11 真澄様
師匠に会いに行って一週間後、守谷さんの母上が来た。
「源次郎の母、真澄と申します」
烈女——と、若君は言っていたわけだが、真澄さんは上品でたおやかな方だった。白髪ではあるけれど、肌艶も美しく品の良い匂いが漂う。
「私の母で若君の乳母だった者です。今日から、楓ちゃんと独楽ちゃんの指南をお願いしてあります」
彼女は深々と下げた頭を上げると、スッと目を細めて息子を見る。
「源次郎。若君のお側につく者をちゃん付けとはどういう事でしょうか」
「え……いや、楓ちゃんは子供ですので」
「愚か者。歳など関係ございません。本日より、きちんと楓さん、独楽さんとお呼びなさい」
「これは、失礼いたしました」
彼女はニコッと私と独楽に微笑むと、スクッと立ち上がって宣言した。
「では、お部屋替えから参りましょう」
「え? 二人の部屋を変えるんですか?」
「当然です。源次郎。側女とは如何なる者と心得ますか。若君の一番近くに付き、おはようから、おやすみまで、第二の手となり足となり若君の考える前に若君の望みを叶える者です。若君の部屋の近くに控えるのは当然です!」
第二の手足……なんだ、それ。
真澄さんのお言葉で、私と独楽の部屋は若君の部屋の隣、襖一枚隔てただけの場所へ変わった。
「よろしいですか、楓さん。側女というのは、主人の行動を先回りしなければなりません。その為には若君の行動を把握することが全てです。明日から、若君のお側で若君の観察を行います」
……観察。
「独楽さん、あなたは楓さんの使い魔とお聞きしております。楓さんの主人である若君の望みを叶えることは、あなたの主人である楓さんの望みを叶えることです。楓さんの為にも良いお側付きになりましょう」
独楽が大きく頭を下げた。
なんか、心酔してないか、独楽?
「まずは衣装。若君の前に出る時は、どんなに時間がなくても身だしなみを整えねばなりません。我らの手抜かりは若君の恥。見目を麗しく保つのは必須の仕事でございます。源次郎!」
パタパタと小走りで飛んできた守谷さんが、私と独楽の前に風呂敷包みを置く。守谷さん、顎で使われてるなぁ。
「着物です。二着づつ揃えておりますが、おいおい、増やしてゆきましょう。あなた方は若君の花として、若君を訪ねてくる者たちの目も楽しませなければなりません。さぁ、着替えますよ。手順を覚え、明日からは一人でも身支度できるよう練習なさい」
裾こそ引きづらないモノの、童の衣装から比べると格段に動きにくい。単衣の着物に帯と帯ひも。薄物を羽織って、髪は長く垂らしたままで背中の中心で結ぶ。私は赤系を中心にした装いで、独楽は青系だ。美しい赤紫のアサガオの柄は私には勿体無い気がするくらいだ。
「楓さんは髪も目も黒一色と、大変に珍しいですね。ですが、烏の濡羽色と申しましてねぇ、艶のある黒は美しい色でございます。赤によく生えますね。楓さんはお顔も整っていて、紅をさせば生えるでしょう」
そう……なのか?
「独楽さんはお人形のように愛らしい。髪は伸びないと聞きましたが、側付きなら短髪でもよろしいでしょう。姫ではありませんからね。細い首が際立つのは、花として麗しいものです」
おお?
感情に乏しい独楽が、頬を軽く染めて——。
「よろしいですか、お二方には一本づつ懐刀を差し上げます。懐刀とは、自分のことだと理解して下さい。あなた方こそ若君の懐刀なのです。自分の身はもちろん、若君の身を守ることも念頭にいれて下さい」
美しい装飾の短刀を受け取ると、なんとも不思議な気分になる。
私は魔法使いだったから、武器という武器を持った事がないんだよね。
私には黒漆に銀の装飾、独楽には赤漆に金の装飾と、とても美しい懐刀を頂いた。独楽は喜びで小さく震えてる。そうだよな。ここまで人として扱われたことは無かったものなぁ。
「本日はお部屋を整えるのと、作法の一例をお勉強して終わります。実際の指南は明日からですが、ふふ、楽しみですわね。久しぶりに若君のお側にいられます。私の指南は年末までとなっております。それまでは、宮に留まりますので頑張りましょうね」
真澄様はパンパンと手を叩く。
「では、部屋に家具を運ばせましょう。源次郎!」
——守谷さん、今日は仕事にならないな。
□
次の日、揺り起こされて目が覚めた。びっくりして声を上げそうになって、細い手に遮られる。
「若君は就寝中です。声はあげませんように」
「……真澄様」
「夜明けが近いですよ。そろそろ起きてお支度なさい。若君の目が覚めないうちにね」
真澄様の目は橙色が混ざっている。白髪になっているけれど、彼女は髪にも橙が混ざっていたのだろうか。悪戯する前のように目が煌めいている。
支度した私達は、若君のお部屋の端に控えて座ってる。若君が寝返りを打って、私達に気づき、ガバッと起き上がった。
「……心臓が止まるかと思った」
「若様。昨日の内にお話しておきましたが?」
「寝起きだぞ? やめてくれ」
彼女は若君の苦情を軽く聞き流すと、三つ指ついて頭を下げた。
「おはよう御座います。若君様」
仕方ない、私と独楽も真澄様に習う。
「楓さん、若君のお召替えを手伝います。独楽さん、お布団を片付けて洗顔用のお水を運んで下さい」
——もうね。
手取り足取りという感じで、真澄さまの指南を受けながら若君を着替えさせていく。若君の居心地が悪そうな事と言ったら、吹き出しそうになるのを堪えるのが大変だった。
食事の時も膳を運んで若君の少し後ろに座る。
「楓ちゃん……食べないの?」
濃紫が不思議そうに聞いてきたが、真澄様が微笑んで答えて下さる。
「楓さんは、後で私と食べます。濃紫先生は若君のお客様でしたか。楓さんは若君の側付きですので、無闇に話しかけないで頂きたいですわ。作法とはそういうものですので」
鳩が豆鉄砲をくらったような、というのは、ああいう表情なのかね。守谷さんが笑いを噛み殺してる。若君が食べ終わると独楽が膳を片付け、私がお茶を淹れる。
——若君が始終苦虫を噛んだような顔をしてるのが新鮮だ。
「書室にいる間は付かなくていい」
若君の発言が、その間くらい一人にしてくれって聞こえる。真澄様が小さく頷く。
「承知致しました。では、その時間で作法のお浚いと懐刀の扱いについて訓練を致しましょう」
と、いうわけで。
みっちり、半日以上を作法と懐刀の練習に費やす。
「まずは手に馴染ませることから始めます。ぶら下げた木っ端が微塵になるまで、何度でも小刀を振るうこと」
木の枝にぶら下げた薪を、木っ端と呼ぶセンスは凄いな。
でも、まあ、体を動かすのは好きだ。
それにしても——この状態が年末まで続くのか。
私達より、若君が根を上げそうだな。




