22 北斗くん
赤国について城へ案内された若君が眉を顰めた。城というのは、黒国のような宮とは違う。前庭の広い、でっかい屋敷みたいなものだ。
二階建てで、宮とは違う豪華さがある。柱は石造りで細かな彫刻が施され、前庭には——噴水っていうのか? 天女の石像が持つ亀から、水がコンコンと湧く小さな池が作られてる。
庭に植わっている草花も派手だ。真っ赤な立葵や、芙蓉、ピンクの薔薇などで構成されてる。王女が好んだのかもしれないな。薔薇の下には花々を眺めるのに最適だろう、小さな腰掛が置かれて居た。庭の中央を石造りの細い小道が城の扉へ伸びている。
一見すると美しい庭なんだが……。
枯れた花や葉が落ちてそのままになっていたり、影になる部分には雑草が伸びていたりと、あんまり手入れが間に合っていない感じで残念だ。
城の大広間に通されて、若君の機嫌がいっきに悪くなった。
「篠殿。俺は神殿に泊まりたいと言ったよな?」
「伺ってます。そういう手配もしていますよ」
「なら、なんで城なんだ?」
「神殿では食事の用意に無理が出ますので」
「食事? こんな豪勢な祝宴を誰が用意させた」
「……え? いや。皇太子様をお招きするには、この程度はさせて頂かないと」
祝宴。確かにな。
広間のテーブルにはご馳走が並び、酒に果物、珍しい菓子。
とても三ヶ月も雨の降らない国のもてなしじゃないよな。
「お待ちしておりましたぞ、皇太子様」
福々と太った薄紅色した翼の男が、ニコニコ顔で若君に寄って来た。派手な着物から、彼が王なんだなって理解する。だけど、翼の紅色は驚くほどに薄い。彼も女神の縁者かもしれないが、赤鳥神様の血筋は王妃の方だったんだろう。
その後ろに篠殿と良く似た青年、少し若い女の子が並んでる。二人とも見目はよろしい。金茶の髪に榛色の瞳、薄紅の翼で愛らしい方向に整ってる。
「控えているのは、息子の昴と娘の葵でございます」
「赤国の王。出迎えは有難いが、俺は祝宴に招かれたわけじゃない。旅で疲れてもいる。神殿の方に移動させてくれないか」
「お疲れはごもっともでございますが、だからこそ! たっぷり食べて、英気を養って頂きたい。さぁさ、こちらへ」
若君が苦い顔で私に手を差し出した。
——握れと。
お前は一蓮托生だってか。
国王が薄衣越しの私を値踏みするように眺める。
不躾だな。お前も、お前の子供達も。
「こちらが皇太子様の姫でございますか、ずいぶんと幼いのですな」
「許嫁だ。一緒に笛を奉じる」
「では、姫様にも英気を養っていただかねば。姫様はこちらへ」
「俺の隣だ」
若君に軽く睨まれて、国王が少し引きつった。
「……これは、失礼を」
篠殿に視線を送ったあたり、本当なら私は彼にくっついているはずか。
若君を一人にする手はずだったのかな。
「さあ、さあ、どうぞ。ごゆるりと。葵、皇太子様に酒を注げ」
赤紫の振袖に幅の広い袴のような姿で、不思議な形に帯をしめた王女が酒壺を持つと、若君が杯に手を置いた。
「俺は元服前だ。飲まない」
「……え。あ、ええと。では」
「水でいい」
「まさか、せめて果汁など」
「水が出せないのか?」
「いえ…篠。水を」
神官を女官扱いかー。
よく見ると使用人も少ない。
呆れられて、出て行かれたかな。
「守谷」
守谷さんが若君の後ろに控える。
毒味役だね。
国王は少し鼻白んでる。
若いと見て皇太子を甘く見てたんだね。
——と、王女がパタッと杯を倒して私の着物を汚した。
「す、すみません。すぐに着替えを、ささ、あちらへ」
「おい。葵、お前はなんと粗忽な。申し訳ありませんな、若君。姫様の衣はすぐに代えさせますので」
王女は半ば強引に私を立たせると広間を出て、城の裏口から突き飛ばして扉を閉めた。開けようとしても、外からはビクともしない。締め出されたわけだな。
ふむ。
なるほど?
私が居ると邪魔なのか。
薄暗い裏庭を見回して、どうしたモノかと思っていたのだが——。
「え?」
打ち捨てられたように草だらけの祠が、ポツンと裏庭に立っていた。
煤けてはいるが作りはすごく立派で、小さいながら精巧な鳥飾りが屋根を飾っている。
これ——赤鳥神様の祠だろうが。
どれほど放置してたんだ?
