36 黒髪の姫
帝が話してくれた青国の伝承というのが、また、胡散臭い。
時は神々が地上を支配していた神世の時代。国々は生まれていなくて、戦乱と混沌が支配していた。海に面した青国の祖国は、魔法使いと神が争う土地であったそうな。
戦乱を憂いた黒龍神が神々を平定した後、赤鳥神、白獅子神、黄虎神、そして青馬神の四神を選び、土地の人間と契って王の祖を産めと申された。
その折、青馬神が選ばれたのは黒髪、黒い瞳の乙女であり、魔法使いの里の姫であったと——。姫は魔力を失うことを憂い、国を出奔して青馬神を逃れたのだが、青馬神は海を渡り姫を連れ帰る。
そのおり、青馬神は姫と約束を交わした。契って生まれる王は、神気と魔力を併せ持つ偉大な者として誕生する。決して魔力は奪わないと——。
聞いてた私は力強く首を振ってしまう。
「いやいや、有りえないでしょ。それとも、アレなんですか? 青国の王族は魔力を持ってるんですか?」
帝も苦笑を浮かべながら首を振る。
「聞いたことがねぇな」
「でしょー! 御伽ですね。信じるなんて、信じられない」
「けどな、重要なのはそこじゃねーんだ」
「ええ?」
帝はハッとため息をつく。
「実際に神気と魔力を持ててるかって事が問題じゃない。青馬神と魔法使いの乙女が契ったことで、偉大な王が誕生する。そっちが重要なんだよ。人民ってのはな、自分たちの土地を治めている王は、特別で選ばれた者であるって思いたいんだ」
——うーん。
気持ちは分かるけどもなぁ。
誰だって、自分は強大な守護者の配下にいるって思いたいもんだ。まあ、黒国の帝や若君みたいに、見るからに力があるなら伝承なんかいらないんだろう。
若君が片眉を上げて、少し馬鹿にするような声を出す。
「それで楓か? 他国に移り住んだ魔力の高い黒髪の乙女を、自国の王子に嫁がせて偉大な王が生まれるって神話を再現しようって?」
「ま、そういう事だろうな。伝承に則った方法で、改めて王家に箔をつけたいって話なんだろ」
私がぶんぶん首を振ると、帝は目を細めてため息をつく。
「なんてーの? そういう話を信じてる奴ってのは、自分たちに正当性があると思ってる。お前が青国の出身なのは見た目で分かるしな。自国の血を引く娘なら、青国の役にたって当然だと思ってるんだろうな。貴族連中には、そういうのがたまにいる」
……ああ。
「ええい、面倒臭い! 嫌ですよ、私は若君以外には嫁ぎません! 若君の子を産むんですから!」
ちょっと、声を大にして言いたい。
——と。
若君がバーっと真っ赤になってしまった。
帝は、おおっ、と声を出してから凄く嬉しそうな顔をする。
なんかムカつく。
「なんだ、嵐龍。奥手なのかと思ったら、ちゃっかり楓を籠絡してるじゃねーか」
「いや……籠絡とか言うなよ」
「断ってくださいよ、主上!」
私が詰め寄ると、帝はニヤニヤと笑った。
「無論だ。断る。嵐龍の玉はお前だし、俺だってお前を他国にやるつもりはねぇ。天水玉がはまってる上に二神の加護付きだぞ? こんな面白い娘を手放してたまるかよ」
——面白いって言ったね。
天水玉が貴重だとか、希少だとか。神の加護が有難いとかじゃなくて。
「けど、なら、どうするんだ?」
若君の問いに帝が不敵に笑う。
「縮小してるとは聞くが、青国の魔女の里が消えたわけじゃない。黒髪の乙女なら、青国にもいるわけだ」
「……魔女の里の娘を王太子に嫁がせる気か?」
「冴えてるじゃん! まあ、それはこっちに任せとけ。俺だってダテに歳を食ってるわけじゃねぇよ。上手くやっとくさ。まずは、お前の元服と楓の裳着式だ。そうしたら、とっとと婚姻しろ」
——若君が、少し眉根を寄せる。
「え……婚姻は、もう少し後にしてくれないか?」
「はぁ? なんでだ? 楓はお前の子を産むって言ってるんだぞ?」
キュッと唇を噛んだ若君は、思案気な顔のままで繰り返した。
「分かってる。けど、婚姻は——待ってくれ」
少し硬い声で繰り返すもんだから、帝も言葉を引っ込めた。
「……まあ、お前がそう言うなら急がないが」
「楓を他国へ嫁がせる気はないし、俺が嫁にもらう気ではいるから」
何かを決めてるような若君の表情に、私は私でなんとなく不安になる。
「何はともあれ、俺の元服が先だしな」
帝の言葉も、何か歯に挟まったようなキレの悪い返事になった。
□
宿泊する部屋に落ち着いた私は、独楽と一緒に湯屋へ案内された。さすが帝の住まいというべきか、湯屋がいくつかあるらしい。若君は別の湯屋へ白砂と一緒に向かった。
独楽の体というのは、元が木製の所と陶磁器の部分に別れてた。胴は木製で、顔や手足は陶磁器だったものだから、胴の部分を濡らすのは厳禁なのだ。全部が人と同じように見えてるけど、元の物質の影響は出る。胴は乾きにくいんだよね。
なので、髪を洗う時も胴を濡らさないように気をつける。一人では洗い難いから、私が手伝うんだよね。襦袢姿になった独楽の髪を洗いながら、さっきの話を思い出してた。
「……独楽。若君は、私との婚姻に気乗りしないのかな」
二人きりだと思ったら、思わず愚痴のようなものが溢れる。独楽は髪を洗われてるから、首を動かす事もできないんだけどね。
「まあ、仕方ないけどね。見た目ともかく、私は若君の倍は歳がいってるんだし。可愛気のある方じゃないしね」
桶の湯を替えながら、独楽の髪を濯ぐ。なんというか、本当に、これじゃ、ただの愚痴だよなーって思いながら。
ただ——前のように、若君が好いた姫と仲良く暮らせればいい。
そう素直に思えなくなってる自分がいる。
そりゃ、今だって若君には幸せな生活を送って欲しいと思ってる。
思ってはいるのだが——そうか、他国の姫君と婚姻話か。
濯いだ髪を絞って、独楽の頭に乾いた手ぬぐいを被せて拭く。独楽はこのまま脱衣所の方へ行き、体を拭いて入浴の代わりとするんだが——ギュッと、独楽が私を抱きしめた。
「独楽?」
彼女は無言で私の頭を何度も撫でる。
「はは、大丈夫だよ。別に気落ちしてるわけじゃない」
口ではそう言いながら、胸の奥がチリチリと痛んだ。
私が子を産めば、若君の肩の荷が降りる。
だから、私が子を産めばいい。
今でもそう思ってる。
——産んだ子の顔くらい見られるだろうしね。
若君の子なら、きっと、すごくヤンチャで可愛いだろう。
その役を務められるなら、私は幸運だとも思う。
若君と長く過ごせなくても。
子の成長を——見届けられなくても。
だけど、せめて……彼が愛する人を見つけるのが、私の死んだ後でありますように。そんな我が儘を祈るようになってしまった自分が、少し悲しいだけだ。
独楽が私をきつく抱きしめる。
私はため息交じりに独楽の濡れた髪を撫でた。
「大丈夫。これでも私は、ずっと、年上のお姉さんなんだから」
——そう。
大丈夫。




