10 覚悟が足りない
月緑庵から戻ると、私と独楽だけ馬から降ろされた。
「楓ちゃん。僕達は馬を休ませに行きますから、夕食の支度をお願いできますか? うどんを仕込んでありますから」
「分かりました。行こう、独楽」
独楽が私の後ろをついてくる。
それだけで気分も上がる。
それにしても、本当に守谷さんはマメマメしい。出発前の短時間で夕食の仕込みまでしていたのか。
「戻ったのか」
薄ごろもを脱いで、たすき掛けし、竃に火を入れる頃。
フサフサと濃い灰色の毛を揺らして、灰色さんが台所を覗いた。
「灰色さん。ただいま」
「……月光宗元の匂いがするな」
灰色さんが独楽を見て、鼻を鳴らした。
獣人の中には鼻の効くタイプがいるが、灰色さんはまさにその人種だ。
「私の使い魔の独楽ですが、今は師匠の魔力で動いてるのでね」
「こんだけ離れてて動かせるのか。さすがは元筆頭魔法使いだな」
「師匠はすごいですよー。で……今の筆頭魔法使いはどうしてます?」
私が魔法探査を嫌がってから、全く姿を見てないんだよね。
いいんだけどさ。
「書庫に篭ってる」
「ちゃんと飯を食ってんのかな? アイツ、そういうの、すぐ忘れるけど」
灰色さんの耳がピクッと動いて、少し立ち上がった。
軽く尻尾が揺れる。
「心配してくれるのか」
「そういうんじゃないです。ただ、付き合いは長いから」
そうなんだよなー。
濃紫とは兄妹みたいに過ごしてきたし、何度も一緒に仕事をしたしね。魔法使いの仕事って多岐にわたるけど、主な仕事は化け物退治と護衛だ。命のやり取りをする現場だってある。そんな仕事を一緒にこなしてきた奴だ。
謀ったのは許せないけど。
性根が腐ってるわけじゃない事は——知ってる。
灰色さんがスンッと鼻を鳴らす。
なんだか、軽く涙ぐんでないか?
「楓が腹をたてるのも分かる。俺だって、牙や爪を抜かれたら、そいつを一生恨むだろう。だが……主人には主人の理由がある。すぐには無理でも、許してやって欲しい」
いや、だから。
「灰色さんが頭を下げる事じゃないでしょ。それに、どんだけ謝られても許しません。許さないけど……濃紫は兄弟子で、師匠の右腕だってことは変わらない」
「ぐっ……かたじけない」
……だから。
泣かんでくれ。
夕食にも濃紫は現れなかった。
ここ数日、朝も昼も、食事に出てこない。
——反抗期の子供かよ。
若君も気になってるらしく、食事を始める前に灰色さんに聞いた。
「灰色。濃紫は書庫で食事するのか?」
「主人は少し頑なになってんですよ。申し訳ありません」
「いや……それはいいんだが」
守谷さんがニコニコっと笑った。
「ま、致し方ありません。今の楓ちゃんを護衛するなら、灰色さんの方が適任ですしね」
灰色さんが不思議そうに目をシパシパすると、若君が丼ぶりを持って補足した。
「コイツは、魔法攻撃を受け付けなくなった。物理攻撃の方を警戒しなきゃならない。そっちは、お前の方が向いてるだろ」
「受け付けないとは?」
「俺と同じだ。神気は魔法を弾く。それに、コイツ、神気を放つこともできるようだしな。あんたを火傷させたのは神気だ」
——え、あれ、そうだったの?
□
守谷さんが若君の寝所を整えてる間に、私は洗い物をしてしまう。
手伝おうとする独楽の頭を軽く撫でる。
「独楽は座ってて。そこに居てくれるだけでいいから」
首を傾げる独楽は、なんだか不服そうだ。
「いくらお師匠様の魔力を充填してるって言ってもね、節約しないと。大事な時に動けなくなっちゃったら困るでしょ?」
そう言うと納得したようで、上りの端にちょこんと座った。
すると、空の丼ぶりを持った濃紫が台所へ来た。灰色さんが書庫まで運んでたから、きっと書庫で食べたんだろう。
「……ご馳走様」
「生きてたか、濃紫」
「なんとかね」
灰色さんから聞いてはいたけど、ずいぶんと憔悴して見えるな。
——なんでだ?
