雛の胎動
篝火雛はその夜、昼に負傷した腹部の痛みから目が覚め、痛み止めを貰いに寝室を出た。
どの番街区も物資が不足している。痛み止め一つ貰うにしても許可がいる。
だが篝火雛にとってそんな事は気にならない。別に規則を破って死ぬ訳ではない。
怒られたなら黙って下を向いていればいずれは時間が終わりを告げる。
なら篝火雛はこの痛みからの解放を目指す。
いつも通り必要最低限しか無い常夜灯が、廊下に点々と夜闇を薄く照らしている。
壁沿いに廊下を進み、階段を上がって行く。
痛み止めがあるとしたら、此処ぐらいだろうと当りを付け。雛は明かりの落ちている医務室の扉に手を掛ける。
「そこで何をしているんだい?」
突如として掛けられた言葉に、今の所はまだ悪い事をしている訳でもないのに挙動不審に肩が上がった。
「あっ善さん……」
「はい、どうしたんだい?こんな時間に」
気が立っているのか、見下す視線と声色は雛への追求をより強く感じさせる。
「あっあの……その、今日の訓練で怪我をして……痛くて」
雛は怒られる事は平気だが、決して進んで怒られたい訳ではない。
「怪我ですか……今も痛いのですか?」
「その……今日の訓練でちょっと……結構?痛い……です」
雛はフェイズ2から受けた傷がまたズキリと痛むのを感じていた。
「成る程、地区遠征まで残り日数もあまりないですから、気をつけないといけないよ。それから痛み止めは、部屋に入って棚の上から二番目にありますから。痛みが出始めたら飲んで下さいね」
善から人のいい笑顔で発せられたその言葉を雛はなんの疑いも無く受け取った。
だからその疑問は起こるべくして起こったと言えるだろう。
「善さんも、痛み止めを飲む事が……あるんですか?」
善は常駐隊隊長で、身体の不自由から戦闘に参加する事はない。
善が動くと言えば、望んだ生徒に剣術を教える事があるぐらいだろう。
「ありますよ、どうしても痛くてたまらない時は飲みますから。皆には秘密ですけどね」
それだけを伝え、善はつまらなさそうに闇の蔓延る廊下の向こうに消えて行った。
その背を見届けて、雛は指示された棚を開け錠剤を探し出す。
それは恣意的に起こったのか、はたまた必然的に起こったのか?
雛は袋から一錠だけクスリを取り出すと、袋に入っていた紙を広げてその内容に目を通した。
地図、それも此処最近で行った憶えのある場所だ。
「八城には重要な秘密がある。必ず一人で来る事」
連なる文字にドキリと鼓動が跳ねた。
人物の名前がそうさせたのか?
その内容か?
違う。
その両方だ。
篝火雛が動くには十分過ぎる。
助けられた人間の秘密、それを知る事は無粋なのは分かっている。
だが仮に知っていたとしても、都合が悪いなら知らない振りをしていれば、良いだけだ。
それはきっと、篝火雛が問題児と揶揄される所以なのだろう事は雛自身が一番分かっている。
文字の隣に描かれた地図を眺めながら、篝火雛はその紫色の特徴的な錠剤を舌に絡ませ飲み下す。
特徴的なその錠剤の味は少し甘くて、癖になりそうな味だった。