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プラナリア  作者: りんごちゃん
背水の牙城
360/386

空命10

「お客様にお願いするのは心苦しいのだけど、これを桜ちゃんの部屋に持って行ってもらっていいかしら?二階に上がって突き当たりの部屋だからすぐ分かると思うわ」

大分冷たくなった水での洗いものの途中で、マリアは赤くなった指先を擦りながら未だテーブルに座ったままの九音へそう切り出した。

一人分だけ取り残された食事が誰のものかなど尋ねるまでもない。

兄から言伝を預かっている九音からすれば渡りに船で、断る理由はなくむしろ言伝を伝えるための口実を作ってくれているのだと鈍いながらも理解できる。

会釈と共に一人分の食事の乗ったお盆を受け取ると、マリアは『よろしくね』と一言を残し、まだ溜まっている洗い物へ手を付ける。

盆を持ち、一段一段慎重に上がっていくと部屋は全部で五つに分かれているが、突き当たりと言われた部屋に続く扉は一つしかない。

噂では聞き及んでいる『真壁桜』という野火止一華と東雲八城に続く鬼神薬適合者は、九音にとっては恐ろしい存在だ。

一対一であるならまず勝てる見込みは無いだろう。

仮に一華のように気分で人を殺める人物であったなら……

そんな想像を膨らませ、背筋がビクリと震え上がるが、仮にそんな危険人物であるならあれだけ歓迎した九音をマリアが一人で行かせたりはしないだろう。

一度、二度と呼吸を整えて緊張を吐き出し、九音は扉を二回ノックして数秒――

数秒おいてノックに返事が無い事を確認した九音は部屋の前を後にしようとした時

「食事ならそこに置いておいてくれませんか?」

寝ているのかと思い部屋の前を後にしようとした所で、部屋の住人から返事が来た。

「桜さんですよね?少しお話がしたいのですがここを開けていただけませんか?」

正直に言えば九音の中で恐怖より興味が勝っていた。

一体どんな人物なのか?

たった一人で大食の姉を相手取り、鬼神薬を使わず一矢報いた真壁桜を一目見てみたかった。

九音は意を決し言葉を連ねたが扉の向こうからの声は一つ間を置いて返って来た。

「……誰ですか?」

疑問は当然だ、知らない声に聞き返した桜の細く濁った疑問の声色に弾かれたように九音も声を出す。

「あっ……私、東雲九音っていいます!兄から桜さんに言伝を預かっているので、少しでいいのでお話を聞いては貰えませんか?」

慌てた自己紹介は、きちんと扉の向こう側に届いた様でベットの軋む音の数秒後、閉ざされていた扉が開かれ『どうぞ』と蚊の鳴くような声で部屋の中へと通される。

持っていた桜用に用意された食事の乗ったお盆を手渡し、勧められたパイプ椅子に腰掛ける。

「それで何かな?隊長……じゃなくて八城さんから私に言伝って?」

慌てて部屋を開けたのか、髪はボサボサで胸元は大きく開いていており、同性であろうと扇情的な姿に思わず視線を逸らすが、桜自身はそんな事も気付いて居ないのか食事にも見向きもせず九音へと向かい合っている。

「ご飯食べないんですか?」

手を付けようとしない桜に用意してくれた桃や美月の顔がよぎり食事を促すが桜は返事をする事も無く九音を異様な眼差しで見つめ続けているが九音は。

「マリアさんと桃さん美月さんが一生懸命作ったものです。私もさっき食べましたけど、とても美味しいので冷めないうちに食べて下さい」

「別にアナタが居なくなったら食べるから、それより八城さんから私に何を言付かってきたのかな?」

桜の微かに苛立ちが混じる息づかいに九音は焦るべきではないと悟り、八城から預かった言葉を思い返す。

「兄から桜さんに一つだけ『関わるな、出来る事なら作戦から逃げろ』と、一華さんが参加する作戦は危険だからと」

短く単調ではあるが、仲間を案じた八城なりの気遣いだと九音は思う。

いや、きっと誰が聞いてもそれは優しさの部類に入る言葉の筈だった。

ただ一人、真壁桜を除いては……

九音が聞いたのは、微かな沈黙の後の乾いた笑い声。

本当に楽しそうに、鈴を鳴らしたようにコロコロとした小さな笑いから、次第に歌い上げるような高らかな笑い声ヘと変貌していく。

「隊長が私に?逃げろって?関わるなって?ハハハっ!隊長が確かにそう言ったんですね!?」

笑い声の合間を縫い喋る桜に、九音が感じたのは不快感と不気味さだ。

それは何処かで経験した事があると感じて考えてみれば一秒と待たず答えに辿り着く。

その不気味さの正体は誰でもない、九音がよく知る野火止一華と同種の不気味さだ。

何を仕出かすか分からない、首輪の外れた狂犬の様な笑い声は理解の及ばない根本の恐怖を掻き立てる。

「なにが……なにが、そんなに面白いんですか?私今そんな笑える話をしましたか」

「別に面白くはないです、ただ滑稽じゃないですか。私は隊長に八番を任せたと言われてその役割を私なりに全うしようとしていました。それなのに隊長は私に逃げろと、関わるなと、そう言ったんですよね!」

絶え間ない笑い声が途絶え、暗く蟠った部屋の明かりは桜の表情をゆったりと映し出す。

「ハハハッ!フフッハハッ!隊長って本当に人を馬鹿にするのが上手ですよね!」

締まり無く浮かべた笑みは純粋でありながらも不純な桜の笑みを見た九音は、異常なまでに自信の心音が聞こえて来て、ようやく自分が緊張していたのだと理解した。

心臓の鼓動を抑えるように呼吸を整えている九音を、桜は数センチの距離から覗き込む。

「九音さん、東雲九音さん。私からも隊長に伝言を伝えて貰っても良いですか?」

これから111番街区に戻る九音からしてみれば伝言を伝えるぐらいは断る理由も無いが、それでも引き受けたくないと思うのは彼女の異様さが際立つからだ。

関わりあいになりたくない、だが今の彼女の敵に回りたくもない。

束の間の無言を肯定と受け取った桜は人懐っこい笑顔を九音へ向け

「『私を止めたければ自分で出向いて来て下さい』とお伝え下さい、まぁそれで私が止まるかどうかは知りませんけど」

そう言って口元を三日月ように歪め、微笑んだのだった。

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