18 姫どころか
赤国というのは、主神に赤鳥神を据える黒国の属国だ。黒国の主神が黒龍神であり、帝が龍神の血を引くように、赤国の王は赤鳥神の血を引く。要するにさ、有翼人が珍しくないんだよね。
この人は神官だと行ったけれど、きっと王家の血筋の人なんだろうな。翼に赤が混ざってるもの。
「作法は気にするな、篠殿。好きに発言するといい」
彼は私をジッと見た。黄色味の強い緑の瞳で、瞳孔が緑。黒国では珍しい色だ。榛色と言えばいいのか。茶色に金の混ざった癖の強い巻き髪で、動きに合わせて、ふわふわと軽く動く。
姫は視線を隠すものだ、という真澄様の言葉を思い出して顔を伏せた。私の様子に、戸惑った篠殿の言葉が続く。
「……あ、すみません。女性を凝視するなど、失礼でございました。いえ、なんと申しますか。黒曜石のように美しい瞳の方だと思いまして」
宝石に寄せてきたか。
——まあ、女は褒めろというしな。
濃紫や若君ほどではないが、篠殿も見目の整った青年だ。愛らしい、という方向にね。柔和な笑顔と甘い言葉か、好意を寄せる女性も少なくないんだろうな。
まあ、私に愛想を振りまいても無駄だけどね。
若君の姫という設定なのに、凝視する時点で地雷だろ。
私が無言で俯いていると、業を煮やしたのか篠殿が口を開いた。
「あの……私、春の神楽祭のおり、客として招かれまして。奉納舞を見せて頂いたのです。いやぁ、凄かったです。あんなに美しく、軽やかな舞は初めてみました。黒龍神様から晴れ雨をいただく程の舞を見られ、招かれた事に感謝しています」
ああ、なるほど。
これは——。
「つきましては、我が赤国でも是非、楓様に舞って頂けないかと——。来月になりますが、我が国で星祭りを行います。赤鳥神様に舞を奉納致しますので、是非にも」
むろん、私は返事をしない。
この場合、是非を決めるのは私じゃないからね。
「赤国の方。不躾を承知で言う。国の主神への奉納舞で、他国民を舞わせるというのは聞いたことがない。あなたの国にも舞い手はいるだろう」
若君の言葉に、帝がニヤついてるのが横目で分かる。
「いるには、いるのですが——。楓様ほどの舞い手はおりません。あの美しい舞を、我が神にも是非とも奉じて頂きたく」
若君がチラッと私を見る。
「断ります。これの舞は黒龍神以外には奉じません」
なるほど。
私は舞で黒龍神の加護を受けてるしな。
——と、帝が口を開く。
「すまんな、篠殿。楓は嵐龍の許嫁なのでな。嵐龍の同意がなければ舞わせるわけにいかん。だが、遠征してまで申し入れに来た篠殿を手ぶらで返すのもなぁ。どうだ、嵐龍。笛なら奉じても良いか?」
ちょっと待て。
いま、許嫁とか言わなかったか?
若君の姫という設定は、許嫁候補程度のものだろ?
私はお気に入りの側付き、じゃなかいのか?
