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16 しがらむ

真澄様には、ああ言ったけれども——。


「年中演じていられたら、もっと別の魔法使いになってたってのー」


今日は十日に一度、真澄様不在の一日だ。


いつも前日の夕方に牛車が迎えに来て、真澄様は守谷様のお屋敷に戻る。守谷家は兵部の中でも位が高い。源次郎さんのお兄さんが家を継いでるらしいんだが、宮中では守谷卿と呼ばれているそうだ。


そんなご貴族様に嫁いだんだから、真澄様はご本人が生粋の姫だったってことよね。そこに矜持を持ってるのも、思い入れがあるのも仕方ない気がする。


とはいえ。


「ゔぁー、楽だー」


姫の所作ってあんまり動かないし、疲れないかと思ったらすごーく疲れる。姿勢を保ったままで、ゆっくり動くというのは、いつもと違う筋肉を使うらしくて全身が筋肉痛になった。指先まで神経を使えと言われてるし、精神の疲労も十日が限界だ。


今日の私はお仕着せの使用人姿である。浅葱の着物に灰色袴。でも、暑いから袴は脱いでる。単衣の着物一枚で、髪は少し高い位置で結ぶ童の結い方だ。首が涼しい。


守谷さんの手伝いで、涼しい間にと庭の草むしりを終わらせた。日が高くなるに連れて気温も上がってきてる。すっかり汗ばむ季節になってきたよなー。


井戸で水を飲み、ついでに桶に水を張る。廊下の下まで運んで足を突っ込み、転がって休むと高い空に夏の雲が見えた。山陰からモクモクと湧き出す白雲。もしかしたら、夕方には雨が降るかもな。


——足を冷やすと生き返るな。


「姫は休みか?」


転がってる私の側にしゃがみ込み、若君が呆れたような顔で覗き込んだ。

朝食の時にも会ったのに、なんだか、久しぶりな気がするな。


「お休みですよー。今日の私は守谷さんの手伝いなので」

「……それにしても、ずいぶんダラけてるな。脛までだして、真澄が見たら卒倒しそうだ」

「暑いんです」


よっと起き上がった私の横に若君が座る。


「確かに、ずいぶん気温が上がって来た」

「若君こそ、休憩ですか? あれ、独楽は?」

「ウチの書庫にはない資料が欲しくてな。牡丹の宮へ使いに行ってる」

「え? 独楽が?」

「文を持たせてる。一人で使いに行くのは初めてじゃないぞ?」


いいように使ってるなぁ。

まあ、独楽は楽しそうに仕事してるから良いけど。


と、そこへ守谷さんがやって来た。

確か南門に食材を取りに行ってたんだけど。


「おや、若君もおいででしたか」


彼はニコニコと笑うと、西瓜を掲げた。


「見てください。先ほど、守谷から届きました。井戸で冷やそうと思いましてね。初物ですよ」

「西瓜か。美味そうだな」

「ええ、本当に、スッカリ夏ですね」


守谷さんが私を見て、少しだけ目を細める。


「楓ちゃん。草取りは助かりましたが、日よけを被ってなかったんですか? 日に焼けたようですけど。母に叱られても知りませんよ」

「はは、大丈夫です。白粉で誤魔化しますから」

「楓ちゃん。誤魔化せるのは顔だけですよ。腕も足も捲ってたでしょう」

「……え」


若君がクククッと、押し殺したように笑った。


「守谷も、真澄も、無茶を言うよな。魚に丘で暮らせっていってるようなもんだぞ。窒息するだろ」

「あら、若君、今日は冴えてますね」

「お前も嫌なら断れよ」

「姫修行ですか? 嫌ってことはないですよ。何事も経験だって師匠もよく言ってましたし」


守谷さんが面白そうに若君を見た。


「嫌がってるのは若君ではないですか? 母上がべったりなので、楓ちゃんと話せないですし。姫姿だと気後れなさるようですしね」


若君が軽く守谷さんを睨んで立ち上がった。


「別に気後れはしない。中身はコイツなんだしな。だけど——」


ふいっと私に視線を落とした若君は、ちょっと苦笑する。


「普段の格好の方が話しやすいのは確かだな」

「……そういえば、若君は女嫌いでしたね」

「別に嫌いってことはないが……苦手ではあるな。催し事で会うこともあるが、貴族の子女ってのは形ばかりで好きじゃない。だいたい、白粉の匂いが嫌いだしな。あの、チラチラと見てくるくせに、こっちが見れば下を向く態度も苛つく」


——あらー。

真澄様の戦法は、若君には逆効果のようですよ。


「姫っていうのは、目を伏せとくものらしいですよ?」

「知ってるよ。俺は好きじゃないってだけだ」


若君はポンッと私の頭をに手を置くとクシャッと撫でた。


「憎まれ口でも、面と向かって言ってくる奴の方が好ましい」

「わ、若。私の頭は汗と埃で汚れて——」

「お互い様だ。俺の手も汗ばんでる。守谷、西瓜が冷えたら切ってくれ。書室に戻る」


私の頭をいいだけ撫でた後、若君は仕事に戻って言った。

守谷さんが小さく笑う。


「楓ちゃんの補充は、一応、終わったようですね」

「……補充ですか?」

「はは。あれでも若君は寂しがってたんですよ。いつも側に居る娘が居なかったのでね」

「はぁ? 同じ宮に居るじゃないですか」


井戸から水を汲みながら、守谷さんが目を細める。


「楓ちゃんって、そういう所がありますよね」

「はい?」

「人に固執しないっていうか、一人慣れしてるっていうか」

「そんなことは無いです。一人は寂しいですけど?」


まあ、師匠は忙しい人だったから、留守番には慣れてるかな。

けど、一人って事は無かったしなぁ。


そりゃ、人間は側にいなかったけど。

庭には草木や鳥、池には鯉も泳いでたし。

独楽が動きだしてからは、ずっと側にいてくれたしね。


西瓜に濡れ手ぬぐいを掛けながら、守谷さんは空を見上げる。


「んー。うまく言えませんね。あなたを見てると、置いていかれそうだと思うんですよ」

「はい?」

「僕もそうですが、若君なんかもそうでしょう。しがらみが多くて動けないんですけどね。楓ちゃんは、そういうの関係なさそうに見えるんです」

「……ああ。情が薄く見えるってことですか? それは濃紫に言われますけどね」

「少し違います。あなたが情の深い人なのは分かってますよ」


守谷さんは袂から乾いた手ぬぐいを出し、濡れた手と首筋を拭いて笑った。


「雲を捕まえてるような、そんな気になるんです」

「……詩的に過ぎて理解できないな」

「ははは。雲なら、そう答えるでしょうね」

「私は人間ですよ」

「そうですよね」


——分かんないな。


私が困惑した顔をしたからか、守谷さんが面白そうに笑う。


「僕たちは、置いていかれてばかりなんです。願わくば、嵐龍様を置いていかないで下さいね」


——ますます、分からない。


「さて、西瓜が冷えるまで、夕食の仕込みをしましょうかね。手伝ってもらえますか?」

「あ、はいはい。手伝いますよ」


桶から足を出し、脛を拭いて草履に足を入れる。

最近では慣れたと思ってたけど、自分の小さな足に少しだけ戸惑う。


なんだか、私の二十七年間が——遠く感じるな。

守谷さんは、ああ言ったけど。


私は十分にしがらんでいると思うけどなー。

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