41 出発
守谷さんが台所で御飯を握りながら、ぶちぶちと文句を言ってた。
「濃紫先生の言うのも分かりますけどね。楓ちゃんを引っ張り出すなんて、魔法使い筆頭としてどうなんです? 楓ちゃんは、もう魔法使いじゃないんですよ」
灰色さんが耳を寝かせたまま申し訳なさそうにしている。
「すまんな。主人も打つ手があれば、楓を連れ出したくはないだろうが」
「それにしてもです。彼女は嵐龍様の許嫁、未来の皇太子妃になる方ですからね。万が一にも何かあったら、我が国の命運にすら支障をきたす人ですよ」
——大袈裟だな。
「守谷さん。心配して頂くのは、すごくありがたいですけどね。国の命運は言い過ぎでは?」
「楓ちゃん。あなたにも少し自覚して欲しいです。あの嵐龍様が、他の娘を娶ると思ってるんですか?」
「え? いや、私が居なくなったら仕方ないですよね?」
「……その時に、あの人がどれだけ傷つくと思ってるんですか」
——え?
ええと。
守谷さんは眉を吊り上げて続けた。
「いいですか、体に傷一つでもつけて帰って来たら、この僕が許しませんからね?」
「ぜ、善処します」
「そこは、はい、一択です」
「……はい」
さすが真澄様の息子。
怒ってる時は迫力あるんだな。
「六日の後には若君の元服式があります。楓ちゃんは式に参加はしませんが、無事に戻って来て若君を祝うんですからね。いいですね?」
「分かってますってば。ちゃんと、戻って来ますから——」
肩を落とした守谷さんが、眉を下げて笑う。
「……若君だけではないんです。私も、私の母も、義姉も、妻も——あなたの身を案じながら、お帰りを待っていますからね」
「守谷さん」
ちょっと、ウルっとしながら頷く。
こんなに心配してもらって、私は果報者かもしれん。
「落ち込んでる若君のフォローくらい、面倒なものはないんですから」
……守谷さん。
□
今回の遠征は秘密裏に行うということで、私には独楽だけが付いてくる。灰色さんは留守番だ。
「なんでだ? 俺に楓を守れって言ったろ」
「灰色。お前は目立ち過ぎる。今回は良いとこの家族と、その護衛って設定だからさ」
「俺は濃紫の護衛だったろうが」
「行くのは白国と黒国の境なんだ。狼獣人は逆に目立つ」
白国の主神は白獅子神なので、白国にも獣人族はいるし、白獅子神の末は獣人だ。ただねー、獅子なんだよね。狼さん達じゃないんだ。
狼獣人の主な出身地は、実は赤国になる。有翼人が多い国だが、山がちな赤国には狼獣人の里があるんだよ。濃紫の出身は黄国で、赤国の隣だ。黄国にも狼獣人は多い。
その点、白国は獅子獣人の国でね。獅子獣人と狼獣人の間には、奇妙な対抗意識があると聞く。双方ともに集団で狩りをする性質上、強い仲間意識を持つゆえに、違う集団への対抗意識が生まれるらしいんだな。黄国の虎獣人は、また別だそうだ。虎というのは単独を好む獣だからさ。
だから——濃紫は灰色さんを置いて行くんだろうな。
不満気な灰色さんが牙を剥いてるが、濃紫も譲る気はないらしい。
「梟がついてくるし、相方には氷室をつける」
「……楓に怪我なんかさせるなよ」
「分かってる。僕が彼女を傷つけさせると思う?」
——思うよ。
お前は私の体に天水玉を嵌めたんだからな。
とは思ったが、今は口に出さないでおく。
氷室というのは、まだ若い少年魔法使いで、魔法使いだった頃に何回か合った事がある。
名の表す通り氷魔法が使える珍しい男子だ。
奴がついてくるなら鬼に金棒だな。
私は灰色さんを安心させるように笑った。
「大丈夫だよ、灰色さん。独楽がついてる。独楽は師匠と同じ結界が作れる」
——ただし、すごく近距離じゃないと無理だから、くっついてる必要があるんだけどね。
耳を寝かせた灰色さんが、仕方なさそうに頷く。
「独楽から離れるなよ?」
「分かってる」
ずっと黙ってた若君が、私に寄って来た。
なんとなく覇気がない。
「今回は距離が遠すぎて、守り鈴が効かない」
「あー。そうですよね」
「別の守りを渡しとく。手を出せ」
「はい?」
若君は私の腕に髪を撚った物を巻いた。
黒髪と赤髪が混ざってる。
