フレグラ5
111番街区に到着した一同は、気絶したままの桃を医務室に連れて行き、美月と雛に見張らせる。
八城は訓練で不在の時雨を除いた二人を、善の待つ部屋に集め、事の詳細を説明した。
「つまり、真壁桃さんが野火止一華と例の研究者しか製造法を知らないフレグラを、何故か持っていた。ということだね?」
それはつまり桃が何処でフレグラを手に入れたか?
フレグラの出所いかんによっては裏切り者が確定してしまうという事だろう。
善はその内容を精査し、天井を見上げながら大きく溜め息をついた。
「八城。野火止一華が、真壁桃に興味を示す可能性は有ると思うかい?」
「戦力としての腕だけで見れば十分に有り得る話だろうな」
「そうか……なら、野火止一華より先に手を打たなければいけないかもしれないね」
「桃をどうするつもりだ?」
善は中央へ報告をするつもりは無いと言っていた。
であるならどう手をうつのか?
「僕個人としては泳がせて、様子を見たいというのが本音だよ。そうすれば後ろに居る存在も割れてくるだろ?」
その答えは八城に嫌悪感を与えるに十分な回答と言える。
「桃が危険すぎる。フレグラの存在がこちら側にバレたと分かれば、口封じをされかねない」
「そうかもしれないね。でも確実な方法だ」
絡む視線が二人の決定的に交わる事の無い意見を表している。
譲れないのは双方同じなのだ。
「僕はね、ここの常駐隊隊長だ。いくら真壁桃がそこの真壁桜さんの妹だからって言って特別扱いはできない。この意味が分からない八城じゃないだろ?」
「特別扱いなんて言ってないだろ。そもそも訓練生である桃を危険に晒す必要がない」
「彼女は訓練生の前に、裏切り者だ」
まだ決まってすらいない事実の筈なのに、善瞳は一つの結論を妄信している。
だから八城もこの言葉は譲れない。
「違うな、裏切り者の前に訓練生だ」
海へ吹き抜ける陸風が窓を揺らす。
睨み合い動かない八城と善を見て桜はおもむろに立ち上がった。
「隊長、私桃に会いに行って来ます」
だが、善は行かせまいと桜に睨みを利かせた。
「駄目だよ、今の彼女は、重要な人物だ。特に肉親である君には許可は出せないよ」
変わらぬ口調の善に対して八城はとうとうその胸ぐらを掴み上げた
「善!お前!」
珍しく感情を面に出す八城を善は冷ややかな瞳で見つめ返す。
「八城、君が怒るのは野火止一華がこの件に関わっているからだ。違うかい?」
「家族が家族と会うのに、お前の許可が要るのか?」
「質問を質問で返すのは、今の言葉が君にとって都合が悪いからだ」
認めたくはないがその通だ。
善の判断は正しいのかもしれない。
それに八城がこの件に関して気に食わない理由は、桃の事じゃない。
それでも、心の片隅に引っかかった僅かな気持ちだとしても、八城には今の善が間違っている様に思えてならない。
「……違わない……俺は何時だって一華の事を忘れた事は無い。だが、これは別だ!大切な人間が居て!何時何処で、何が起こって会えなくなるか分からない!お前がリンの事で一番分かってる筈だろ!」
八城は片腕の動かない善の身体を気遣う事は無い。
掴まれたままの善は、その時初めて痛みを堪える様に目を伏せる。
痛いのは揺れる左腕か、それとも……
「分かったよ、好きにすればいい」
善のその言葉を聞き、桜は一つ頭を下げ、その部屋を出て直に、紬もその後ろ姿を追いかけていく。
「桜待って」
廊下で桜に呼び掛けた紬は、普段と変わらず、眠たげな目で桜を見つめていた。
「どうしました?」
だから桜も普段と変わらない表情を作ってみせた。
「今行ってどうするつもり?」
「そうですね……姉妹喧嘩でもしてみようか、迷っている所です」
正直桜にプランなど無い。ただ行かなければいけないという使命感だけが、桜を突き動かしている。
「それは、あまりお勧めは出来ない。行く前に、桜一つだけ……」
「何ですか改まって。」
紬はあの錠剤が真壁桃のポケットから出て来た時から決めていた。
言う事が決まっている事に対して紬は躊躇わない。
「フレグラは、私が一番最初に使った」
言葉足らずの紬らしい告白。
それは紬にとっては恥ずべき過去。
だがそれが今、桜には必要だと思ったのだ。
「それってどういう……」
「八城君には鬼神薬がある。でも私は鬼神薬に適合しなかった。だからフレグラを使った。強くなるために」
切実とも違う、紬の言葉には八城の隣で四年間を戦い抜いた説得力がある。
「強くなるって、それで強くなれたんですか?」
「なった、一時的に。そして次第にフレグラへの欲求が抑えられなくなった」
淡々と喋る紬に対して逆に恐ろしさを感じる。
だが、恐ろしさより桜は聞かねばならない事がある。
「それって麻薬みたいな感じですか?」
桜にとって何かに頼る、それも麻薬のような卑怯な物など、姉妹でなくとも決して手を出して欲しい代物ではない。
「私はそういう物を使った事が無いから分からない。けれど、近いかもしれない。でも分かって欲しい。私はフレグラに何度も助けられた。フレグラに手を出さなければ、危機にならなかった場面も確かにあったけど、フレグラの効果は確かに強力な物」
今、桜はフレグラに対し憎しみに近い感情が湧いている。
だが、紬のその言葉はまるでフレグラを肯定するかの様な言い回しに取れる。
「それで、紬さんは何が言いたいんですか?」
確かに今の世界には法律など無いに等しい。だからその効き目が違法行為に近しい物であろうと誰も咎める事が出来ないのだ。
だがそれが桜にとって正しい事には思えない。
「簡単、私は絶対にフレグラは使わない方がいいと思う。だけど、生き残るために使う事を、使って来た私は否定出来ない。だけど桜。妹がもし、フレグラを使わないで死んでしまったらきっと桜は後悔する。だから全てを否定する事はしてはいけない。だけど……」
法が無くなった世界で、誰かに何かを強要する事は不可能に近いだろう。
だがそれが出来る存在がもし有るのだとすればそれは自分自身あるいは…
「私は誰かの、家族じゃない。どんなにフレグラが身を滅ぼすと知っていても、他人を止められない。でも桜は家族。桜にしか言う事が出来ない。私が言いたい事はそれだけ」
紬は言いたい事を言い終え。
桜に背を見せ元の部屋に戻って行こうとして次は桜が紬を呼び止めた。
「紬さんはどうやってフレグラを辞めたんですか?」
「簡単。八城君に辞めろと言われた」
「それだけですか?」
「それだけ、でも……大変だった」
珍しく紬は恥じ入るような表情を見せ今度こそ部屋の中に入って行ってしまった。
「大変だった」その言葉が珍しいと桜は思う。
あの紬が自分の弱みをわざわざ見せる様な真似を好き好んでする事など考えられない。つまり自分の恥を晒してまで、それを伝える必要があったという事だ。
桜は気合いを入れる様に頬を二回パンパンと叩き、その痛みから少し涙ぐんでしまう。
「よし!」
桜は桃がいる5階、医務室へ向かって歩き始めたのだった。




