2 若君
チリン、チリンと鈴がなる。
まったく。
偉い人の側付きなんか、するものじゃない。
私は首に掛けられた守り鈴を握って、引き千切りたい衝動と戦う。
守り鈴は主人の鈴とまじないで繋がってて、居場所を特定され、呼び出しにも使われる。普通は親が子に持たせて安全を確認するものだが——。
今の鈴の音はお茶の催促だろう。
小ぢんまりしてると言ったって、皇太子の宮だ。部屋数はそれなりにあるし、廊下や建具だって少なくない。それらの掃除は守谷さんと私の二人だけでこなしているってのに。
私は忙しいんだ! お茶なんか運んでる場合じゃないんだぞ! だから、女官を増やせばいいと言ってるのに!
握っていた雑巾を桶に投げ入れて、お茶を入れる為に仕方なく台所へ向かう。
若君というのは、女嫌いどころか、人嫌いで通ってる。
よほどの事がない限り、普段は宮から出ない。
来年は元服だというのに、こんなワガママを聞いてて良いのか。
本人の為にならんのじゃないか?
私はそんな事を思うが、あの帝の考えてることは分からない。
だいたい、私のような者を自分の息子の側に置くんだし。
「入ります」
若君の書室に入ると護衛として招かれた濃紫も居た。
だから来たくないんだ。コイツが居るから。
若君は黒髪に赤い髪が混ざり、黒目にも赤が混ざる。癖のある量の多い髪は背中まで伸ばされ、アーモンド型の大きな目をしていて、濃紫と並んで遜色のない美形だ。だが——。
「遅い」
射抜くような目で私を睨むと、不機嫌そうに湯呑みを掴んだ。
思わず押し殺した声が出てしまう。
「横柄なんだよ、お前は」
「……なんだって?」
「横柄だって言ったんだよ」
そりゃあね。
帝の一人息子だ。
未来の帝は彼だろう。
権力の頂に登る未来は約束されている。
しかし、その態度は人としてどうなのかと思うんだよ。
「俺が呼び出してんのに、早く来ないお前が悪いんだろ」
「まあまあ、若君。楓ちゃんにも仕事があるんだし」
「コイツの仕事は、俺の日常を滞りないものとすることだ」
まったく、青臭いガキだ。
少しの文句に不貞腐れた顔で睨む。
「睨めば何でも言うこと聞くと思ってます? あんたの日常を滞りないものにする為に、箒と雑巾とハタキで宮を清めてんだ。他に用はありませんね。退出します」
「ちょっと、楓ちゃん。そんな拗ねた顔しなくてもさ。笑顔、笑顔」
何が笑顔だ。
「……あと部屋三つ、掃除が残ってるんです。その後は洗濯物の片付けがありますし、守谷様の言いつけで南門まで行って食材を運んで来なきゃならないし、神楽の衣装の手配もしなきゃならないし、若君に押し付けられた文の返事も書かなきゃいけないし、もう! 女官でも、小姓でも増やして下さいよ!」
お茶を一口飲んだ若君は、独特の眼差しで冷ややかに私を見る。
「お前の給金を知ってるか?」
「知ってますよ。けどね、私は雇って欲しいなんて一言もいってません」
「そう言うけどな。宝珠の嵌ったお前が、他のどこで働ける? それとも宮中の奥に軟禁されたいのか? お前の手に嵌ってるのは、国宝だ。お前は何処へも行けないだろ」
——くそ。
若君が私の顔を睨んで、とどめのように言う。
「手首を切り落とそうなんて思うなよ? お前が身を傷つけて宝珠を解放したら、死人が出る。それも大勢な」
「……分かってますよ。だから、こうして甘んじて働いてるんでしょうが」
「分かってるなら、いい。文句を言わずに働け」
「文句くらい言う! 度量の狭い皇太子だな。そんなんで、大勢の人間を束ねていけるのか?」
若君がギロッと私を見る。
「いくらでも睨めばいいさ、私には龍気の威嚇は通用しない」
「それが主人に対する態度——」
「あんたは私の主人じゃない。私を雇ってんのは帝で、給金を払ってんのは領民だ。主人ぶるなら帝になってからにしな!」
真っ赤な霊気が小僧の体から噴き出してくる。
怒ってるらしい。
「ちょ、ちょっとー。仲良くしなさいって。二人とも黒国には、大切な身の上なんだから」
私と若君に同時に睨まれて、濃紫がヒクッと頬を引きつらせた。
こんな事態になってるのは、お前のせいだ、濃紫。
「よく、そういう事が言える。あの日、私を騙くらかして呪いの宝珠に触らせたのは、誰でもない、あんたでしょ。天水の玉だって知ってたら、ぜーたいに触らなかった!」
天水の玉は稀代の呪い玉だ。千年は前から呪われていて、数百の人間の血を吸い、数千の人間を狂わせ、戦の元になったと言われている。その呪いは今も続き、百年に一度、封じ直されている。
私は——その呪い玉を封じる入れ物にされたんだ。
「お陰で体は縮むは、魔力は枯渇するは! あんたは魔法使いを続けるっていう、私の唯一の望みを閉ざしたんだからね!!」
「いやぁ、ビックリしたよね。十日も熱にうなされてたし、身体は縮んでくし。よく生きてたと思う」
「濃紫! あんたね、人をこんな身体にして」
バンッと書机を叩いて若君が立ち上がった。
「いつまでも過ぎた事をウダウダと。納得いかない境遇なのは、お前だけだとでも思ってんのか、チビ!」
「だれがチビか!」
「お前だ!」
十四歳の少年は、そりゃ、十歳の少女よりは背が高いわよね。
これでも中身はアラサーなのよ。
上から見下さないでくれるかしら!
