後編
「イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
空気は突然、第三者によって変えられた。
俯いて震えていたレイナが突如、顔を跳ね上げて声を張り上げたのだ。喉の奥から絞り出すような絶叫に、誰もが目を見開く。
スティーヴンが落ち着かせようと声をかけて胸に抱こうとする。
しかし、そうしようとする程にレイナの暴れ具合も悪化した。スティーヴンから逃れようとしているのだと、直ぐにわかる。
気づいた側近候補達が近づいてレイナを保護しようとするが、肝心のスティーヴンが理解せずに離そうとしない。
「レイナ! 急にどうしたんだい!? ゆっくりと呼吸をして……!」
「イヤッ! イヤッ! イヤァッ!」
「スティーヴン殿下! 一度、レイナ嬢を離してください!」
「何故だ!? 何故離さないといけないのだ!? レイナは、僕の側妃なんだぞ!」
映像と同じ言い草。それを聞いたレイナの口からは、か細い悲鳴が漏れる。
覚悟を決めたらしく、側近候補達が目を合わせて頷き合う。数秒後、スティーヴンは騎士団長の令息に押さえつけられ、残りの二人がレイナを支えて距離を取った。
物理的にやっと離れた事に安堵したのか、レイナは震えながらその場に座り込み、立ち上がれそうもない。
スティーヴンは拘束された意味も分からず、側近候補達を責め立てる。
もはや、周りの令息令嬢がスティーヴンを見る目は、犯罪者を見るよりも冷たい。
「レイナ! 大丈夫かい!? こいつらは首にするから、安心してほしい!」
「まだ、分からないわけ……!? 貴方は異常よスティ! エルミナ様の態度はショックだったけど、それも全部貴方が原因じゃない!
『エルミナは僕の事が好きだけど上手く行動できないから、ヤキモチを焼いてるんだよ』って、あんな事した相手が自分を好きだなんてよく言えたわね!? いえ、むしろ自分が言った事も傷をつけた事も忘れるとか可笑しいわ!」
「レイナ……?」
「あたしが靡かなかったら! 同じ事を平気でしたでしょうね! 気づかなかったあたしが嫌になる! 側妃でも分け隔てなく愛してくれるって言ったのに!
あたしは本気で愛したのに! 自分勝手な愛だったのね! とても気持ち悪いわ!」
ボロボロと涙を零して叫ぶレイナ。高ぶった感情の噴出が止まらないようで、両隣の二人が必死に慰め始めた。
貴族らしからぬ行動だが、会場中はそれを受け入れて同情を示す。
しかし、スティーヴンは目を丸くして呆然としているだけだ。
長く見てきたエルミナには、スティーヴンは本当の意味で理解してないだろうとわかる。暫くしてレイナが泣き止めば、また元通りだと思っているだろう。
冷静に分析するエルミナだが、内心は予想外の展開に後悔が湧いていた。
どうやら、レイナはまともな感性の持ち主だったようだ。
スティーヴンの外面は脆く、親しくなる程に剥がれやすくなる。だから、側妃になるという彼女は、本性を分かった上で動いていると思ってしまった。
今更ながらに考えれば、側近候補三人も長く共にいて気づいていない様子だ。
幼い頃から従兄妹として接していたエルミナだからこそ、わかりやすいと感じたのかもしれない。
過呼吸を起こして手当されているレイナに、申し訳なさが込み上げる。念の為にと、用意しておいた謝罪の手紙を渡さなければ。
そう思いステラを見れば、彼女は入口の方を見て顔を顰めていた。
「エルミナ様。来たようです」
「あら。ようやくですの?」
扇でも隠し切れないほどの侮蔑を込めて、エルミナは入口を横目に吐き捨てる。
近くの令息令嬢が不思議がる中、会場中にファンファーレが響いた。それを聞き、誰もがはっと気づく。
貴族院の卒業パーティーには、国王夫妻が重鎮を引き連れて訪れる。賛辞を送るためだ。
特に今回は、息子のスティーヴンがいるのだ。来ないわけが無い。
会場中の視線が集まる中、扉が開いた。
騎士に護られつつ、豪華な衣を纏った三人が歩み寄ってくる。中央の恰幅のいい人物が、ライアン・オルタナ国王陛下である。
両隣には妻のフローラと、有力な側近のマルコム・オーグナー。その三人の後ろから、重鎮が続いた。
普段なら拍手で迎えられるというのに、静まり返った雰囲気。異常な状況に、ライアンは首を傾げた。
「どうしたのだ、皆の者。何かあっ」
「スティーヴン!?」
