20 胡蝶の舞
赤国の方の手配で、旅の準備は着々と進んでる——らしい。赤国というのは、山がちな国で、火山大国だと聞いている。
赤鳥神というのは火と楽の神として信仰されてる。火炎を食うとも言われ、真っ赤な美しい鳥姿だそうだ。黒龍神は天候を操り、舞と戦を司る男神だが、赤鳥神は女神だそーだ。
まあ、五国の中心が黒国であることからも分かるが、神の中心も黒龍神様だ。黒龍神様は死者を見張るとか、輪廻の番人とか、そういう話もあってね。雷神、天候の神としても名を馳せているという、幾つもの顔を持つ強大な神なわけさ。
中庭にひらけた廊下に座って、ぼんやりと山を見つめる。深い緑に覆われ、そびえ立つ黒山の頂上。そこに、黒龍神様の本殿が建設されてる。麓の社は仮住まいだ。
「何を呆けてるんだい?」
濃紫が私の横に座った。
「珍しいじゃないか。最近は真面目に仕事してて居ない事が多いのに」
「仕事はしてるってばー。たまには休ませてよ」
はーっと深い息を吐いて、私が眺めてる山へ視線を移す。
「黒山って、いつ見てもデカイよね」
「そうだな。なあ、濃紫。なんで黙ってた?」
「ええ?」
「お前は、私に許嫁の話が来てるの知ってたんだろ」
「言いたくない事は言わない主義だよ。楓ちゃんの嫁入り話なんか口にしたくないからね」
ジロッと睨んだら、軽く笑った。
相変わらず、容姿だけは整ってるな。
こいつ、本当に来年で三十歳かよ。
「それに、師匠も始めは断ってたからね」
「あー」
「ねえ、それより笛はどうなの? たまに聞こえてくる感じだと、結構いける感じになってるけど」
「いけるって?」
「赤鳥神の加護。付きそう?」
「そんなの、分からないよ」
濃紫は後ろに腕を伸ばして体を支え、あーっと言いながら伸びた。
「早く三神の加護がついちゃえばいいのに」
「簡単に言わないでくれるか?」
「だって、そしたら玉が外れる」
「まーなー」
「外れたら、皇太子に嫁ぐ必要ないだろ」
私が振り返ったら、濃紫はへにゃっと笑った。
「そりゃ、宗元という位は貴族の中でも低くない。皇太子妃を出すのに、遜色がある家格じゃないよ? けど、大臣達にだって姫はいるし、他国にだって姫はいる。亡くなった皇后様は黄国の第二王女だったしね」
「お前に言われなくても、私が姫の柄じゃないのは分かってるよ。けどさ、師匠が承諾したんだし。それに、神の加護がついたら、他に嫁ぐのは無理だろ。黒龍神様の加護だけで、こんなに大げさな話になってるんだから」
ふっと体を起こした濃紫が、不思議そうな顔して私を見る。
「楓ちゃん。どこかに嫁ぐ気なの?」
「若君以外には嫁がない」
濃紫の眉間にギュッと皺がよる。
「あのさ。まさか、若君に惚れてないよね?」
「は? お前、頭が沸いたのか? 年齢差を考えろよ」
「忘れてるかもしれないけど、君は十歳前後の女の子だからね」
……あ。
「その顔。マジで忘れてたね」
「あー。忘れてた」
そんな私を見て、濃紫はフッと肩の力を抜く。
「はは。そんな調子じゃ、大丈夫か」
「何がだよ」
「師匠が言ってたろ。精神は体に引っ張られる。時間が経てば、楓は歳相応になるだろうって。嵐龍様は来年で十五歳だ。見た目の釣り合いなら、今の楓ちゃんで丁度いいからね。君が恋しても不思議じゃないじゃない?」
——恋?
私が若君にか?