「笛をですか?」
「おお。お前と楓で合奏してやれ」
「……俺と?」
篠殿が嬉しそうに顔をほころばせる。
「嵐龍様の笛は赤国でも有名でございます。雲を呼び、龍を呼ぶと」
「知ってるか、嵐龍。楓の笛は魚を踊らせるそうだぞ」
若君が胡乱な目で私を見る。
そんな目で見るな。
誰だよ、帝に妙なことを吹き込んだ奴は。
「魔法使い筆頭が、魔法省で自慢しておったそうだ」
——濃紫か。
口の軽い。
篠殿が若君に膝をにじり寄せて、頬を高揚させている。
外交に来て、空手では帰れないか。
「素晴らしい! 我が赤鳥神様は楽の神でもございます。是非とも、星祭りでお二方の合奏を奉じさせてもらえないでしょうか」
若君がギッと帝を睨んだら、篠殿がヒッと言って身を引いた。
威嚇されたのは帝だけどな。
「……分かりました。笛、ならば」
「そういうことだ、篠殿」
「帝位様には、若君へのお口添えに感謝致します。で、では、私はさっそく戻りまして手配を行います。失礼させて頂きます」
腰の引けた篠殿が、引きつった笑いを浮かべて襖の向こうへ消えた。
逃げ帰るとは、ああいう感じか。
そんなに若君の睨みが怖かったのかな。
睨まれたのは帝だけどねぇ。
「用は終わりましたか?」
「なんだよ、嵐龍。素っ気ない。親子の話くらいしようぜ?」
「遠慮します。おい、戻るぞ」
「え? あ、はい」
若君に引かれて立ち上がると、帝が笑いを押し殺した声で続けた。
「嵐龍。他国で楓を、オイだの、コレだのと呼ぶなよ?」
若君はムスッとしたまま、返事もしないで私を引っ張った。廊下に出ると、衝立の向こうから笑い声が響いてきて、若君の顔がますます剥れていく。
「人で遊びやがって」
「え? これって遊びですか? 許嫁って話も?」
若君が苦い顔で私を見た。
「……その話は杜若に戻ってからだ」
「なんだ、お前、まだ楓に話してないのか?」
ぬっと衝立から出て来た帝に若君が溜息をつく。
「まだ何か?」
「お前にじゃない。楓、これをやろうと思って忘れてた」
若君より頭一つ大きい帝が、少し身を屈めて私に布袋を差し出す。美しい桜色の細長い袋だ。笛だな、と、当たりをつけて両手で差しいただく。
帝の目に不思議な色が浮かんだ。
「吹き手の居なくなった笛だ。楓が吹いてくれると喜ぶと思う」
若君が笛の袋を見て、少し戸惑った声を出した。
「胡蝶ですか」
——胡蝶?
私の視線に気づいた若君が、目を細めて軽く首を竦めた。
「母の笛だ」
「……え? 皇后様の? え、ダメでしょ。そんな大切な物をいただくわけには参りません」
返そうとする私の手を帝の大きな手が握った。
そのまま私の手ごと笛を握り込む。
「吹き手のないのは寂しいだろう。妻を慰めると思って使ってくれ」
こ、困ったな。
けど——。
「もらっておけ。楽器は奏でる者のいない方が悲しいというのは、俺も同じ意見だ。胡蝶は名器だぞ」
そう、若君にまで言われてはなぁ。
「では、お借りするという形で……」
「希望としては、合奏曲も胡蝶の舞で頼む」
帝は目を細めて微笑んだ。
奥方との思い出の曲なのかな。
私が若君を見たら、彼は小さく息をついて頷いた。
「分かりました。教えます」
「おお。楓、嵐龍に手取り足取り教えてもらえ」
——いや、笛に足は関係ないけどな。
また、苦い顔した若君が投げ捨てるように言う。
「では、杜若に戻ります」
と、若君は来た時と同じように、自分の薄衣を私に被せた。
それを見て帝が、また豪快に笑った。
「ははは、隠すか、嵐龍」
「当たり前でしょう」
「そうだよな。お前の玉だ」
庭に立った若君は、来た時と同じように私に手を差し出した。
「お前が誰かを姫扱いするのは初めてみたな」
「……帝がいつまでも廊下に立ってたら、皆が怯えますよ」
「なんだよ。失せろってか? まあ、いい。赤国へ発つ前に二人の笛を聞かせろよ」
「分かりました」
機嫌が悪いのか、若君は来た時より足早だ。合わせてたら裾が絡んで足を取られた。薄衣で視界は悪いし、長い着物は裾さばきが面倒だし。だから、姫装束は——。
思わず転びそうになると、いつの間に横に立ったのか、若君が私の肩を抱き寄せて支えた。
「やっぱり転んだか」
「若君が早足になるからですよ」
「早く戻りたいんだよ。いいから、お前は口を閉じてろ」
——あ、そうだった。
姫は無闇に喋らないんだよな。
若君は、そのまま私の手を引いて、一応、転ばない程度の速度で歩いてくれた。