ライアンの言葉を遮り、フローラがヒステリックに叫ぶ。拘束されたスティーヴンをいち早く見つけたようだ。
フローラの金切り声で状況を把握したライアンやマルコム、後ろの人達も慌て始めた。
面倒な事を言われる前に、エルミナが一歩前に出てカーテシーを披露する。
「御機嫌よう。国王陛下、王妃殿下、オーグナー公爵」
「エルミナ嬢……? 一体、何が起きているのだ……?」
「スティーヴン殿下が私を罪に問うと仰るので、過去にそれ以上の事をして何の咎も受けていない事実をお伝えした迄です」
「簡潔に述べれば、ハンディニル国使節団の男爵令息への暴言、それに伴う信頼の低下。
政略的な婚姻を理解せずに、歪んだ嫉妬心によるエルミナ様への暴行と強引な婚約。
及びハンディニル国との貿易永久中止を皆様にお伝えしました」
ステラの補足に、三人の顔が一瞬で青ざめた。他にも、重鎮の何人かが顔を歪める。
他の者は言われた内容に驚愕を示し、俄に信じ難いと後ろ姿を眺めた。
しかし、国王の後ろの彼ら以外にはその変化がはっきりと見えている。それが、映像の真実味を増していた。
その中で、いの一番に我に返ったマルコムが前に踏み出し叫ぶ。
「エルミナ! 貴様、何を以てそのような不敬な嘘をつく!? 婚約破棄という汚名を嘘で隠す気か!?」
「嘘ではなく、記録玉という証拠に基づいたものですわ」
「それが真実だとは言えないだろ!?」
「あら嫌だ。記録玉は有名な魔術大国が作り上げた品で、そう簡単に偽造なんて出来ませんわ。オーグナー公爵ならご存知でしょう?」
「父親に向かってその口のきき方はなんだ!?」
「勘当と言われましたので。オーグナー公爵にとっては、娘よりお金や名誉の方が重要ですからね。
だから八年前、私を放置して、王家ではなくハンディニル国に慰謝料請求という愚行をしたのでしょう?」
「それはっ、いや違う! そもそもステラ! 元影の貴様が王家を貶める映像を流した事が、何よりも偽造の証だろうが!」
エルミナに口で敵わないと悟るや否や、口撃をステラに向ける。
口から泡を吹いて叫ぶ様は、無様としか言えない。その様にエルミナは肩を竦め、ステラに声をかける。
「ステラ、説明を」
「はい。沈黙が抜ける条件でしたが、有事の際はエルミナ様を優先するようにと例外を受けております。嘘だと思うのなら、長へ。しかし、周囲の皆様は分かってくださっている様子です」
そう言われて、慌てて周囲を見渡すマルコム。
自分や国王夫妻、スティーヴンに向ける視線の冷たさにやっと気づいたのだろう。
愚かにも、必死に反論するマルコムの姿が事実だと、一緒に来た者達にも伝わってしまった。
侮蔑の視線に耐えきれないのか、フローラが懇願するように前に出て膝を突いた。
「待ってぇ! エルミナちゃん、誤解なのよぉ!」
「誤解? 証拠に基づく事実を述べた迄です。もう、ヒステリックに泣き喚けばなし崩し、なんて事はないですよ」
「酷い、酷いわぁ! 私、エルミナちゃんを本当の娘のように思っていたのにぃ!」
わぁっと両手で顔を隠すフローラ。美しいとはいえ、三十を超えた女性がするには痛い仕草だ。
それに、先程のレイナの涙を見た令息令嬢には、フローラのそれは演技にしか見えない。
喚くフローラにエルミナは眉を釣りあげ、扇で口元を隠して見下した。
「本当の娘、ですか。ではお聞きしますが、一ヶ月前のパーティーのドレスを贈ったのもその一環で?」
「そう! そうなのよ! スティーヴンが贈らないって言うから、エルミナちゃんに似合うとびっきりのドレスを作ったの! 嬉しかったでしょう?」
「いい趣味でしたね。背中の傷を見せびらかすような、素敵なデザインでしたもの」
冷ややかに言い放たれた事実に、フローラはハッとして顔を上げた。涙どころか、瞳すら潤んでいない。
嘘泣きの王妃に幻滅の視線が突き刺さる。エルミナの言いたいことを正しく理解した主に令嬢は、それはもう汚物を見るよりも酷い目で王妃を映す。
「あの、エルミナちゃん、それは」
「実の娘だと思っていたのでしょう? まして、実の息子が乙女につけた傷。まさかまさか、お忘れになっていたわけありませんよね?」
エルミナの圧に、フローラは何も言えなくなった。
否定すればわざとそのようなドレスを贈った非道な女になり、肯定すれば近くにいた同性でありながら忘れていた不道徳な女になる。
フローラに出来るのは、主語のない稚拙な自己弁護だけだ。