祠の周りの空気が淀んで、どよんとしてる。
これは不味いだろ。
掃除道具はどこかと、ウロウロしてたら、少年に声を掛けられた。
「あの、お客様ですよね? どうなさったんですか?」
「君、ちょうど良いところに。掃除道具を貸してくれないかな」
「は?」
「あれ、あそこの祠! 赤鳥神様の祠でしょうに、あんな様子じゃ寄ることもできないでしょーが」
彼は唖然として祠を見ていた。
「ねえ、掃除道具。貸してくれる?」
「あ、はい。すぐお持ちします」
うむ。良い子だ。
私は薄衣を脱いで近くの枝にかけ、袂から紐を出してタスキがけする。着物の裾を帯に挟み、しゃがみ込んで草むしり。
「あ、お客様がそんな」
慌てた様な少年が、走り寄って来て私を止めようとするけど、これは放置しちゃダメなヤツだろ。
「いいから。私の事より、祠の埃を払ってくれないかな? 飾りを壊さない様に丁寧にね」
「え、あ……はい」
よく見れば、彼は赤い翼を持つ少年だった。
ということはさ——。
「ねえ、君って王族じゃないの?」
「はい。僕は末の北斗といいます」
「なんで祝宴にいないの?」
「僕はここに住んでないんです。神殿の方に住んでいるので。それより、お客様こそ、なんでこんな所に?」
「君の姉に締め出されたみたいだよ」
「え! な、なんてことを……」
本気で狼狽えてるな。
この子、歳はいくつなんだろうか。
「君って歳は幾つなの?」
「僕ですか? 十三歳です」
「なるほど。君が一番まともだねぇ」
「まとも?」
「客を締め出したりしなさそう」
「……本当に、申し訳ありません」
二人で祠の掃除をしながら、最近の赤国事情を聞くことになった。王家の子にしては質素な着物を着てるな。生成りの単衣に黒袴。なんだか、礼装を思い出す。
「ねえ、君、赤国って雨が降ってないんだって?」
「……そうなんです。もう、三ヶ月になるかな。きっと、赤鳥神様が怒っていらっしゃるんだろうって、皆んなが」
「皆んな?」
「はい。神殿には、神官見習いの方々がいます。僕は彼らと暮らしてるので」
「城には住まないの?」
「僕は末っ子で、居ても邪魔になるようなので。母が亡くなってすぐ、ここを出ました」
末っ子だから邪魔ってことはないだろ。
まあ、居心地が悪かったんだろうけどね。
「城の祠がこんなじゃなぁ。神事はしてないの?」
「祝詞は挙げているんですけど、春の奉納祭もあまり良い出来ではなく。まさか、祠の掃除すらしてないとは思いませんでした。これじゃ、いくら祈っても届かないわけですよね」
「だよなー。そういえば、今日はどうしたの?」
「黒国のお客様は神殿の方に泊まると、そう聞いて迎えに来たんですけど。それこそ、扉が閉まってて入れなかったんです」
「あらら。何を考えてんだろうね」
私が呆れたように言ったもんだから、第三王子が身を縮めた。翼まで縮こまって見えるから、可哀想なくらいだな。この子のせいじゃないのに。
「すみません……ご迷惑をおかけします」
「はは、私は良いんだよ。宴会より、祠の掃除してる方が落ち着くし」
「あ、それは分かります」
「君って良い子だねぇ」
私がしみじみと言ったら、彼はクスクスと笑い出した。笑うと、可愛らしさに拍車がかかるな。着飾った姉よりずっと愛らしい。
「可笑しかった?」
「いえ。まるで年上のように話す姫君だなって。僕と同じ年くらいに見えるのに」
「あ、あー。ごめんね。時々、自分の歳を忘れちゃうんだよ。君の方が歳上なのにね」
「かまいませんよ。どうぞ北斗と呼んで下さい」
「ありがとう。私は楓というんだよ」
思わぬ手助けが入ったので、祠は思うより早く綺麗になった。乾燥のせいで草が浮いてたのも功をそうしたな。
「うん。良い感じになったね」
祠の周りの淀みが消えたようだ。
やっぱり、神の宮は清廉でないとね。
「あとは、お水を差し上げたいな」
「それでは僕が汲んで来ます」
北斗くんは嫌がらずに自分から走って行った。
うん。良い少年だ。




