表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/74

1 はじめ

松に檜葉ひば紅葉もみじに熊笹。

菖蒲あやめ杜若かきつばた立葵たちあおいに都忘れ。


宮の庭は草花に溢れている。


ここは帝の一人息子、皇太子が暮らす宮だ。宮中の中で杜若かきつばたの宮と呼ばれる。私が住んでいた所から比べればお屋敷だが、宮の中では小ぢんまりしている方だそうだ。私が杜若の宮に来て、そろそろ二ヶ月になるだろうか。


裸足に草履を引っ掛けて、早朝の仕事は水汲みから始まる。


「春っていっても、まだ寒いなぁ」


お仕着せの、浅葱あさぎの着物に灰色の袴をつけた私は、冷んやりした空気に身を縮めた。


台所の水甕みずがめに水を補充しながら、立働くオッさんの後ろ姿を見る。濃紺の(あわ)せにたすき掛け、黒い角帯を結んだ守谷源次郎もりやげんじろう様が、トントンと小気味好く分葱わけぎを刻んでいる。


「守谷様。水汲みが終わりましたよ」

「ああ、すみませんねぇ。かえでちゃん。私の名に様なんかつけないで下さい。ええと、次はナスを洗って下さい。まだ小ぶりで、柔らかそうなので塩もみが良いですかね」


この人は皇太子殿下が幼い頃から側近で使えるお方らしい。兵部勤が本来らしいが、位は高いと聞いている。


三十歳を少し過ぎたくらいだろうか、背も高く筋骨も逞しく、渋いオッさんである。その守谷さんが、飯の支度から宮の掃除、庭の手入れから若君の侍従までこなしてる。忙しすぎではなかろうか。


「守谷さん。いい加減に女官を増やしませんか?」


早朝から起きて、宮の食事を作るのが皇太子の侍従ってどうなの?


「はは……それが、なかなか。楓ちゃん、塩もみが終わったら、大葉を刻んでくれませんか?」

「はいはい。まあ、私は守谷さんのご飯は好きなので、良いんですけどね」

「それは、有難うございます」


渋いオッさんはニコニコっと笑う。


「新たな女官を入れても続きませんよ。楓ちゃんが来てくれただけで大助かりです」


——続かない。

そうなんだろうな。


私が暮らす黒国こっこくというのは、黒の他に、赤、黄、白、青の旗を掲げる五国の中心だ。国色にちなんで五色帝国と呼ばれるが、黒国は唯一、帝の存在する国である。


帝とは、黒龍神の血筋、神と人の混ざった存在で、神気を纏う。人離れした存在——と、されている。もちろん、息子である若君にも龍の血が混ざっているわけで、圧迫感というか、迫力があるんだよね。


気の弱い人は睨まれただけで気絶するらしい。

おまけに若君、女性嫌いだと言われてる。


なので、この杜若の宮には女官が居着かない。

怯えて辞めてしまうんだそうだ。


「私の手助けなんか、微々たるものですよ。守谷さん、忙しすぎるでしょう。女性がダメなら、小姓とか」

「あの若君が側に置くと思いますか?」

「どうでしょう。私が容認されてるんだから、大丈夫じゃないですか?」


彼は手際よく味噌汁を椀によそい、かゆと、塩もみナス、いわしの塩焼きを並べ。四つの膳を完成させてゆく。


「あなた、だから側に置いているんですよ。若君に睨まれようが、怒鳴られようが、平然としている。あの人に小言を言う女の子なんか、初めて見ました」

「当然です。見た目はこんなですが、私の方がずっと年上なんですから」


守谷さんが面白そうに眉を下げる。


ええ、ええ。

どうせ、今の私は十歳くらいにしか見えませんよ。


魔法使いだった私は、兄弟子のせいで魔力が枯渇して魔法が使えなくなった。

しかも、体まで幼くなってしまってる。


「なんにしろ、若君には貴重な側付きが増え、私の仕事も減りました。楓ちゃんには感謝してます。さ、膳を運ぶのを手伝って下さい」

「……はぁい」


私は溜息混じりに膳を持ち上げる。


助かると言われても、私は宮中に努めるような人間ではないのになぁ——。


もとの私というのは、魔法使いとして名高い月光宗元つきみつそうげん様のお弟子だった。年齢にして二十七歳。三十路目前の女性魔法使いだったんだ。物心がついた頃には宗元様の元で暮らしていた。


宗元様は、自分が手がけた化け物退治で両親を失った私を、手元に引き取って育ててくれた。恩人であり恩師である。


魔力があったのも引き取った理由だと聞かされた。よく励めば、きっと立派な魔法使いになれるよ、と、宗元様は優しく仰った。


そうなのだ。


私は恩師であり、育ての親でもある宗元様の後を継ぎ、立派な魔法使いになると決めていた。修行につぐ修行の毎日は、婚期を遠ざけてしまったようだが、このまま行かず後家になっても我が人生に悔いなし!!


