40 百花繚乱
新年の行事が粗方終わり、杜若の宮も通常運転に戻って来た頃だ。
——あれ?
若君の部屋から聞いたことのない曲が流れてきた。
軽妙でテンポの速い華やかな曲で……メチャメチャ良い。
なんというのか、聞いてるだけでテンションが上がって体が動き出すような。ワクワクしてくる曲だ。廊下の雑巾掛けをしていたのだが、雑巾を桶に放り込んで、思わず若君の部屋へ走り込む。
「若君!」
「……なんだ?」
私が走り込んで来たもんだから、若君は戸惑ったように笛を下ろす。笛を中断させるのは、もったいない気もしたが。今はそれどころじゃない。私は両手で若君の手を掴んで、彼の赤みの強い瞳を見つめる。
「今の曲なんですか!」
「………百花繚乱」
「教えて!!」
彼は私の手を引き剥がしながら、困惑顔をする。
「別に…構わないが」
「やった! 待ってて下さい。すぐに掃除を終えて来ます。すぐだから!!」
速攻で廊下の拭き掃除を終え、いそいそと若君の部屋へ行く。
あの曲、絶対に覚えたい。
「お待たせしました!」
「別に待ってないけどなー」
鉄棒で火鉢を突っついてた若君は、軽く苦笑を交えて言う。
「そんなに気に入ったのか?」
「気に入りましたとも。すごくテンションの上がる曲ですね」
「まぁ、そうかもな」
若君が言うには、百花繚乱は春本番の曲だそうだ。眠りに落ちて力を溜める殖ゆの季節を超え、草木が芽吹き、花が咲き誇る春。競い合うように咲き乱れる花々の生命賛歌だという。
「陽の気を表した曲でもあるからな。ワクワクするか」
「します!」
——ん?
なんか、若君、テンションが低いな。
「どうかしました?」
「何が?」
「なんか、元気ない?」
「あー。なんかさ。行事続きで疲れたなって」
「……そっか。お疲れか。教えて貰うのは、また今度にしましょうか?」
いくら曲が気に入ったからって、無理に付き合わせるのは忍びない。急ぐわけではないんだし。
と、若君が柔らかく笑った。
「いや。笛を教えるのは、気晴らしになる。こっちに来い」
手招きされるまま若君のそばに寄ると、彼は私を抱え込んで笛を出した。若君の轟は朴の木を使っているそうだ。私が預かっている胡蝶はイチイの木を使っているそうで、少し音が違う。それがまた面白いんだがね。
「俺の指を見て覚えろよ」
相変わらず距離が近いんだが、気にして居る余裕がない。
指の動きが速くて目が離せないんだよね。
それに、やっぱり若君の笛は音が美しいので聴くだけでも楽しい。
「追いかけてみろ」
「……はい」
私も胡蝶を出して、目の前で動く若君の指に合わせて指を動かしてく。
指がついていかないが、そこは訓練だろう。
どのくらい教わっていたのか、若君がキュッと私を抱いて頭に額を乗せた。いきなりだったから、ちょっとビクッとしてしまう。
——ええと、どうした?
「なぁ。お前、疲れない?」
「何にですか?」
「俺の側に居るのにさ」
一体、何を言ってるんだ?
参内で何かあったのか?