無様なフローラを、後から来た者達も白けた目で見始めた。
王妃とは、国の顔。慈愛ある微笑を浮かべながら、腹の中では冷静に分析をして、国王を支えて国の為に動く。
今のフローラとは真逆の人物像だ。
そもそも、フローラは王妃の器どころか貴族の器ではない。
伯爵令嬢だったが不勉強さが目立ち、常に夢見がち。
それなのに今の地位にいるのは、ライアンの婚約者決めのお茶会に無断参加したからだ。
貴族としてはありえない無知な愛嬌は、不慮の事故で幼い頃からの婚約者を失ったライアンには魅力的に見えたらしい。
遅くからの王妃教育でも問題ない娘だけを呼んだお茶会だ。能力があると周囲は疑わず、すぐに結婚式が挙げられた。
しかし、いくら教えこんでもフローラは全然使い物にならない。それどころか、人前でも感情が昂り泣き喚く様に、優秀な人材は頭を抱えたという。
婚姻に反対していた伯爵一家は貴族籍を返上し、伝手を頼りに他国へ渡っていた。英断としか言えない行動である。
逆に、政にとことん弱い妻を持つライアンは、徐々に評価を下げていった。
その一人息子のスティーヴンは、フローラの悪い部分を中心に受け継いでしまっている。名誉を取り戻すどころか、更に泥を塗ることが明白。
王家の評判を上げる為に、聡明なエルミナを求める事は自然の理だったのだろう。
しかし、エルミナの意志などお構い無しだ。そのツケが、今この瞬間に来ていると言える。
「さて、ライアン陛下」
名前を呼ばれたライアンは、遠目でも分かるほどに身体を震わせた。だらだらと汗を流し、顔色も悪い。
気分はまさに、断罪を待つ囚人だろう。王としての威厳もない姿に、エルミナは微笑んで言葉をかける。
「そう脅えては、王家の評判は更に落ちますわよ?」
「ならっ、何が望みなのだ!? このような場で、スティーヴンやフローラ、それにオーグナー公爵までも辱めて、何がしたい!?」
「望みと言われても……私はただ、降りかかる火の粉を払っただけです。まぁ、その過程でスティーヴン殿下の非道も晒しましたが」
そこまで言うと、エルミナはポンッと手を叩いてライアンを見つめた。
「そうですわ。全ての裁量は、ライアン陛下の元にありますもの。今、改めて決めていただきましょう」
「どういう事だ……?」
「スティーヴン殿下は、コルマン男爵令嬢への暴言が私の罪だとして、辺境の修道院送りを命じました。
しかし、私がしたことは八年前にスティーヴン殿下がクルベス男爵令息にした事の下位互換。国益にまで響いておりますので、殿下の方が罪深いはずです。なのに、私だけ裁かれるのは不公平でしょう?」
パシャリと、扇を閉じて切っ先をライアンに向ける。
「道は二つ。一つは、私の行動を罪に問うこと。その場合、揉み消したスティーヴン殿下も罪に問う事です。それも、私よりも重い罪でなければ皆は納得しないでしょう。
もう一つは、私も殿下も不問とすること。如何なさいます?」
小さく首を傾げてエルミナは問いかける。ライアンには、地獄の裁判官に対峙した気分だろう。
会場にいる皆の重い視線が、ライアンに集中する。
ライアンは固まったまま目だけを動かし、フローラ、スティーヴンを視界に入れた後、深く目を閉じる。
しばしの沈黙。そして、震える唇を動かして言葉を紡いだ。
「こ……此度の、件…………………………不問と、す………………………………」
絞り出した言葉は、スティーヴンを庇う選択。
王家としては失格の身内贔屓。
会場中の誰もが、失望の眼差しで王家を見つめた。
もはや、何をしたとしても王家の威厳は戻らないだろう。あとはただ転がり落ちるのみ。
「……せめて、弟妹がいれば変わったでしょうに」
ぽつりとエルミナが呟く。八年前に庇った時点で、スティーヴンを切り捨てる選択はないも同然だった。
唯一の子供、という点が大きいのだろう。
出産の苦労に、フローラが嫌がったからだ。妻に甘いライアンも、部下の忠告を無視して妻を尊重した。
平民なら許されたが、血筋第一の貴族にとってはあってはならないことだ。
ましてや王族ならば、自身よりも跡取りを優先して子作りせねばならない。
そうすれば、スティーヴンに然るべき処罰ができ、ここまで王家の名が地に落ちなかっただろう。
もう過ぎたことだ。考えても仕方ない。
それよりも、やっと取れた重荷に安堵の息を吐く。
好意を寄せた相手との婚約を無理やり破棄され、暴力を奮った相手との婚約。憎悪を心の奥底にしまい込み、絶対に心寄せないと決めた。