「忙しいから退出します。大した用もないのに鈴を鳴らさないで! お茶くらい、濃紫に入れさせなさい!」
部屋を出た私は、掃除に戻っても腹わたが煮えくりそうだった。
それでも、体を動かしている間に落ち着いてくる。
人体というのは不思議だ。
一通りの仕事を終え、あてがわれた部屋で若君の代わりに文の返事を書く。
まあ、彼が自分でやりたくないのも分かる。
女性からの恋文(たぶん、若君は相手を認識してない。それに、女性は親に言われて書いてる)
貴族からのご機嫌伺い(擦り寄る言葉が気持ち悪い)
マウント取り(アイツより俺の方が仕事できるアピール)
しまいには、若君に対する文句(もう少し周りを見ろだの、公の場に出ろだの)
一つ一つに皮肉を混ぜ込みながら、遠回しに、もう手紙を寄越すなという内容をしたためる。言葉遣いは丁寧に、慇懃に、そして無礼に——。
社会経験的には、ここまでしても、皮肉すら通じない相手もいる。
——と。
いきなり部屋の襖が開いて、若君がブスッとした顔で入って来た。
「若君。一応は女性の部屋なので、入室の許可は取って下さいよ」
「童の部屋の間違いだろ」
「あー。はいはい。それで? 何か?」
どかっと胡座をかいた若君は、私がしたためた手紙を取って読む。
仕事のチェックに来たのか?
粗探し?
「……こういう文は上手いな」
「まあ、中身は二十七歳ですので」
「本当か? たまに、見た目のままの反応をしてるよな?」
あー。
うん。
「身体と心は繋がってるので、身体に引っ張られるだろう。そうお師匠様が仰ってました」
「子供に戻るってことか?」
「長くこの状態が続けば、年相応になるそうですよ」
「ふぅん。なら、成長のし直しか」
「そういう言い方もありますね」
彼は机に文を戻すと、何度か瞬きを繰り返し項垂れた。
「さっき…………言い過ぎた」
ボソッとそう口にした。
「お前の状態が大変なのは……分かってる。すまなかった」
……おや。
こう、素直に出てこられると困るな。
「まあ、私も言い過ぎました。若君なりに努力してるのは知ってます」
彼は項垂れた首を上げた。
「手を見てもいいか?」
「どうぞ」
彼の手に掴まれると、私の手はとても小さく柔らかな子供の手に見える。その手の甲に杏ほどの無色透明な水晶が埋まっている。薄紅に見えるのは私の血の色を反映しているからだ。
「この宝珠は、天水の名を持つように水を操る魔法石だと聞いてる。お前、魔力が枯渇したって聞いたけどさ。魔法石の魔力が引き出せれば、水魔法が使えるんじゃないのか?」
若君はジッと玉を見ながら、そう呟く。
もしかして、私が魔法使いを断念したのを知って励ましてくれてるのか?
「そうですね。ただ、魔法石を使うには微量でも魔力が必要なんですよ。でも、ほら、私は子供になったでしょ? 子供の自己修復能力は高いので、もしかしたら多少の魔力は戻るかもしれない。そう、お師匠様が言いました。希望は持ってます」
そう言って笑ったら、若君は少しホッとしたように手を離した。
「嫌でなければ、側付きを続けろ」
「他に行くところは無いって、若君が言ったんですよ」
「……それは」
「私もそう思っています。私は呪い玉を封じる者になってしまったし。魔力が戻っても、魔法使いを続けるのは無理でしょう。私は、簡単に死ねなくなりましたからね」
彼は赤と黒の混ざった瞳で、真摯に私を見つめる。
「宝珠を外せる方法を探してやるから。待ってろ」
その言葉に胸がじわっと熱くなった。
不思議な気持ちだな。
ああ、なるほど。
「やっぱり皇太子なんですね。貴方に言われると、どこかに方法がある気がしてきました」
私がそう言うと、少し驚いた顔になってから眉を寄せた。
「なんだと思ってたんだよ」
普通に生意気なガキだと思ってたよ。
口に出しては言わないけどね。