零
晴れた晩夏の昼下がりの空を、一羽の青い燕が翔けて行く。
翡翠色の瞳には広大な町の景色が映る。
歴史的建造物と名高い街並みを縫う通りには人が溢れ、喧噪は絶えず、熱気が陽炎のように昇っている。
赤い屋根の上でパンツ一つの裸身を晒しながら瓶麦酒を呷る若者達。
木陰のカフェで珈琲やお茶を嗜む紳士淑女達。
走る子供達と一緒に翼を広げ大広場に入ると、音楽と喝采の爆発が押し寄せて来た。
―― 建国祭。
大道芸人が右手から虹を出し、色取り取りの折り紙の鳥が舞い踊る。
ハンドオルガンの音に合わせて、木製人形達が踊る。
巨人とゴーレムのダンス、彼らが手に持つトレイの上では小人が宝石のジャグリングをしている。
空中に浮かんだ舞台の上から、華やかなの装いをした老若男女達の楽団が奏でる音楽が空に響いている。
「わあ綺麗」
屋台の商品台の上に置かれた『杖』を見て、幼い少女は興奮した声を上げた。
「おお、嬢ちゃんお目が高い! ウチの商品はあの闇の勇者様の装備を作った大工房、『リッカルダ工房』の作品だよ!」
装飾のあしらわれた木製や金属の柄頭には、赤・青・緑・黄土に輝く、綺麗にカットされた各種の魔晶石が嵌め込まれていた。
「通常は一本二十万メルチ以上するんだが、今日は特別価格で全品千五百メルチでの大大大サービスだ!」
少女は財布を出して中を確認した。
視線が青色の魔晶石の杖と、財布の中を行ったり来たりする。
「う~~」
足らないようだ。
「すいません、これください」
「ル―ちゃん?」
「お、嬢ちゃんの姉ちゃんかい? 毎度あり!!」
質素だが可愛らしい装いをした年上の少女?が現れ、店主から買った杖を幼い少女に渡した。
「いいの?」
「うん。ノーラはいつもお手伝いをしてくれてるでしょ。これはその感謝のプレゼントって事で」
「ありがとうルーちゃん! 大好き!!」
ノーラが抱き付く。
「待っててね。大人になったら絶対にルーちゃんをリクスから寝取ってあげるから」
「ちょ、ちょっと! 何処でそんな言葉を!?」
「ジル兄ちゃん!!」
『頭痛が痛い』とお姉ちゃん?は頭を押さえた。
「はっはっは! 仲が良くて羨ましいね」
快活に笑う店主に、ルーちゃんは苦笑して頷いた。
ノーラが杖を掲げると、青の水晶石から涼やかな微風が流れた。
「どうかな?」
「ありがとう。とっても気持ち良いよ」
「えへへ」
「そうだ、みんなにもお土産を買って行こうか」
「うん!」
……。
突然。
「聞け! 我らが同胞よ!」
響く大音声。
歓声を押し退けて、国旗を掲げ軍服を纏った一団が、大広場の中央へと進み出て来た。
「先月のカラート州国境の紛争でまた我が国の無辜な民が殺された!」
魔法で増幅された声が端々まで響き渡る。
人々の咎める視線を無視するように、先頭に立つ大柄な青年は更に声を張り上げる。
「我々はより団結しなければならない! 今こそ戦わなければならない! 害国どもの非道に対して!」
青年は筋骨隆々とした右腕を空へと突き挙げた。
「今こそ立ち上がれ! 勇者と共に!」
「「今こそ! 勇者と共に!!」」
喧噪が増す。
驚いた一人の幼い少女が泣き出し、連鎖的に周囲にいた子供達も泣き声を上げた。
「ちょっとあなた達!!」
「……何かね」
「みんなのお祭りを邪魔しないで! そういうのはキョカを取って別の場所でやりなさいよ!」
「ふむ、君の言う事は解かる」
拳を振り上げる。
「だがな。些事を超えて成すべき我らが正義を理解できぬガキが、でしゃばるものではない」
拳が振り抜かれた。
重く低い音が鳴った。
殴り飛ばされたのは少女ではなかった。
「む?」
「ルーちゃん!!」
抱えていた紙袋の中身が散らばった。
流石に回りが止めに入ろうとするが、青年の取り巻き達が剣を抜き、その先を向ける。
「ま、魔導剣」
魔導学より生み出された現代の魔剣。
鍔の位置に組み込まれた魔導機構、その核たる錬玉核が淡い洸を発し、剣身を魔力刃が包み込む。
「ふむ」
青年も魔導剣を抜き、その切先をノーラの鼻先に突き付けた。
「私に謝罪しろ。それで許そう」
「だ、誰が。わ、悪いのはあなた達じゃない!」
ノーラの杖が斬り飛ばされた。
魔力刃を纏う魔導剣は、鉄の塊さえ容易く斬り裂く事ができる。
「っ」
「死ね」
誰かが「警衛兵を呼べ!!」と叫んだ。
誰かが青年を止めようと手を伸ばした。
誰かが少女を庇おうと身を投げ出した。
青い燕が翔けた。
「!?」
魔導剣は振り抜かれた。
しかしそこに剣身は無かった。
「失敗。《《正義》》って聞いて頭に血が上ってしまいました」
足元に散らばる魔導剣の剣身だった破片に瞠目し、青年は声のした方を振り向いた。
仲間の魔導剣の剣身もまた、バラバラになって地面に散らばっている。
瑠璃色の髪を風に流し、朱い瞳が笑う。
右手には翡翠色の刀身、刀があった。
「な、何者だ?」
「ふ~ん、僕を知らない、か。『勇者と共に』って、言ってたのに?」
「お、女如きがほざくな!!」
仲間の放った火球が無造作に握り潰された光景を目にして驚愕した瞬間、優しく流れ来た風に締め付けられ、くぐもった悲鳴を上げた。
「よく言われますが、僕は男です」
ルルヴァが指を鳴らすと、気を失った青年達が地面に転がった。
すぐ後ろでピイイッと警笛が鳴り響き、魔法で空を飛んで来た警衛兵達が地面に降り立った。
「何だこれは、ってルルヴァ!?」
「あ、お疲れ様ですモデストさん」
ルルヴァが事情聴取を受ける傍らで、警衛兵に拘束された青年達を乗せた魔導車が走り去っていった。
「彼ら外国の人、もしくはその関係者ですよ」
「根拠は?」
「彼らは僕を知りませんでした。それに《《とっても今》》、戦争をして欲しそうでした」
少しでも外交事情に通じていれば、この国にとって今戦争をする事が、どれだけハイリスク・ローリターンか理解できる。
「成程。すっげえバカを送り込んで来たもんだな。それでルルヴァを知らずに『勇者と共に』って、逆に間抜け過ぎて笑えねえな」
最後にサインを記して調書を返す。
ノーラが駆け寄って来て、ルルヴァの手を握った。
「おうノーラ、ラブラブだな」
「えへへへ~。流石モデストさん、分かってる~」
「はっはっは。後でリクス様にぶっ殺されんなよ」
「む~」
「そう言えば次の仕事じゃ辺境に行くんだって?」
「ええ。相変わらず耳が早いですね?」
「……パーナクが、な。勝負を持ち掛けて酔い潰した俺が言うのも何だが、あいつ、マジで向いてないぞ」
「そうなんですよね」
お互いに苦笑した。
「『黒霧森』か。生きて帰って来いよ」
「ええ。必ず」