13 師匠仕込み
独楽を前に乗せて、拗ねた顔した濃紫が言った。
「楓ちゃん。なんで僕じゃなくて灰色なの?」
私は少年の装束に身を包み、灰色さんの背中に跨っている。
モフモフ。最高だ。
月翠庵へ濃紫と灰色さんが付いてくると言った時、馬を二体借りるのかと思った。
だけど、灰色さんが——。
「俺を乗せたら馬がへばる。自分で走った方が速い」
そう言って断った。まあ、灰色さんは黒龍神様ほどではないにしろ背が高い。しかもゴッツイ。体は重いよな。
「灰色さんが、私一人くらい空気より軽いって言ったからね」
「独楽じゃなくて楓ちゃんが僕の前に乗ればいいのにさ」
「馬は何度も乗ってるし。独楽は着物で私は袴だ」
——というかさ。
狼獣人の背に乗せてもらえるなんて滅多にないことだ。
こんな機会を逃すわけないだろ。
灰色さんは完全変形してるので、姿は巨大な狼。馬ほどではないけど、けっこう高さがある。表面の毛は硬いんだけど、中の毛はモフモフで不思議な触感。思わずしがみ付いて頬を埋めた。
「灰色さんの背中、落ち着くね」
灰色さんが耳を立てて笑う。
「落ちるなよ、楓」
「はーい」
見送りに出た守谷さんが私達を見て笑ってる。
「そうしていると、少年にしか見えませんね。まるで若君の幼い頃のようです。その着物は若君が好んで着ていたものですしね」
確かに、私は若君にもらったお古を着ている。淡い黄色の単衣に茶袴という姿だ。黄色の着物には細い若草色の縞が入ってて、けっこうお洒落だ。髪を少し高い位置で結び、傘をかぶり、遠目に見たら絶対に女の童には見えないだろう格好をしてる。
若君も見送りに出てくれたんだけど、羨ましそうに私を見てた。狼獣人の背中なんて、少年心が刺激されるんだろうな。
「灰色なら、風のように走りそうだな」
「ははは。本気で走れば主人を置いて行ってしまう。今日は、ゆっくり移動するさ。楓も乗ってることだしな」
「えー。せっかくだから、本気で走ってもいいのに」
「楓を落としたら主人に叱られる」
濃紫が深く溜息をついた。
「じゃ、行って来ます」
「ああ。月光様に宜しく言ってくれ」
月翠庵へは濃紫が使い魔を飛ばして連絡してあるそうだ。そういえば、濃紫は梟と鼠を使い魔にしてるはずだが、姿を見たことは一度もない。灰色さんに聞いてみたところ——。
「どちらも隠密に使われてる。主人は情報を大切にされるからな。俺にも話してくださらない事は多い」
とか言ってた。
秘密主義って嫌われるよね。
前に月翠庵に行ったのは風薫る季節だったけど、すでに長雨も終わりの季節だ。
「せっかく、久しぶりに楓ちゃんと出掛けられるっていうのに。楓ちゃんが灰色の上じゃ、大した話もできないじゃないか」
濃紫は、まだブツブツ言ってた。
「濃紫、独楽を落としたら承知しないからね」
「落とさないよ。けどさー。真澄さんが来てから、ろくに話もしてないじゃない? 少しは僕にもかまって欲しいよな」
「あんたさ。杜若の宮に滞在してるのはいいけど、ちゃんと仕事してるんでしょうね」
「仕事くらいしてるよ」
「師匠が筆頭魔法使いだった時は、すごく忙しそうだったけど?」
「あの頃は情勢が不安定だったからだよ」
どうなんだかなー。
何かって言うと若君と話してるけど、参内してる姿はあんまり見ない。ちゃんと魔法省に顔だしてるんだろうかね。まあ、私が気にすることではないが。
月翠庵での出迎えは、その日も先日と同じ痩せ型の少年だった。
「こんにちは、楓さん」
「また来ました−!」
彼は珍しそうに灰色さんを見てから、濃紫にも挨拶してる。
「筆頭様。お久しぶりです」
「元気そうだね、シノブ」
……ほぉ。
この少年はシノブくんというのか。
離れに案内され、まるで、ずーっとそこ居たような風情の師匠に会う。
「師匠ー!」
「よく来たね、楓」
シノブくんが、お茶を用意しますと言って立ち去った。
「お久しぶりです、師匠」
「濃紫。壮健そうじゃな」
深く頭を下げた濃紫に、師匠はひょひょひょと笑った。
「隣においで、独楽」
師匠に呼ばれ、独楽が頷く。
皺深い手で独楽の髪を撫でた師匠は、ニコニコと笑う。
「ずいぶん、愛らしい姿になったねぇ。楓と一緒は楽しいかい?」
独楽が大きく頷くと、師匠は目尻を下げて頷き返す。
私は少し心配になって、思わず師匠にすり寄ってしまった。
「で、どうですか? 独楽の様子」
「問題ないようじゃ。今のような使われ方は、独楽には楽だろう。楓は使い方が荒かったからのう」
