31 花の数だけ
今になって、私は真澄様に多大な感謝の念を感じる。
姫装束——素晴らしい。
色付きの半襟、雅な着物、帯に帯紐、薄衣を重ねて髪を下ろす。丁寧に梳いて、油を馴染ませ形を整えて、独楽がくれた色布で結ぶ。香り袋と懐剣を懐にしまい、首から守り鈴をかけて襟にしまい込む。
こうやって、手数を掛けて身支度することで、私は姫を演じる気構えが持てる。
——うむ。
これは娘の戦装束。
ゆめゆめ、自分の中身をさらけ出すことなかれ!
鈴の音にビクッとしても。
梅の香に包まれた私は、呼吸一つで平常心。
——平常心!
襖を開いて若君の寝所へ行き、三つ指ついて頭を下げる。
「おはよう御座います」
「……ああ」
目は伏せとく。
若君を直視しない。
「ええと。着替える」
独楽が少し不思議そうに首を傾げても、若君が戸惑った声をだしても。
「独楽。若君の着替えを手伝って下さい」
私は布団を片付けて、顔を洗う水を汲みにゆく。
そう……あんまり近寄らなきゃいいんだ。
朝食の時も目は伏せたままで——。
「楓ちゃん。変なものでも食べたの? なに、真面目に姫をやってんのさ」
濃紫が絡んでくるのが面倒くさい。
返事をしないでいると、覗き込んで来やがった。
「ねえってば」
「濃紫様。女性を覗き込むのは如何なものかと」
「……女性って」
一応は女性なんだよ。
ギロッと睨むと首を竦める。
「真澄さんが乗り移った?」
「お食事中ですよ。お行儀が悪いです」
若君と守谷さんが、なんとも言えない目で見てくる。
「楓ちゃん。杜若にいる時は、普段通りでいいんですよ?」
「……守谷様。普段がおざなりでは、いつボロが出るとも限りません」
若君がふーっとため息をつく。
「お前がそんなだと、調子が狂う」
「若君の元服が済みましたら、私も裳着式だと聞いておりますが」
「……そうだ」
「いつまでも童ではいられないと仰ったのは、若君ではありませんか?」
「いや……まあ、そうだけど」
独楽の隣で、側付き修行中の白砂が関心した声を出した。
「流石で御座いますね。元が魔法使いとは思えない姫ぶりです」
「……ありがとう御座います」
白砂、いいフォローだ。
濃紫が小さく笑った。
「まあ、いいか。どうせ長くは続かない。どうしたって、中身は楓ちゃんだしね」
若君と守谷さん、独楽まで一緒になって頷いてる。
なんて失礼なヤツらなんだ。
とりあえず、朝食が終われば若君とは顔を突き合わせない。ほっと息をついて、姫装束を軽めに解く。薄衣を脱いで袴を履いて、髪を首の横で括り直して掃除へ。
「よう、楓。お前、最近、様子が変だって?」
「灰色さん。開口一番がそれですか?」
「だってよー。濃紫が楓らしくないって愚痴るんだ。面倒だから、元に戻れよ」
冗談じゃない。
なんだって濃紫のために鎧を脱がなきゃならんのだ。
「灰色さんと居る時は普通なんだし、いいじゃん」
「だよなー?」
その目、やめて。
分かってる。分かってるから。
灰色さんは、感情を嗅ぎ分けちゃう人だ。
どんだけ演じたってさ。
でも——だからこその香り袋だ。
花の香を纏ってれば、少しは誤魔化せるはず。
——はず。
「楓が変になるのは、若君の前だけだろ」
「だー!! 灰色さん!」
「言わない。言わないって! けどなー。そのやり方はどうなんだ?」
「……どうって?」
「まあ、こっちに来て、座れ」
灰色さんは雑巾を掴んだ私を呼ぶ。
仕方なく、横に進んで正座すると——。
「俺にも身に覚えはあるさ。今の嫁に出会った時には、何をどうすりゃいいのか分からなかった。だがな、自分を偽ったって仕方ない。そうじゃないのか?」
「……だって、どうせ来年は裳着式だし。姫扱いは増えるし」
灰色さんは、うんうんと頷く。
「お前の気持ちは分かってるがな。偽った姫姿なんぞが続くと思うか? そうじゃない。素で姫にならんと意味がないんだぞ?」
——意味が分からん。
「花の数ほど色があり、香りがある。そういう事だ」
「またー。意味のありそうで無い話はやめようよ」
「ひでぇな。意味はある。菊は梅にならんし、桜は桔梗にはならん」
「……無理が透けてるって話か」
だって、こうしてないと——どうにも狼狽えてしまうんだよ。
「お前が初なのは分かったが、だからって逃げ回っても解決しねぇ」
不貞腐れて灰色さんを睨むと、彼は大きなモフモフの手で私の頭を撫でた。
「ちゃんと自分に向き合え」
「………」
「怖くはない。誰でも通る道だ」
「…………親父くさい」
「俺は親父だからな。こう見えて、五人の子持ちだ」
「ふぇ、ご、五人?」
それは知らなかった。
灰色さんて、子沢山なんだな。
彼はモフモフした耳をピンと立てる。
最近の灰色さんは冬毛なので、ひときわモフモフしている。
「娘も二人いる。いつかは、相手を見つけて恋をするんだろ。そんで、嫁いで……行くんだよな」
遠い目をしてるな。
私と娘を重ねるなよな。
というか——恋とか、いうな。
恥ずかしいな。
「しかし、お前にはビックリだな。二十七年、一度も浮いた話が無かったわけか? 若君が初恋なのか?」
そんな話をしてるだけで、頭に血が上ってくる。
ぽっぽっと湯気でもでそうだ。
灰色さんがビックリした顔で、あんぐりと口を開けてる。
「……楓」
「なんだよ」
「お前、自分の事が分かってねーな」
「はぁ?」
「今、メチャメチャ、可愛いぞ?」
——何を言ってるんだ、灰色さんらしくもない。
「こりゃ。あー。不味いのかもなぁ」
「何がよ」
「いや。お前には、まだ、天水玉が嵌ってるだろ。嵐龍殿は若いし、お前を憎からず思ってる。見せて良い表情じゃねーわな」
灰色さんは、腕を組んで熟考に入ってしまった。
真面目に聞いてた自分が、少し馬鹿に見えてくる。
仕事あんだよ。
掃除しないと終わらないしな。
「いや。そうか、そうだな」
「なに?」
「やっぱり、そのままで居るべきだな。ただし、二人きりになるのは辞めとけ」
「……灰色さん。微妙に若君に失礼だな」
「大人の知恵だろーが。落としとけ、ただし、手は出させるな。これだろ」
——殴っていいだろうか。




