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17 姫

夏の姫装束は暑い。単衣に薄衣を重ねるので、見た目はそこまで暑苦しくないんだが。いくら薄くても衣を重ねるのは暑い。ので、宮内にいる時だけは単衣で良しとしてもらってる。


「髪も結ってしまえれば楽なんですけど……」

「ダメです。多少、首に汗をかいても髪は下ろして過ごしましょうね。髪のさばき方にも慣れが必要ですから」


——ううむ。

真澄様は初夏というのに、汗ひとつ滲ませない。


「秘儀をお教えしましょうか?」

「汗をかかない秘儀ですか?」

「そうです。脇から乳房の下を通して、一周、きつく紐で縛るのです」


——はい?


「真澄様は紐で縛ってるんですか?」

「そうですよ。細紐では痛いので、少し幅がある物が宜しいですね。催し物などがある時は、そうして化粧の崩れを防ぐものです」


——うわぁ。

姫道って過酷だな。


「短い間なら水分を控える事もあります。見えない場所に濡れ布を巻くのもお勧めですよ。姫たる者は涼しげでなければなりません」


水を控えるって軽く言いますけどね。脱水って言葉をご存知だろうか。

放置すれば死をも招く、恐ろしい症状なんだが……。


そこまでして、涼しそうに振る舞えとおっしゃる。

本当に、真澄様は恐ろしい。


「では。本日はお琴のお浚いです」


まあ、宮の室内には光が入らないように葦簀よしずが下がってるし、風が抜けるように襖も葦戸すどへ変えてある。


お屋敷とはいえ、畳敷きの部屋ばかりではなく、私が稽古させてもらってる部屋は板貼りにムシロを敷いた部屋なので、そこまで暑くもないけどさぁ。


「調音から参りましょう。私が笛を吹きますので、糸調子を合わせて下さいませ。合わせたら、夏の歌を奏でてみましょうか」

「はい」


琴の時間は嫌いでは無い。

もともと楽や舞は好きな方だ。


歌だけは——苦手だけど。

なくなりゃいいのにと思うくらいだ。


「はい。手を止めて。強過ぎです。そこは弱糸ですよ、楓さん。今の押しでは一音上がってしまいます」

「……すみません」

「では、もう一度——」


——と。


「失礼します。牡丹の宮から使いが参っておりまして、帝が楓様を呼んでおられます」


守谷さんが片膝ついて言うもんだから、私は慌てて立ち上がってしまった。


「楓さん! いきなり立ち上がらない! 落ち着きなさい。使いなど、多少待たせても良いのです」

「え? いえ、だって、牡丹の宮でしょう? 帝のお呼びでは急がないと」

「源次郎の振る舞いを見なさい。あなたは若君の姫として呼ばれているのですよ?」

「へ?」


——ちょ、待て。

若君の姫ってどういことだよ。


貴族の子息の姫という言い方は、その男の恋人を指すんじゃなかったか?

私はお気に入りの側付きって設定だったろう。


守谷さんは俯いたまま顔を上げないし。

真澄様が私を見上げて口元だけで笑ってる。


「姫の作法を試される時で御座います。振る舞いには気をつけて下さいませ。では——」


立ち上がって私に自分の薄衣を着せた真澄様は、出入り口の横に移動して三つ指をつくと深く頭を下げた。


「姫様。行ってらっしゃいませ」

「え、え、ま、真澄様?」


源次郎さんが膝をついたまま、私が動くのを待ってる。

く、くっそぉ。


——姫かよ。


私は若君の姫の振りをしなきゃならんという事か。

師匠も、そのつもりで私に姫の作法を覚えさせたのか?

側付きの仕事の幅を広げる為じゃなかったか?


