リクス・リーシェルト 二
「ヤマメ、あれの追跡をお願い」
「御意」
リクスの影から現れた黒装束の女が、森の闇へと消えていった騎士の後を追った。
「さてと」
騎士達の屍を焼く黄金の炎を背にして、リクスがペローネの方へ向き直る。
「っ」
後退るペローネを不思議そうに見て、思い出したように聖銀の槍を虚空に消した。
こほんと咳払して、努めて柔らかい微笑みを浮かべる。
ペローネが止まり、警戒はまだ残しているものの、蒼い瞳に浮かぶ怯えの色は弱くなった。
「パム副市長であるノイノ様の御息女、ペローネ様ですね。私はリーシェルト公爵の末の娘、【蛇王角 リクス・リーシェルト】と申します」
その穢れの無い清水のような声は、頭の中に心地よく染み込んで来るようだった。
月光の中に佇むその姿は、立ち振る舞いは、これまで見たどんなものより綺麗だと思った。
ペローネは自分の頬が熱を持ち、紅く染まるのを感じた。
「あの、わ、私は【ペローネ・パム】です。助けて頂いて、ほ、本当にありがとうございました!!」
舌を噛みそうになったが、最後まで言い切り、頭を下げた。
黒髪を結わえたテールが釣られて、勢い良くパサッと動いた。
「気にしないでください。貴族の家に生まれた者として、危難に苦しむ者を助けるのは当然のことです。何より私、こう見えて聖女をやっているんですよ」
瑞々しく紫に輝く右目が、パチリとウインクをした。
それでペローネの頭はぽんっと沸騰した。
「ええと、凄かったですし! 凄く凄く格好良かったです!!」
「ふふふ。ありがとうございます」
ぼこりと、地中からセラミックの繭が現れた。
それが開くと、中には力なく横たわるルルヴァが姿があった。
「兄さん!!」
ルルヴァへ駆け寄り縋り付くペローネ。
しかし傷だらけのルルヴァは全く反応を返さない。
「兄さん! 兄さん!」
「ペローネ様落ち着いてください」
リクスの黄金の魔力がルルヴァを包んだ。
「……私の魔力が彼に吸収されて魔法を構成できないようですね」
(特異体質? いえ、どちらかというと私と彼の魔力の親和性が高過ぎる?)
「ペローネ様、大変失礼ですが彼の属性適性は何でしょうか?」
「分かりません。母さ、母も分からないって言ってました」
「あの影将軍が? いえ、失礼しました」
ペローネが首を横に振る。
仕方がない。
『影将軍』の名は重い。
―― 特に神殿関係者にとっては。
「ほぼ全ての属性に適性があるようだと母は言っていました。ただ、複数の適性を持っているという訳でもないようだ、とも」
「……」
このままではルルヴァを治療することができない。
軽装備で先行した上、魔力生成剤以外の手持ちが今は無い。
そして転移が使えない以上、この少年は確実に宿営まで持たないだろう。
「よし!」
気合を入れ、腰の道具入れから魔力生成剤の小瓶を出して口に含む。
横たわるルルヴァを抱えて、その顔に掛かる瑠璃色の髪をそっと除けた。
「!!」
リクスの動きが止まった。
「リーシェルト様?」
ペローネからリクスの顔は見えない。
ただ月明りに照らされる頬が、気のせいとは言えない程に紅くなっており、吐く息も荒くなっているように聞こえた。
(可愛い!!)
―― リクスの中で何かが爆発した。
それは狂乱の嵐となり、体中を言いようない熱が駆け巡っていた。
頭はふわふわしてしまい、思考をまとにすることができない。
視界は朦朧とし、少年と呼ぶには可憐な顔が、どんどん近付いて来る。
本能が理性を消し飛ばし、全く抑えが効かない。
(あ、あ、あああああ!!)
唇が合わさる。
それはどんな甘露よりも甘かった
それはどんな紅茶よりも熱く唇を焼いた。
それは今までの、何も知らなかった少女を終わらせた。
(この子が欲しい)
自分には許婚がいる。
政治的意味のその相手は、奇しくもルルヴァの異母兄であった。
―― しかし。
もうそんな政治どうでもよかった。
私の人生は彼だけがいればいい。
阻む者は、全て壊して進めばいい。
貴族の力、聖女の力、そして私自身の力。
これを止められるモノなど存在しない!!
腕の中の少年の瞼が開いていく。
ゆっくりと現れる朱い瞳。
その中に映る紫の瞳は、どうしようもなく潤んでいた。
* * *
(暖かい)
ルルヴァは自分の中に優しい力が染み込んで来るのを感じた。
それは体を侵していた冷たい痛みを消していった。
春の陽射しの中の微睡に似た心地よさに、疲れ切った心を預ける。
絶望の闇が晴れていくのを感じて、その景色を見ようと、目を開けていく。
紫の瞳。
紅く染まる頬。
月明りに輝く黄金の髪。
あまりの現実感の無さに、その綺麗な光景に、ルルヴァの中の火の臭いが薄れていった。
心配そうに覗き込むペローネの顔が見えて、安心して。
ルルヴァはまた意識を失った。