これ、若君の髪だよな。
「黒龍神の神気が増すはずだ」
「……なるほど。ありがとう御座います」
何度か瞬きして、軽く目を細めると、手を伸ばして私の頬に触れた。
「身から離れた髪だ。効力は長くない。……早く戻れよ」
そう言って手を引っ込めた。
若君の寂しそうな様子を見ると、なんとなく、胸が痛くなる。
息が苦しいような気がして困るな。
仕事なんだし、仲間のためでもあるのに——。
早く帰って来ようって思う。
「では、行って参ります」
守谷さんにお握りと漬物を貰って、特別に貸してもらった疾風に乗る。独楽を後ろに乗せて、荷物は濃紫の馬が運んでくれる。
若君のお古で少年姿になった私だが、今回は胸から腹にかけて晒しを巻かれた。独楽が決めたことだから、我慢してる。少し窮屈なんだが、怪我した時に傷が開かなくていいかもしれないしね。独楽もお仕着せの着物で、あまり華やかにならないようにしてる。
濃紫と連れ立って、杜若を出てすぐに氷室と合流した。
「久しぶり」
氷室はじーっと私を見て、困ったような顔をした。
貂に似た風貌で、白髪に緑の毛が混ざり、瞳は翠玉のような美しい緑という少年だ。
「……本当に縮んでる」
「開口一番がそれか」
「だって、俺よりチビだし」
ぶん殴ってやろうかな。
「ね、言っただろ。今の楓ちゃんには、お前の力が必要なんだって」
氷室は小さく頷いて、私の横に馬を寄せた。年齢は北斗くんと変わらないはずだが、氷室の方が少し体が大きいかもしれない。
「楓ちゃんには蒼と名を変えてもらう。蒼は僕の息子だから」
「なるほど。父さんと呼べばいいんだな」
「……不本意だけど、許す」
「氷室は?」
「氷室は僕の従者の役。独楽は蒼の従者だ。僕らは青国から黒国の観光に来てる」
「なら、灰色さんを連れて来ても良かったのに」
濃紫が苦笑を浮かべた。
この世間知らずって顔はやめろよ。
「白国は荒れてるって言ったろ。獅子獣人は狼獣人とも険悪なんだよね」
「はぁ? どんだけ周りに喧嘩売ってんだ?」
氷室がボソボソっと口を挟んだ。
「第二王子がクソ」
「……ああ。性格悪いって話は前からあったよな」
馬を走らせながら、濃紫が口を尖らせる。
「本気で内乱を起こしたいらしくてね。地方貴族の一部に金をばら撒いたり、素性の悪いならず者を集めてる」
「国王は何してんだ?」
「もちろん、押さえ込みに掛かってる。けど、アレは内部に裏切り者がいるね」
「獅子にしては珍しいな。正攻法の一点張りかと思ってた」
「唆してる奴がいるんだろうな」
——そうか。
白獅子神の性質に合致しないもんな。
白獅子神という神は、百獣の王と呼ばれることもある。戦好きではあるけれど、圧倒的な力で捩じ伏せる正攻法を好むはずだ。力と正義の神である。金をばら撒くとか、ならず者を集めるとかは好きな方法じゃないだろう。
「白獅子神は何してるんだ?」
「今のところ静観してる。王と王太子に任せてるみたい」
「ふぅん」
身内のいざこざくらい、自力で収められなきゃ王の器じゃないって事かね。それで人民が困窮したり命を落としてるなら——赤鳥神様の爪の垢でも飲ませたいぞ。
かの女神は、王が国民を思いやらなかった事にブチギレしてたからね。
愛すべき女神だよな。実際、国民に愛されてるし。
「か……蒼」
「ん?」
「魔力、本当にないんだな。感じない」
「そうだよ。ぜーんぶ、そこの、父さんのせい」
濃紫が苦い顔した。
そんな顔しても許さないけどな。
氷室は頷いて、首を傾げて私を見る。
「けど、神気は感じる」
「うん。加護を受けたんだ」
「聞いてる。舞と笛が気に入られたって」
「お陰様でね」
「陽の気を放てる?」
そこね。
「たぶん、放てる」
「……たぶん?」
「一度しか放った事がないんだ」
「不安だな」
コイツは本当に思った事をそのまま口にするよな。
少しは気を使ったらどうなんだよ。
「私は不安じゃない」
「……なんで?」
「内緒」
腕に巻かれた若君の髪に触れて、自分の体に神気が巡ってるのを意識した。この力は私の力じゃない。だからこそ、大丈夫だと思える。黒龍神様、赤鳥神様の力だからね。