なんだか、嵌められた気がするな。


二人は微動だにしない。


ああ、もう。

分かったよ。


振られた役割をこなせばいいんだろ。


「行って参ります」


私が動いたら守谷さんが立ち上がった。私は片手で着物を合わせ持ち、裾の割れを防ぎながら静かに守谷さんの前を進んでく。


私は姫だからな。

うん。


後ろを歩く守谷さんから、噛み殺した笑いが聞こえるのは無視だ、無視。


回廊を進んで行くと、難しい顔をした若君が立ってた。庭にはお使いの人が、それこそ膝をついて控えてる。


「お連れ致しました」


守谷さんがそう言うと、若君が私を見て息をつく。

なんか、疲れてると言うか、呆れてると言うか、言い様のない表情をしてるな。


まあ、この茶番に付き合う若君の心情を思えば、仕方ないよなー。


「主上が呼んでるそうだ」


そう言って、自分の薄衣を脱いで私の頭からスッポリ被せた。ふわっと、若君の好きな香が漂う。独楽ってば良い仕事してるな。


帝のお使いの人が、私と若君を唖然として見てるみたいだ。

視界が薄衣で遮られてるんで、なんとなくしか分からないんだけどね。


ええと——。

この薄衣は。


あ、そうか。

身分の高い女性は人に顔を見せないからか?


いや、私はそんなに身分は高くないだろ。

魔法使いなら、そこそこの位だけど。

もう、魔法使いじゃ無いし。


いや、そういう事でもないよな。

あー。混乱するなぁ。


——若君の姫なら身分は高い。

そういう事だな。


履物を運んできた独楽が、石段の上に草履を二つ並べて数歩下がって腰を折る。

若君が先に石段を降りて庭に立ち、すっと、私に手を差し伸べた。


え?

ええと。

掴めってことか?


まあ、薄衣をスッポリ被ってるし、ちょっと視界が曖昧だしな。

若君の手を借りて草履を履き、石段を降りるとお使いの人がボーッとこっちを見てた。


「行くぞ」


若君の言葉で、お使いの人が弾かれたように立ち上がって、守谷さんと独楽に頭を下げた。私は歩き出した若君から少し下がって遅れないように着いて行く。お使いの人が私の後から歩いてくる。


まあ、お使いの人が先を歩かなくても、若君は道順を知ってるだろうしね。

立ち止まって私を振り返った若君が、軽く腕を引いて隣に並ばせた。


「転ぶなよ」


若君の気遣いに後ろの人から、おお、という声が漏れたけど無視しよう。後ろの人は、私が姫装束に慣れてないのを知らないから、若君が何を懸念してるか分からんのだろう。慣れない姿で外を歩いてる私に、裾を踏んですっ転ぶなとおっしゃってるんだけどね。


牡丹の宮は、杜若の宮が小屋に見えるくらい大きかった。いくつかの中庭を抜け、ぐるぐる回った回廊を横目にして進んでく行くと、でっかい黒龍神が描かれた衝立のある廊下へ出た。


「来ましたよ、主上」


若君が少し投げやりに言うと、中から帝の声がした。


「おう。ご苦労。上がれ、嵐龍」


相変わらず、声の大きい人だなぁ。

この人の声も黒龍神と同じで、お腹の中が震えるような気がする。


若君の視線でお付きの人が中庭を離れると、彼は先に廊下に上がって、また私に手を差し出した。どんだけ、転びそうに見えてるんだろうな。


廊下に上がると、ひょいっと私に被せた薄衣を取って自分で着込み、また私の手を取って引いた。衝立の中に入ると、帝が葦の座布団の上に座ってるのが見えた。


帝というのは、若君を三倍くらい厳つくした男性だ。


黒髪に赤い髪、白髪が少し混ざってて、若君とよく似たアーモンド型の赤みの強い目をしてる。帝と並ぶと若君が少し優し気に見えるのは、きっと、母上に似てるからなんだろうな。


「よく来た、楓。……ほぉ、少し見ない間に娘らしくなったじゃないか。どうだ、久方だ、俺の膝に乗るか?」


——誰が乗るかよ。

私が首を振ると、少し寂しそうに笑った。


「つまらんなー。前の時には膝に乗ったろうに」


いや、あなたが無理やり捕まえて膝に乗せたんだろ。羽交い締めで頬擦りされたからな。生きた心地がしなかったのをよく覚えてるぞ。


「まあ、座れ。人払いしてある。作法は気にするな、今日は二人に頼みがあってな。入りなさい、(しの)殿」


呼ばれて姿を見せた人に、私は目が点になってしまった。薄紅の翼を持った青年が、少し離れた場所に座って深々と頭を下げる。


「赤国で神官をしております。篠にございます」


帝がニヤついてる。

——あーこれ、絶対に面倒ごとのヤツだ。



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