月下 二
ボルゴラックはルルヴァを掴んでいた右手を放した。
「申し訳ありません。痛くなかったでしょうか?」
「いえ、大丈夫です」
彼が強いということはルルヴァにも解かる。
自分よりも遥かに……。
「リクスさんは何処か伺ってもいいでしょうか?」
ボルゴラックが右手の人差指が指したのは広場の彼方、赤土の大森林の向こう。
―― パムの在る場所。
「っ……」
ルルヴァは拳を強く握る。
自分には行く資格が無い、その為の力が無い。だから唇を強く噛む。
朱の瞳は真っ直ぐに、強い意志の光を宿し、彼方を見据える。
その姿をボルゴラックは静かに見守る。
―― 彼は私の夫になる人だからよろしくね。
「大丈夫ですか?」
「はい」
ルルヴァの声は強い。
「いつ帰るべきかは、わかっていますから」
ここは故郷じゃない。
街壁も都市結界も無い。
だからみんなを守るのは僕なのだと、ルルヴァは同胞達の血の臭いの中で、もう一度決意する。
「お願いがあります」
「何でしょう?」
振り向いた朱の瞳に、もう幼さは無かった。
「僕にも手伝わせてください。治療魔法を中級まで使えますし、属性も六系統の全てに適性があります」
「……」
ボルゴラックは思案する。
人手が足りないことは分かっている。
また六系統全てに適性がある人材は、今は喉から手が出る程に欲しいと思う。
魔法及び魔術を用いる治療において最も恐れられるのが『属性拒絶』の症状。
希に起こるアレルギー反応の一つであり、致死率は非常に高い。
また治療魔法の黎明期、属性拒絶が解明されていなかった時代の記録には、魔力暴走を起こした患者が爆散した事例も残されている
ここにいるのはリーシェルト公爵家が派遣した優秀なスタッフ達だ。
全員ならば六系統をカバーできる。だが各個人となるとそれぞれに対応できない属性がある。
魔力属性変換装置もあるが、間に合わせの域を出るものではない。
逼迫する現状では、六系統全てに適性があるルルヴァの申し出は、非常に有難いものだった。
(だが)
この場所に保護された時のルルヴァの姿をボルゴラックも見ている。
負傷はリクスの魔法で治っていたが、精神的な消耗は実に酷いものだった。
何故そうなったのかを聞いた時、ボルゴラックは聞き間違いかと思い、もう一度リクスに確認をした程だった。
―― 【清浄の刃】と剣を交えた。
しかもルルヴァは生き残った。更には幼い妹と母を守りながら。
それがどれ程の苦難であり奇跡であったかを、この国の戦士ならば誰もが察することができるだろう。
彼の黒狂徒と渡り合える者はこの西央大陸有数の強国であるベルパスパ王国をして、最高峰の実力を持つ『王剣十七峰』の中でさえ何人いるか。
(……)
本来ならば休むように言うのが正しい大人の言葉なのだろう。
ボルゴラックは膝を曲げて腰を屈め、自身の目線をルルヴァに合わせた。
「ルルヴァ様に一つ質問させて頂いてよろしいでしょうか?」
「はい」
巷に溢れる殆どの少女よりも少女らしい可憐な容貌。
「あなたは休むことができます。ここにいる私達大人に後の全てを任せてしまって」
「……」
「私は心道位を得ていますし、他に同じ心道位の騎士がいます。そして我らの主たるミカゲ様は王剣十七峰の第五位です。またここに居る者達はそれぞれの専門家であり、一流と呼ぶに相応しい実力を持っています」
朱い瞳は揺るがない。
「敢えて言わせて頂きます。あなたが無理をして立たなくても、十分なのです」
「それでも、です」
「何故です?」
「僕が【ルルヴァ・パム】だからです」
ボルゴラックは少しだけ目を瞑る。
―― 「何かを成す奴はそんなこと一々考えちゃいないっての。お前も才能はあるんだからよ、一度の敗北でへばってんじゃねえよ! うざってえ!」
―― 「極上の葉巻きや酒、そして佳い女。ついでに俺のガラクタを馬鹿な値段で買う客がいる。素晴らしい人生だ! 後ろを向くのがもったいない! 昨日の失敗を考えるなんてアホらしい! もっと酒寄越せウキクサ! って俺は考えるがね~。けっぷ」
そして脳裡を過った友人の言葉を反芻した。
「分かりました。ルルヴァ様、よろしくお願いします」
「はい」
ボルゴラックの差し出した右手をルルヴァは力強く握った。
それはもう、子供とは呼べないものであった。
「ルルヴァ様はリクスお嬢様をどう思っていらっしゃいますか?」
「え?」
不意打ちの質問に目を瞬かせ、ルルヴァの頬ははっきりと分かる程に朱に染まった。
「えっと、とても綺麗で、素敵な人、だと」
好意がある事ははっきりした。
それが恋なのか、愛へと昇華するのか今は分からない。
だが。
「リーシェルト公爵家には味方も多いが敵も多い。ましてリクスお嬢様は『星の聖女』という役目を背負うお方。安楽とは遠い道を歩む運命にあります」
あなたと同じかそれ以上に、リクスの歩む道には苦難が待ち受けている。
戦う意志はあるか。
戦い抜く覚悟はあるか。
「はい」
ルルヴァは間髪入れずに頷いた。
それはまさに戦士の顔だった。
「よろしい。では参りましょう」