38 お帰り
ヘコんだり、気が張ったり、情緒的に浮き沈みの激しかった私だが、三賀日を牡丹の宮で無事に過ごして杜若の宮へ戻るとホッとした。
あぁ、なんだか気が抜けたな。
「……休みのはずなのに疲れましたねぇ」
皆んなで杜若の雨戸を外してると、若君も小さく笑った。
「そうだな。やっぱり、杜若が一番落ち着くな」
神事を終えると、帝の年始は分かりやすかった。宮に残ってる人を集めての祝宴だ。白拍子を呼んで酒を飲み、御節を食べる。
私も若君も酒を飲まなので、挨拶だけしたら早々に退散——のはずが、巻き込まれて素面で宴会に付き合う苦行。
「巻き込んで悪かったな。毎年、あんな感じ何だよ。父上に言わせると、アレが支えてくれてる者への返礼らしいんだが——自分が飲みたいだけだろうな」
帝はご機嫌だったものなぁ。
「まあ、いいですよ。顔合わせが一度に終わったと思えば……」
さすがに初日は宮の人たちだけだったが、二日、三日は帝に挨拶に来る貴族も多くて、私は若君の許嫁として紹介されまくったからね。持ち上げられてみたり、釘を刺されてみたり、牽制されたりと忙しかった。
相手の顔なんか全く覚えてないしー。
私は宮から宮への移動中は完全な姫姿だったが、杜若でやっと簡易姫姿に戻った。
あー、肩凝った。
薄衣を脱いで、帝の振袖から真澄様のくれた紅葉柄の着物に着替える。独楽がいそいそと手伝ってくれて、シャラシャラと小さな花細工が揺れる髪飾りも箱に仕舞われた。
髪を耳の横で一つに括って前に垂らし、色紐でぐるぐると一本になるように巻く。こうしておくと扱いが楽なんだよね。伸ばしっぱなしの髪は、だいぶ長くなってて甲骨が隠れるくらいだ。姫はひたすら髪を伸ばすものらしいけど、もうすでに切りたい。真澄様に叱られるから無理だけど。
荷物を片付けている間に、食材を背負って守谷さんも戻って来た。
「明けましておめでとう御座います。牡丹の宮は如何でしたか?」
「おめでとう御座います。今年もヨロシクお願いします。いやあ、流石にお屋敷でしたねぇ」
「そうですよね。あそこは広いですから」
若君も凝った首を回しながら守谷さんに愚痴る。
「毎年だけどな、酒の席は本当に面倒くさい。飯も守谷が用意した物の方がずっと美味しな」
それには全力で頷く。
牡丹の宮の料理は、材料は豪勢だし手が込んでたんだけどね。
こう——暖かいものを暖かいうちに。冷めたら、冷めたで美味しい物を食べさせたい。そいういう守谷さんの溢れる気遣いがねえ、祝宴の料理にはないよね。
「守谷の方はどうだったんだ? 家族は壮健か?」
「はい。皆、元気に過ごしていました。……ああ、母上と梨花さんが楓ちゃんの話で盛り上がるものだから、ウチのが拗ねてまして。一度、ウチにも連れて来いと言われました」
ニコニコっと笑いながら私を見る守谷さんだが——。
そうか、真澄様と梨花様がねぇ。
「そうですね。機会がありましたら」
——こうして、私もしがらんでゆくんだよ。
「年始の挨拶状くらい、書きますかね」
「それは喜びます。ありがとう御座います」
実は牡丹の宮にいた時に、赤国の北斗くんから挨拶状を頂いた。若君に当てた物だったんだけど、私にも一首、梅の枝に結んだ和歌を送ってくれててねぇ。
風吹けば峰にわかるる白雲の、行き巡りてもあわむとぞ思う——という、歌を頂いた。
若君が微妙な顔をしてたなぁ。
ぜひ、またお会いしたい、という意味しかないと思うんだけどね。
はっきり言って私は歌が苦手だ。
ものすごーく。
なので、再会を望む歌への返事っていってもなぁ。
えらく悩んだ末に——。
白雲の流るる先は分からねど、縁の糸の綾こそ織らむ。
きっと、また、会えるように尽力します。という意味を込めて、真葛の枝に結んで返すことにした。常緑種とはいえ、冬の葉は貧相だったけど、許してくれるだろ。北斗くんなら。
それに、また、若君が微妙な顔してたけどね。
仕方ないだろ、何度も繰り返すけど、私は歌がすごーく苦手なんだから!