彼が私に甘える時は、疲れてる時か、ヘコんでる時だしな。
「疲れませんけど。なにか……ありました?」
「んー。大した事じゃない。ただな。怖がられてるなと思ってさ」
「誰に?」
「公家とか、役人とか」
私はクククッと笑ってしまった。
公家や役人ね。
「なんだよ。可笑しい?」
「侮られるよりマシかなって。私が魔法使いだった頃、その手の奴らになんて言われてたか教えましょうか?」
「……うん」
「水鬼、ですよ。鬼です」
頭を離して私を横から覗き込んだ若君は、なんだか久しぶりに少年らしい顔をしていた。無防備で、あどけない表情をしている。
「……ひでぇな」
「でしょう? なのに、女だと思って侮ってくるんですよ。なんどブチ殺してやろうと思ったことか」
「お前って、ほんとに気が強いよな」
「だってムカつくでしょ? 肝が小さい奴らなんだって思う事にしましたけど」
「……肝がねぇ」
「そうです。昔ね、師匠に教わったんですけどね。欠けた者と付き合うときは、自分も欠けた所で付き合うといいんだよって。自分だけはキチンとしなきゃって思ったら付き合えないよってね。鷹揚でいなさいって」
若君はヘタっと私の肩に頭を乗せる。
「鷹揚ね。言うは易しだな。俺に出来るかね」
私は手を伸ばして若君の量の多い髪を撫でた。
柔らかい癖っ毛が指に絡んで滑り落ちる。
「出来るでしょう。けど……若君は優しいからなぁ。ま、愚痴くらい聞くし、無理しないで下さい」
私の肩にグリグリと額を擦り付け、軽く唸った若君は私を離して笑った。
「俺を優しいなんていう奴は、お前と守谷くらいだぞ?」
「おお。さすが守谷さん。意見が一緒で嬉しいですね」
「お前って、割と守谷贔屓だよな」
「杜若に来た時、一番優しくして貰いましたからね」
「……アイツの飯が美味いからだろ」
「はは、違いないです」
気を取り直したように、笛を構えた若君は——。
「通して吹くから、聞いてろよ」
そう言って穏やかに微笑む。
なんだか、師匠の池で微笑んだ若君を思い出して、勝手に胸がギュッとなる。
彼の腕の中で聞く百花繚乱は、咲き乱れてゆく花が香を放つような、芳しく美しい音色だった。
□
新年には杜若に戻っていた濃紫だが、すぐに白国との境に出張して半月くらい帰って来なかったのだが——。
「嵐龍様にお願いがあります」
疲弊した様子で戻って来たと思ったら、私と若君を呼びつけて、へこーっと頭を下げた。濃紫が頭を下げるのを見るのは、私が鳥人に攫われかかった時いらいだなぁ。
「……なんだよ?」
「楓ちゃんを貸して下さい」
「は?」
「帝に許可は取ってます。若君が頷いたら連れてって良いと」
目の下に隈を作ってのお願いなので、若君も無下には出来ないようだが。私を貸してくれと言われて、思い切り困惑している。
「白国との境なんですけどね。陰陽の気が落ち着かなくて、全然、ダメなんですよ。陰気が上がって陽気が押されてまして、放って置いたら、どんな化け物を生み出すか分からない。魔法使い達も頑張ってて、陰気を引き受けられる奴は引き受けて、陽気を上げられる奴は上げてくれてるんですが——」
濃紫はハーっと息を吐き出して、ひとまわりは小さくなった気がする。
「白国側で結構な数の人死が出てるんだと思います。けど、国境なんか気の巡りには関係ないですからね。黒国側でも影響が著しい。本来なら、帝か若君に来て欲しいんですけど、そしたら兵部が動くでしょう? 威嚇では済まなくなるかもしれないし。戦は本意じゃない。楓ちゃんなら存在をあまり知られてないし、神気を纏ってる」
若君の顔が苦い表情になってく。
「……そうは言ったって、コイツの神気は加護の範囲を超えないぞ?」
「分かってますよ。それでも、現状では打てる手が思い当たらない。ぜーったいに怪我はさせません。命に変えても守りますから」
チラッと私を見た若君が、ふっと息を吐く。
聞けば私が嫌と言わない事が分かってるんだよね。
だって——魔法使いは仲間だし。
古参の中には馴染んだ奴らもいるんだろうし。
「分かった。ただし、五日だ。貸すのは五日だけだ」
「……ありがとう御座います」
「あとな。もし、コイツに何かあったら、挙兵も厭わない。分かってるだろうが、コイツは俺の許嫁だ」
若君が、また、ふっと息を吐く。
「天水玉の呪いも、弱まったといえコイツに嵌ってる。呪い自体で国が滅ぶ事はなくとも、キッカケにはなる。肝に命じて連れて行け」
「……お預かりします」
ううむ。
こういう遣り取り、慣れないなぁ。
誰かのモノ扱いってさー。
若君は、いつにも増して赤みの強い目で私をジッと見た。
「そういうことだ。良いか?」
「黒国の為に最善を尽くして参ります」
思わず硬い言葉で返したら、若君は眉間にしわを寄せて唇を軽く噛んだ。
そんなに心配いらないって——修羅場はけっこう潜ってるからさ。
そう言いたかったけど、言えずに言葉を飲み込んだ。
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家の近くが河原だからでしょうか、虫の声が凄い。