「何を意地になってんのか知らないけど、私には魔法は効かないそうだよ」
「………」
濃紫は私の横に立って、ムッとした様子で洗い桶に丼ぶりを入れた。
「君はいつも俺の想定を覆す」
「はい?」
「魔力が枯渇するのは想定してた。だから……天水玉を君に封じさせて欲しいとは言えなかったんだ。そんなの、言えるわけないだろ。魔法を使う事が生きがいみたいな奴なんだぞ」
私は顔を上げて濃紫を睨む。
紫の瞳に複雑な感情が浮かんでた。
「だからって、騙し討ちはないだろ」
「それは……何度も言うけど。すまない。だけど、俺は、なんとかお前に魔法を取り戻させようと思ってた。それが俺の贖罪だってね。なのに。なに、神気なんか纏ってんだよ」
私の横で軽く項垂れ、唇を引き結ぶ濃紫は、出会った頃のイケ好かない子供みたいな顔をしてる。
「それは黒龍神様に言ってくれないか?」
「もう……魔法使いに戻せない」
「天水玉を封じられた時に、そういう未来は覚悟したよ」
「俺はしてない」
「覚悟が足りないだろ」
彼は綺麗な顔を歪ませた。
黒髪に混ざった紫の髪が、細かく震えて見える。
「お前、どうして、いつも俺から遠去かるんだ?」
「何を言ってんの?」
「昔からそうだ。追いかけても、逃げてく」
「それは、嫌がることをするからじゃないか?」
「……お前に天水玉を封じると決めた時、俺は一生をかけてお前を守るって決めたんだぞ。なのに、お前には俺が必要じゃなくなってんじゃないか」
……面倒臭い奴だなぁ。
「嫌われても、恨まれても……いいんだ。それは覚悟してた。ただ、俺の側から居なくなるなよ」
「お前、幾つになったんだよ。来年は三十だろ? いい歳したオッさんの言葉とは思えないぞ」
「冗談で言ってるわけじゃない」
私は手ぬぐいで濡れた手を拭く。
「人は変わる。変化こそが生きるってことだ。けど、変わらない事もある。灰色さんにも言ったけどね。あんたは師匠の右腕で、私の兄弟子だ。それは変わらない。家族みたいなもんだ。縁が切れる事はないよ」
濃紫は眉根を寄せて私をジッと見る。
なんだよ。
「それは、それ以上には絶対にならないってことだろ」
「物事に絶対はない。ないけど……前に断ったよな」
「あの時、お前は、魔法使い以外の人生はいらないって言った。だけど、今は魔法使いじゃないだろ」
「よく考えろ、濃紫。今のあんたは三十路のオッさん。かたや、私は十歳そこそこの童なんだぞ? 勘弁してくれ」
「お前は二十七歳だろーが」
「二十七歳の私はもう居ない」
そうなんだ。
そこら辺り、コイツには分からないかな。
身体が変わるって事の意味を、言葉で説明することはできないかもしれない。
私の体は成長期に入りつつある。日々、めまぐるしく変化してく。たどったはずの道なのに、全く違うモノのように感じる。骨が軋むように伸びる。尽きない食欲がある。若君が成長のし直しか、そう言ったけど。本当にそうだと思う。
「二十七年間生きた記憶のある十歳。それが、今の私だ。良い人を探し直すのを勧める」
濃紫はフッと力を抜いて、クスクスと笑い出した。
なんだ、コイツ。
気持ち悪いな。
「酷いよ、楓ちゃん。何回、僕を振るつもりなんだ?」
「何回でもだ」
「これでも優良物件なのになー。容姿には自信あるし、給料も稼ぐし、一途だってのに」
「子供じみてるって一点で、全部、台無しだな」
濃紫が何かを吹っ切ったみたいに笑った。身を屈めると私の額へ唇を当て、守り鈴が鳴り出しそうになるのを、手を伸ばして止めた。
「……お前」
「親愛の表現だよ。僕は兄弟子だ。家族みたいなものなんだろ? 僕は楓ちゃんが望むなら世界を敵に回すよ」
「望まないから安心しろ。私はお前を一生許さないと決めてる」
「はは、もうね。それを言われる度に、特別な存在だって言われてるみたいで嬉しいよ」
「相当に歪んでんな」
「なんとでも」
濃紫は私の頭を勝手に撫でると、立ち去ろうとして足を止めた。
「え? 独楽?」
「お師匠様の心遣いだ」
「……懐かしいな」
「だろうな。独楽、ソイツを蹴り飛ばして台所から叩き出せ」
「ええー。出ててく、出てくから、独楽!」
私は何度も額を水で洗って、ヒリヒリするまで手ぬぐいで拭いた。
本当に、あのバカは分かってんだろうか。
一生許さないって言ってんだけどな。
覚悟が足りてないよ。