「さて、竃の神に酒を上げたら、杜若では今年初になる食事を作りましょうか」
「お手伝いします!」
「雑煮でも作ろうと思ってるんですが」
「いいですねー」
ほんとに、お正月らしくて良いよね、雑煮!
独楽は各部屋の換気を行いに、白砂は牡丹の宮から引き上げた荷物の整理に、各自が動き出したのに——。
「なあ、俺、甘酒が飲みたい」
なんでか若君だけが、台所から居なくならない。
守谷さんが微笑んで頷く。
「仕込みがありますけど、夕刻にはできると思いますよ」
「頼む」
嬉しそうだな、守谷さん。
「若君は甘酒がお好きなんですか?」
「はい。正月といえば、甘酒を強請りますねぇ」
「へぇー」
上がりに座ったままで、若君が口を挟む。
「守谷のは格別に美味いんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。べったり甘くなくてさ」
——ふぅむ。
まあ、この二人は主君と従者というより、親子みたいに仲が良いからな。
「なら、師匠にも持って行って良いですか? 灰色さんが戻ったら、月翠庵へ連れてってもらう約束してるんです」
「構いませんよ。前日に頼んで下さいね。仕込みますから。今回は少し多めに麹を仕込みましょうか。今年は人も多いですし。明日も飲めるように。手伝ってもらえますか、楓ちゃん」
「もちろんです」
柔らかく米を炊くんです、という守谷さんの指示に従いながら、雑煮と甘酒の準備をする私達を、飽きる様子もなく若君が見ていた。
要するに、守谷さんが居なくて寂しかったのかな?
若君は騒がしいのが嫌いみたいだし、祝宴続きで疲れたのかもしれないな。
言葉も少なく立働く守谷さんの姿は、それだけで杜若に帰って来た事を実感させてくれるしね。
シュンシュンと湯の沸く音や、野菜を切る刃物の音、衣擦れに混ざって聞こえる不規則な足音は、冬の午前らしい淡い陽射しと相まって、乾いた体に白湯が沁みるような、優しい気持ちになる。
人参の皮を剥く私の後ろで、守谷さんが若君にも仕事を振った。
「嵐龍様。そうしてるなら、餅を焼いて下さい」
「……いいけど、幾つ焼くんだ?」
「そうですね。若君はいくつ食べます?」
「三つくらい」
「私と楓ちゃん、白砂が二つづつで、九つですかね。七輪を出しますから——」
「いい。自分でやる」
若君は手慣れた様子で七輪を出して炭の用意をする。守谷さんと二人の時には、こうして手分けして食事を作ったりしてたのかな。
よく、考えれば皇太子の焼く餅で雑煮ね。
豪勢な雑煮だよな。
少し遅い朝食に雑煮を食べ、やっと若君も書室に引っ込み、私は充てがわれた自室で気を脱いてボーッとしてた。火鉢の炭火が鉄瓶をシュンシュンいわせてて、なんだか眠くなる。
ハッと気づけば転寝をしていたようで、私の上に何でか若君の羽織が被せられてた。
「……?」
シワになるじゃん。
起き上がって、襖の向こうの若君の部屋へ入ると、若君が腕枕で転寝してた。
羽織を伸ばして衝立にかけ、薄掛けを持ってきて若君に被せる。けっきょく、私も若君も気疲れしてたんだな。
「……お疲れさまでした」
火鉢の様子を確認して、大きく伸びをした私は、障子が開きっぱなしの廊下に出て外を眺める。大きな黒山が、雪化粧して聳えてた。美しい山だよね。そっと戻って障子を閉めて、風が入らないように衝立を移動した。
静かな午後を過ごしながら、年が変わったんだなって実感する。
私も若君も、一つ歳を重ねたんだよね。
——今年は彼も元服か。
寝息を立ててる若君の部屋を出て、自室で紙を用意して墨を擦る。
さて——会ったことないけど。
守谷さんの奥様に何を書こうかなぁ。




