黎明の時 四
~ 飛行戦艦クラディフ・艦橋 ~
―― 九月二十二日十六時一分。
くすんだ午後の光が世界を照らす。
赤の色彩がゆっくり、ゆっくりと濃くなっていく。
人の気付かない速度で闇の時間が迫って来る。
ふと見入る青色に懐古の念を覚えるのは、生き物の時間が無機質な針の回転だけではないという証なのだろう。
風が走る、走っているのだと枝葉が揺れる。
雲が形を変えて去って行くから、空から音が聞こえるのだ。
それが双眼鏡のレンズ越しだったならば尚更に。
「おいおい、昨日の今日だぞ」
「噂には聞いてましたけど凄いですね」
空に棚引く糸の様に現れた流れが広がっていく。
青と白の空模様を押し流すように、揺らめく水面はあっという間に川となり、大河となった。
「うちの田舎でも最後に見たのは二百年前だって爺様が言ってました」
「よっしゃ勝った! 俺のママは五十年前にパンドック王国で見たって言ってたぜ」
「国外は反則だろ!?」
騒ぎ出した船員達を無視して、艦長は双眼鏡を隣の白装束の少女に渡した。
「水面雲が去るまでは動けんな」
あれは大規模な時空の歪みだ。
「この時期には特に多いと聞いています。ただ重複するものではありませんし、明日の朝には収まるでしょう」
「長いな」
「逆に転移や空からの攻撃を警戒しなくてもいいという事にはなりますが」
「普通はな」
―― 愚の小人や清浄の刃にそんな常識が通用するものか。
銀糸を縫った黒布に覆われた少女の両目を窺うことはできない。
だが艦長はその美しい紅の唇が、笑みの形に妖しく歪むのを見た。
「ええ。多分ですが私も腕を振るう事になるでしょう」
左手の少女の指が愛刀の柄の上を這う。
愛しげに。艶めかしく。
「そうならない事を祈るばかりだ」
そっけなく呟かれた艦長の言葉は、妻と平和を愛する彼の、紛うことなき本心であった。