若君は嫌いじゃないし、話してて面白いとも思うけど。
そもそも、私は誰かに恋なんかしたことないしな。
「んー。姉のような気持ちになる事はあるね。あの子は頑張ってるんだし、幸せになって欲しいなって思う」
「人の幸せなんか、他人には分からないよ。その百分の一でいいから、僕の幸せも願ってくれないかね」
「お前、それ以上を望むつもりなのか? なんて贅沢なんだよ」
「ええー?」
「生まれ持った能力を最大限に活用できて、しかも正当な評価を受けてる。魔法使い筆頭だぞ? 何に不満があるっていうんだよ」
濃紫はハーっと息をつくと、悩ましい流し目を送ってくる。
ウザいな。
「そりゃね。僕は仕事には恵まれてるよ。けど、私生活にだって癒しがあっても良くない?」
「……いい人を見つけろ。何回も言わせるなよ。多少は歳を食ってるが、お前なら選り取り見取りだろ」
「歳食ってるっていった?」
「今の私から見たら、濃紫はオッさんだ。なんなら、父さんって呼ぼうか?」
「ダー!! そこまでの倒錯趣味はないよ。シャレにならないから止めて」
軽く口を尖らせ、濃紫が項垂れる。
「本当に。なんで、小さくなっちゃった?」
「お前に言われたくない」
「成長促進の魔法とか見つけないとなー」
「新しい魔法の開発か? ロマンだな」
「たく、口の減らないガキだな」
すっと手を伸ばして私の頭をポンポンと叩くと、立ち上がった。
「今回の赤国行き、僕はついていけない。気をつけて行ってくるんだよ」
「まあ、万が一、死んでも他国だ。国境の守りを固めて呪いを防ぎな」
「冗談でも怒るよ」
「はは。分かってる。十分に気をつける」
要するに、それを言いに来たのか。
暇人だな。
□
帝が所望した胡蝶の舞という曲は、独奏もされるが合奏に向く曲らしい。幽玄の世界を舞う二匹の蝶が戯れるように奏でるという——なんとも美しい曲だ。
若君の笛というのは、舞と同じで勇壮にして美麗、そういう思い込みがあったんだけれど、この曲を奏でている若君の笛の音は繊細で優しいものだった。
こんな音も出せるのかと、驚かされてしまう。
彼はこの曲を私に教えてくれるわけだが、なんというか——距離が近い。抱え込むように私の後ろに立って、私の持つ笛に指を乗せる。
「よく見て、指の位置を覚えろよ?」
「……はい」
この暑い季節に体温が伝わるほど近くに居られると、息苦しい気がする。
——しかしなぁ。
真剣に教えてくれる相手に、暑苦しいとも言えない。
「お前の指は細いな」
上手く笛の穴が塞げないでいると、若君の指が私の指の位置を直す。確かに、こうして比べてみると、私の手は小さく見える。ああ、幼いって悲しいな。
帝から預かった笛、胡蝶は女性向きに作られたらしく、細くできているというのにな。指さばきに苦心しながら、なんとか曲を奏でているうち、少しずつ上達してくる。
若君が名器だと言ったように、胡蝶の音は涼やかで透明な美しい音色だ。上手く吹ければ、蝶が舞う姿が浮かぶようで嬉しくなってくる。後ろに若君がいるのも忘れて、私は何度も旋律をさらってゆく。
——楽しいや。
「ねえ、若君」
聞きたいことがあって振り返ったら、思うより顔が近かった。ビクッとした若君が体を離す。
「な、なんだ?」
「合奏の時に、強弱をつけるタイミングが分かりません」
彼は少し離れて自分の笛を取り出した。若君の笛も名がついている。轟という勇壮な名前なんだが、吹き方によっては引き込まれるくらい繊細な音を出す。
「俺が奏でるところまでは小さめでいい」
そう言って吹きながら強弱を教えてくれる。
さすが笛の名手とされる若君。ずっと聞いていられるくらい上手い。
「分かったか? 始めから合奏するぞ」
「はい」
思わず緊張しながら若君の笛に合わせていく。
合奏は相手の音を聞かないと上手くいかないんだが、吹いてみると若君の音はすごく合わせやすい。
だんだん、本当に笛の音色が蝶の動きに思えてくる。若君の蝶を追いかけて、私の蝶が周りを舞う。上になったり、下になったり。戯れるように、とは、よく言ったものだな。
練習も日にちを重ね、タイミングを図らなくても笛の音が合うようになって来た頃だ。向かい合って吹いていた私たちは、視線の圧を感じて同時に手を止めた。
視線の先には、呆然とした顔の真澄様が——ハラハラと涙を流してる。
「ま、真澄様?」
「……ああ、すみません…練習のお邪魔を」
「いえ、それはいいですが。どうしました?」
彼女は袖で涙を受けながら、泣き笑うように答える。
「睦じいご様子が……剣龍様と瑠璃様のようで……」
瑠璃様か——身罷られた若君の母上、皇后様だ。
やっぱり、この曲は帝の思い出の曲か。
私は真澄様に寄って、軽く背中を摩る。
彼女は眉を寄せ、ハラハラ、ハラハラと涙を零した。
若君は何とも言いようのない表情で彼女を見ている。
それは、そうだろうな。
真澄様には懐かしい思い出でも、若君は母上が笛を吹く姿を見た事はないはずだもの。それでも、少しは覚えているんだろうか、幼子の記憶は個人によるから分からないな。
「泣くなよ、真澄。特別に、お前の好きな曲を吹いてやるからさ」
若君は胡蝶の舞とは趣の違う、華麗な舞曲を吹き始めた。
なんだっけ、花の名がついていたと思うんだけど。
まあ、何でもいいか。
真澄様が嬉しそうに聞き入っているから。