例え結婚したとしても、白い結婚を貫く。王族としては失格だが、触られると考えただけで反吐が出そうになる。
王妃としての責務は、国の運営で結果を出す。なので、側妃なり愛妾なりで血筋を残せばいい。
周りから何を言われようとも、国の為だけに生きていく。
抜け殻に喝を入れ、それだけを目標としていた。
だが、エルミナにした仕打ちを忘れて男爵令嬢と親しく話すスティーヴンの姿は、憎悪を表沙汰にするには十分だった。
エルミナがしたことは、スティーヴンの言動を真似ただけだ。
あまりにも酷すぎる言葉は、演技でも言いたくないので言い換えた。
結果、まさかの婚約破棄と勘当を向こうから引き出せた。
おかげで、諦めていた物に手が届きそうだ。
エルミナが自由に行動する前に、レイナへの詫びが先だ。
ステラに目配せをすると、それを受けたステラは、姿勢よく歩いてレイナの傍に膝を突いた。
視線を合わせ、懐から恭しく手紙を取り出し渡す。
「こちら、エルミナ様個人よりの手紙でございます。後ほど、お読みください」
「わか、わかりました……あの、ごめん、なさ……」
「大丈夫です。エルミナ様にその気持ちは通じておりますから。御三方、コルマン男爵令嬢をお願いします」
ステラの一礼に合わせ、エルミナは三人に笑みかける。
側近候補だった三人は互いに顔を見て、力強く頷き返した。
封筒にはポケットマネーから算出した小切手と、騒動に対しての謝罪の文を入れてある。
何もしない王太子に代わり繋いだ他国との縁から、入手した財産だ。そこから、貴族でも暫くは遊んで暮らせる額は入れてある。
しかし、金で解決する問題ではない。それに、スティーヴンの本性はレイナの精神をさらに疲弊させた。
今後のケアなどが必要だが、加害者であるエルミナが出しゃばっては逆効果だろう。
後は、まともな感性の三人に任せる。きっと上手くいくはずだ。
「では、罪なき私はこれで失礼させていただきますわ」
「ま、待てエルミナ! どこに行くつもりなんだい!?」
「そうだ! 勘当を受け入れたのならば、一歩も屋敷に踏み入れさせないぞ!」
最後まで予測通りの言葉だ。ため息交じりに、エルミナは丁寧に説明する。
「勿論、オーグナー公爵家へ向かいません。『エルミナを大衆の目前で謝罪させ、自分に縋らせる。そして、レイナと仲良く三人で幸せに国を治めたい』などという妄言を、殿下が友人に漏らしていた時から行動しておりました。
すでに纏めた荷物は、信頼のおける使用人達と共にある場所にあります」
「どういう意味だ……!?」
「わかりませんか? 幼い頃の初恋を叶えに行きます。地位を継いだ男爵様も、かつての使節団の方々も、国王様も。平民エルミナの到着をお待ちくださるそうです」
そう言って、エルミナは頬を染めて微笑む。
年頃の乙女の微笑みに、その場にいた誰もが目を奪われた。
「ザック様とは、内密に文を交わしていましたの。返事が来る度に、心高鳴り笑みが止まりませんでしたわ。この想いを抱えたまま、この地で朽ち果てるのかと悔しくて眠れない日もありました。それも今日限りです」
今にもスキップしそうな程に、エルミナの歩みは軽やかだ。
現クルベス男爵であるザック、その髪色であるドレスも、主人の喜びを表すかのようにひらりひらりと揺れ動く。
呆然とする国王の横を通り、ステラに止められた血走った目の父の横を通り、入口に向かう。
「ハンディニル国には、東洋より取り入れた『タトゥー』という物があるそうです。肌に絵や色を付けるらしく、傷を覆う物として使われるそうですわ。
この忌々しい傷が跡形もなくなると思うと、素敵としか言えませんわね」
弾む言葉が、喜びの大きさを表現している。
エルミナは外まで後一歩のところで止まり、くるりと振り向いた。
自分の世界に逃げ込んで静かなスティーヴンとフローラ、背を向けて俯くライアン、ステラに取り押さえられて項垂れるマルコム。
その四人を除いた全員が、エルミナを温かく見守っていた。
パーティーが始まる前とは違う雰囲気に包まれ、とびっきりの笑みを浮かべた。
「それでは、聡明な皆様の今後を期待しております。御機嫌よう!」
過去一番に美しいカーテシーを披露し、エルミナは自由へと走り去って行った。
お付き合いいただきありがとうございました!
ブクマ、感想などなどお待ちしております




