって、隣国の習慣!」
「お前のことだからな、勉強したつもりで相手を煽るに決まってる」
——濃紫。そんな時だけ大きく頷くか?
「とにかく、この髪紐は返却しとく。何か貰いそうになったら、ぜんぶ断れ。俺に相談しろ。お前は、相手の意図に気づかないんだろうからな」
若君は、しっしっと、追い払うように手を振った。
ひどいよ……知らなかっただけじゃん。
若君の書室を出て口を尖らせてると、濃紫が意味深な目で見る。
「感謝しなよ、楓ちゃん」
「何をさ」
「氷室の琵琶で舞を舞った事、言わなかったんだからね」
「……え? それも怒られる案件なのか?」
「当然だろ」
——なんだそれ。
「隣国の習慣もだけどね。君はもう少し、男女の機微ってのも勉強しなよ」
「……やめろよ、濃紫まで真澄様みたいな事を言うの」
「楓ちゃんの為に言ってるんだよ。いつか、取り返しのつかないポカをする前にね」
……何それ。
怖いな。
「まあ、僕はそれでもいいけどね。君の性分は知ってるから。どこにも行けなくなったら、僕の所においで」
「なんだよ、その出戻り娘にかけるような言葉は……」
「父さんって呼んでいいよ。こうなったら、倒錯すんのも吝かじゃない」
冗談じゃない。
こっちがお断りだ。
近隣諸国の文化ね。
とくに男女の辺りを、みっちり勉強すりゃいいんだろ。
こっちとら、三十年近く女をやってんだ。
そんなの、朝飯前さ!




