3 幻視蒼穹弓舞
幻視蒼穹弓舞というのは、魔法使いが踊る弓舞のことだ。どうして若君に舞わせるという話になったのか分からないが——あの帝の事だ。面白いから、という理由だけかもしれん。
「若君。弓の角度が違います。蒼穹弓舞の場合は、中天を射るんですよ」
若君が杜若の宮の庭で、斜め四十五度から九十度に弓を動かす。
——うむ。
若君には、魔力は流れていない。だが、彼は人を圧する龍気の持ち主だ。霊格が高い。その霊気は周りの空気を震わせるようで、赤く陽炎のようなエネルギーが立ち昇って見える。
「そこから、飛び上がって一回転し、地面を打って再び中点を射る」
魔法使いの場合、自分の体の重みをコントロールしたりするので、妖霊のように妖しく舞う。そこが魔法使いの舞の味なんだが、若君の舞は若君の舞で、勇壮にして美麗でよろしい。
私は賞賛の意味を込めて手を打ち鳴らした。
「素晴らしいですね。これなら、黒龍神も喜ばれます」
「……そうか」
「はい。もう私の教える事は御座いません。では、仕事へ戻ります」
若君に舞を教え出して一週間。
時間を作る為に手を抜いた掃除が滞って、山積みになってる。
「おい!」
「はい?」
まだ解放してくれないのか。
お姉さんは早く仕事に戻りたいのだが?
若君は少し不機嫌な顔をしてジッと私を見つめる。
なんだい。何か文句があるのかい?
「一度、通して舞え」
「え? 私がですか?」
「そうだ。通しは見たことがない。参考にしたい」
「……さようですか。分かりました」
私は子供用に小さく作られた弓を持った。若君は儀式用の装飾の多い弓を使っているけれど、十歳の体の私には少し大きいからね。舞えないこともないけどさ。
この舞は動きに重みを感じさせないこと。
とにかく軽やかに舞うのが美しく見せるコツ。
今の私に魔法は使えないが、子供なので体重が軽くバネがある。軽く舞うには好都合の身体だ。
弓を構えて地面を足で打ち、中点を射って飛ぶ。身を回転させて、着地と共に足を鳴らし、中天を射って飛ぶ。繰り返しながら、回転を増やせる時は増やす。軸はぶらさずに、中天のみを何度も射る。
青い空の一点を射ることで、その向こうの宇宙を想像する。暗闇に輝く星々、その星を抜けて矢が流れ星になるような気持ちで——射る。
本当に射るわけではなけれど、私の弓は中天を目指して飛んだ。そう確信して舞を終える。
「すっごーい! さすが、楓ちゃん」
濃紫の奴が拍手しながら庭に降りてきた。
舞終わって気分が良かったのが台無しだな。
「そりゃ、どうも」
「猿かと思ったよ。クルクルとよく回ってた」
「そういう踊りだからな。若君、よろしいでしょうか?」
早くその場を去りたくて、若君を振り返って了承を求めたのだが——。
「……えっと。若君?」
なんだか、ボンヤリして私を見てる。
大丈夫かな。
「どうしました。嵐龍様、目が回りましたか?」
濃紫に問われて、ハッとしたように首を振った。
「……魔法は使ってないんだよな」
「使えないので」
「魔法を使えば、もっと凄いということか。見事だった」
——え。
まさかの手放し褒め。
「……畏れ入ります」
「良かったね、楓ちゃん。君の舞は月光宗元様のお墨付きだし。うん、僕からもお墨付きをあげよう」
「濃紫に褒められても、褒められてる気がしないな」
「素直じゃないなぁ」
「私の舞を褒めてくれるのは有難いがね。若君の舞も素晴らしい出来だよ?」
濃紫は微笑んで若君を見る。
たぶらかすなよ、流し目くれてんじゃないぞ。
「そりゃ、そうだろうね。嵐龍様は龍気の持ち主だ」
「うん。なので、奉納には全く問題ない。では、私はこれで仕事に戻る」
「ああ、楓ちゃん。君が気にしてた天井あたりの埃ね、僕の使い魔が掃除したから。漆の磨き上げも終わってるし、洗い張りに出す着物もバラしてあるよ」
——使い魔だと。
「濃紫。使い魔を持ってるなら、なんで始めから出さない!」
「えー。だって、福ちゃんは僕の仕事を手伝ってたからさぁ」
「……お前のことだ。まだ、使い魔を隠してるだろ」