「……ええ」
「ひょひょひょ、化け物退治に付き合わせておったしのう。お前の魔力を放出させる装置にしてたろう。まあ、独楽はお前の側にいるのが好きじゃから、今は楽しいそうじゃ」
私も独楽と過ごすのは楽しい。
思わず胸をなで下ろす。
濃紫が私の隣に座り、灰色さんは濃紫の足元へ四つん這いになって休みの姿勢だ。
師匠が糸目で濃紫を眺めて、諭すような調子で言う。
「濃紫よ。お前、楓の事となると目が曇るのか? シッカリとあるがままを見られないのなら、筆頭魔法使いは続けられないぞ。黒国だけで、三十二名の魔法使い達がおる。主はその筆頭じゃろうが」
「…………面目ありません」
「分かっておるなら良い。酷な話かも知れんが、楓はもう魔法使いではない。主の管轄外じゃ」
「心して……おきます」
濃紫が苦い顔してる。
ザマミロ。
「楓、独楽をしばらく置いて、庭でも見て来るといい。先日は若君も一緒じゃったから、好きには振る舞えんかったろう。ここの池には、お前の友人達がおるぞ」
「!! やっぱり、そうなんですね。雰囲気の似た庭だと思っていたんですよ。旧屋敷の動植物を連れて来てたんですね」
「ひょひょひょ。もちろんじゃ」
腰を上げようとした濃紫に、師匠が一言。
「濃紫。お前は残れ」
「え?」
「説教じゃ。国境沿いの魔法使い達から苦情が来ておるぞ」
「……はい」
灰色さんは、自分が叱られているみたいに耳を下げてる。
主人が濃紫じゃ、灰色さんの心労も尽きないな。
私は師匠の言葉に従って、月翠庵の庭を見て回ることにした。
松、藤、柳、桜に石楠花と、慣れ親しんだ古木達が枝を揺らして私に挨拶してくれる。
——懐かしいなぁ。
植え替えに耐えるのは、大変だったろうな。けど、師匠の側に居られるのは羨ましい。今は魔力が減ったと師匠は嘆くけど、師匠の魔力は心地良い。師匠の魔法は五色帝国で一番心地良いだろう。
師匠は光魔法と風魔法を使う。光魔法は、回復、成長を促す魔法だ。風魔法は振動を操る魔法だ。どちらも、自然との相性が抜群なのだ。
振るえというのは、全ての動植物、物質に関与できる。風魔法に回復や成長の促進をのせて流すのだから、師匠の側では木々が伸び、花が香り、雲が流れる。
水の音に誘われて、友人の居るという池へ。
私の友人達は錦を纏った鯉達だ。
「おーい。久しぶりー!」
池の水に手を入れると、私に気づいた鯉達が寄って来た。指を突っついて手の平に乗る。天水玉の嵌った手で大丈夫かなと思ったけど、彼らは意に介さない様子で私の手に飛び込んで来てくれた。
嬉しくて、指で優しく撫でてやると身を翻して手から出てゆく。
順番だからだ。次の鯉が私の手に滑り込む。
「元気だったかい? 皆んな、少し大きくなったかな」
私は袂から出した手ぬぐいで濡れた手を拭き、懐から小さな笛を取り出す。幼い頃は、よく笛を吹いて鯉達と遊んで居たのだ。
師匠の言う通り、先日は目的もあったし、若君達もいたので控えてたけどね。
水面パシパシと叩いて遊びに誘う。
黒国で笛の名手といえば、若君、嵐龍様だと噂される。彼の笛は雲を呼び、龍を呼ぶとね。何度か耳にしたけれど、確かに若君の笛は見事なんだよね。
「若君には及ばないけれども」
それでも、私の笛は師匠仕込みだ。音の魔法は使えないけれど、代わりに笛で振えを作る。幼い頃、一人でいる事が多かった私に、笛で自然と会話する術を師匠が教えてくれた。
吹き始めると指が覚えているものだ。
高く、低く、早く、遅く、池に広がる水の輪のように。
空気が震え、振動は池の中にも響いてく。鯉達も喜んでくれてるようだ。
何度も跳ねては、錦の衣を見せてくれる。
ああ、本当に懐かしい……。
パチパチと拍手が聞こえ、振り返ると師匠と濃紫が立っていた。独楽が走り寄って来て私の腕に手を回す。嬉しいと思ってるのが伝わってくる。
灰色さんが狼姿のままで唸った。
「ゔぅぅ。悔しいが主人より上手い。見事なものだな」
「比べるもんじゃないよ。濃紫の笛には濃紫の色が出る」
「慰めなくていいよ、楓ちゃん。君の笛は心地良いからね」
「師匠譲りだからな」
笛をしまって師匠の元へ寄る。
今では私も縮んだので、背丈が師匠とそうは変わらない。
師匠は皺深い顔に笑みを浮かべた。
「茶が入っておる。シノブが気を効かせて羊羹を切ってくれたようじゃ」
「羊羹ですか!」
「ひょひょ、好物は変わらんな」
変わりませんとも。
三つ子の魂百までだ。