——そう思って魔法修行に精進していたのに。


「おはようー。わぁ、今日のご飯も美味しそうだねぇ」


八畳ほどの和室に四つの膳を並べ終わる頃、のほほんと顔を出した男、濃紫(こむらさき)こいつだけは許さない。


「濃紫先生は良いご身分でございますね」

「まぁね。僕はお客だから」


しゃぁしゃぁと——。


濃紫宗元こむらさきそうげんこいつは魔法使いだ。しかも、私の兄弟子で、引退した宗元様の名と身分を継いだ。それは、まあ、仕方のないことだ。兄弟子だったし、コイツの魔力量は尋常ではなく、使える魔法の種類も私の比ではなかったから……。


だけどね。


私が十歳前後の見た目になったのも、魔力が枯渇して魔法使いの道を断念しなければならなかったのも、ぜーんぶ、コイツのせいだ。


「なに? 朝から、そんな熱い目で見られると、さすがの僕も照れるよ?」

「頭が沸いてんじゃないのか。恨みがましい目と言えよ」

「口が悪いよ、楓ちゃん」

「煩いな。名前を呼ぶな、虫酸が走る」


濃紫は真っ直ぐな黒髪に、名前の由来だろう濃い紫の髪が混ざっている。瞳は薄い紫と黒が混ざり、見た目だけなら宮中の女官全員を卒倒させられるくらい美形だ。


だが、外見の美しさがなんだというのか。

コイツの根性の悪さを私は忘れないぞ。


パシッと後頭部を叩かれ、振り返って睨むと若君が目を細めてた。


「煩い」


彼は一言そういって通り過ぎる。


帝の一人息子、皇太子の嵐龍らんりゅう、十四歳は、涼やかな若草色の併せに銀糸の入った灰色の帯を締めている。上座の膳を前に座ると、グルッと私たちを見て箸を持った。


守谷さん、濃紫、私、若君。


どういう理由か知らないが、使用人の筈の私まで若君と食事を共にする。ただし、若君が口をつけるまではお預けだ。一人で台所で食べたいのだが、私は若君の側付きとして雇われている。彼の命令には従わねばならない。


毒味はすでに守谷さんが済ませているし、そもそも、作ってるのも、運ぶのも、守谷さんの仕事だ。毒の盛りようがないけどね。


「ねえ、楓ちゃん。君は弓舞は踊れるよね」

「濃紫先生。食事中ですよ」

「うん。で、踊れる?」


なんだっていうんだ。


「踊れますけど?」

「だよね。じゃあ、若君に教えて」

「……はい?」

「来月の奉納舞、若君には弓舞を舞ってもらおうって、帝が言うからさ」

「…………踊り手は私の他にもいるでしょう? それに、若君は弓舞を踊れると思いますけど?」


若君が箸を置いて、ハーッと溜息をついた。


「今回、奉納するのは、魔法使いが踊る弓舞だ」

「え? ああ、幻視蒼空弓舞げんしそうきゅうゆみのまいですか。それなら、濃紫も踊れるでしょう?」

「……お前の舞は見事なんだと、月光つきみつ宗元様がおっしゃった」


——う。

師匠。


「楓ちゃんは、魔法が使えないんだから。舞くらい教えてあげてよ」

「誰のせいだと思ってるのか……ぶち殺すぞ、濃紫」

「本当に口の悪い。お嫁にいけないよ?」

「大きなお世話だ!」


はぁあ。

と、ため息をついた若君が、呆れた顔で私を見る。


「帝の命だ」

「……くっ。承知しました」


帝——五色帝国、権力の頂。


私はあのオッさんが苦手だ。

暑苦しいんだよ。


あの人に会って文句言われるくらいなら、若君に舞を教えた方がマシだ。

ブックマークを有難う❤︎

嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