「ん? ネズっちのこと? ダメだよ。ネズっちは体が小さいから」
「くそっ! 私だって魔法が使えれば、独楽を呼び出すのに」
「ははは。ざーんねん」
この性悪男め。
そうやって私を嘲って楽しいのか。
「ああ。でも灰色なら貸してもいいかな」
「……え?」
濃紫が薄く笑って指を弾くと、大きな灰色狼が空中から落ちてきた。
いや、灰色狼男だ。スチャッと地面に膝をつく。
「お呼びでしょうか、濃紫様」
半人半獣は五色帝国には多く存在する。
だが、使い魔にはならないはずだが——。
「悪いけどさ、そこの娘の手足になってやって。あー、あと。守って」
チラッと私を見た狼男の金色の目には、黄色い瞳孔が縦に走ってる。
夜目の効きそうな目だ。
「面白き娘でございますね。髪も目も一色ですか」
「楓ちゃんって言うんだ。国宝だから大事にね」
私の髪と目が黒一色なのは生まれつきだ。
五色帝国では非常に珍しい。
この国の人たちは、二色三色と色が混じるのが普通だからね。
「国宝なのは私じゃなくて宝珠ですけどね」
「その宝珠が嵌ってるんだから、楓ちゃんも国宝みたいなものでしょ? まあ、灰色は役に立つよ。身体能力が飛び抜けてるからね。幼い僕の側付きだったんだし」
……側付き?
ああ、聞いた事はある。
この男、結構な身分の男だって。
魔法使いというのは、身分に左右されない珍しい職業だ。魔力が流れていなければ、魔法は使えない。使える者は、身分に関係なく魔法使いになれる。魔力の流れる者が非常に珍しいからだ。
よって、魔法使いの世界は狭い。
誰が誰の弟子、誰がどの魔法を使う、そんな話は筒抜け。
まあ、その中でのヒエラルキーはあるんだけどね。
魔力の量、使える魔法の種類で国からもらえる給金も違ってくる。
たいがいは水系なら水系、火炎系なら火炎系、一種類か、よくて二種類の系統を納めてる。玉が嵌る前の私は、水魔法と光魔法が使えた。
濃紫は火炎魔法と光魔法に加え、闇魔法が使えると言う——化け物だ。普通は相対する系統の魔法は使えない。光と闇は相殺する。火炎と水も相殺する。そういうものなのだがね。
「濃紫先生は側付きがいるような育ちなんですね。そういえば、良い所のご子息でしたかー。見えませんけどね」
「ははは。うちって良い所なのか。知ってるだろうけど、僕は出自が黒国じゃないしね」
「それは謙遜ですか? マウントですか?」
「楓ちゃん。僕にトゲトゲするの止めよう。灰色が牙を剥き出しちゃってるよ」
——本当だ。
鼻にしわ寄せて威嚇の表情だね。
「食いつかなきゃ良いです」
「大丈夫だよ、灰色。僕と彼女の会話はじゃれ合いみたいなもんだから」
「気持ち悪い事を言うな」
「照れなくていいからさ」
私は濃紫を無視して、若君に頭を下げた。
「では、私は仕事に戻ります。守谷さんのお手伝いが残ってますので」
若君は複雑な顔で、私、濃紫、灰色を見てた。
「……濃紫。獣人にソイツを守らせるって話だが、身が危ないのか?」
濃紫はヘラヘラっと笑って手を振った。
「いいえ。今すぐ危ないとか、そういう話ではないですよ。ただ、宝珠の事が少しでも漏れれば、狙われるでしょうね。他国にとっては黒国との良い交渉材料です。命を奪えば稀代の呪いが発動する。殺して敵対国に放り込めば、ちょっとした兵器になりますし」
——知ってたけど、人をウェポン扱いすんなよ。
ああ、あー。
若君が暗い顔になっちゃったじゃん。
彼はまだ多感な年頃の少年なんだからね。
古狐みたいな自分と同じ土俵で語るなよな。
「大丈夫ですよ。だから、私は宮に居るんです。若君の側なら安全だからですよ」
私がそう言って笑うと、彼は軽く息を吸ってから頷いた。
「そうか……そうだな」
「はい。若君が気に病む事じゃありません。今は神楽舞の成功を第一に考えましょう。頑張って準備して来たんだし」
「……分かった」
言い過ぎを謝りに来てから、若君はだいぶん素直になった。
側付きや侍従は替えが効かないんですからねって、守谷さんに散々しぼられたらしいというのは、後で知った事だけどね。