帰郷5
夕刻、八城率いる八番隊は新宿近くの番街区55番街区代表の雨竜冴子に迎えられ、特別に宛てがわれた完全立ち入り禁止区間に通されるという異例の措置の元、一晩の休息を許された。
「誰も通されねえ牢屋みてえな部屋が特別つうのか?なぁ大将?」
三組で分けられた部屋は桜、菫のペア。マリアとテルと紬のペア。
そして八城と時雨のペアと分かれたが、誰の部屋も風通りも悪く、カビ臭い部屋に押し込まれている。
しかも建物周辺には常駐隊の護衛付きで外出もできないという徹底ぶりだ。
急造というより、ずっと使われていない施設に寝具だけを運び込んだやっつけ作業と言った方が適切で、時雨の不満も理解できないわけではない。
「そう言うなよ、今の俺達の状況で休ませてくれるだけでも有り難いことなんだ、特に菫に関していえば外に放り出して然るべき存在だ。全員を纏めて面倒見てくれるだけでも冴子さんの立場も危ういぐらいだ、俺達は文句なんか言えないんだよ」
目の前に居る雨竜冴子も微かに瞳を伏せ申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんさない、八城くん。今は東京中央番街区全体がクイーン討伐成功の熱気に包まれてるから当事者であるアナタ達の存在は住人には刺激が強過ぎる。それに何処からか人間の言葉を喋る感染者の情報も住人に知れ渡り始めてる、番街区の中でアナタ達を受け入れるにはあまりにもリスクが大き過ぎるのよ」
「ハッ!大将!私達も随分と嫌われたもんだな!」
ゲラゲラと笑ってみせる時雨だが、状況は全く笑えない。
東京中央を中心に番街区を運営しているものの、東京中央所属の遠征隊から各番街区ヘの強制権は存在しない。
幾度と色々な番街区へ行った事がある八城だが全ての物資は番街区に所有権が依存する。つまり物資を徴収する事は原則禁止されているのだ。
武器が足りなかろうと、食料が足りなかろうと番街区が八城へ渡さなければそれまでなのだ。
あらゆる自治権は各番街区の代表である人間に一任されており、懇意にしている雨竜冴子だからこそこうして一時の休息を享受する事ができている。
足りていなかった食料も分け与えてもらえるが、ここから先の番街区で八番隊が同じ様な厚意を受けられる保証はない。
そして、そういう時に限って問題は起こるものだ。
冴子の厚意によって番街区で一晩を過ごした翌日の事だ。
僅かばかり蟠っていた夏の暑さを蹴散らす秋の涼しさが番街区の隅々まで行き届き、出発の朝はやってきた。
八番隊の面々が寄り集まりながらそれぞれの装備を担ぎ立ち並ぶ中一人、どうにも様子がおかしいのが一人。
いつもながらに無口な狙撃手は、頬にはほんのりと赤みが差し、八城は体温を確かめようと額ヘ手のひらを寄せていくと微かに嫌がる素振りを見せたが観念したかの様に抵抗をやめた。
手のひらから伝わって来る体温はやや温かく、瞳の色も何処か覇気が無いのは気のせいじゃないのだろう。
「おい、紬お前まさか……」
「これは違う、ちょっと身体が火照っているだけ。いわゆる発情期」
「言い逃れをするにしても、もうちょっとマシないい訳を用意しとけよ……」
八城は捕まえた紬をマリアへ引き渡し、マリアはキュッと紬を抱きしめる。
「あらあら、まあまあ、これは間違いなく熱があるわね。仕方ないわ、季節の変わり目には子供達は体調を崩すものだもの」
かなり無理が祟ったのだろう、ギリギリの作戦続きだった最中に紬が体調を崩さなかった事はむしろ幸運だったと言えるだろう。
「問題は何処で紬を休ませるかだが……」
八城が考えを巡らせていると、一人の男が雨竜冴子に近づき何やら耳打ちをすると、冴子の表情はより一層の曇りを見せた。
「八城くん、申し訳ないのだけど少しの住人が八城くんたちの存在に気付き始めてるみたいなの……心苦しいけど」
今八城たちの存在が番街区の住人にバレてしまえば、冴子が運営する番街区の統治が難しくなるだろう。
「ここらが潮時か……」
「ごめんなさい。せめて、私にはこれぐらいしかできないけど番街区専用のセーフルームがあるから使ってちょうだい」
手渡して来たのは場所の地図と一本の鍵だ。
番街区住人が危険に晒された場合、一時避難場所として使われる場所に一定分の食料と寝泊まりができる施設が用意されている場所だが、通常番街区の住人のために用意された施設を遠征隊が使う事は許されていない。
だが、その裁量の全ては番街区の責任者に一任されている。
そしてこの場合の責任者は雨竜冴子だ。
「いいのか?バレたらかなり責められるんじゃないのか?それに、番街区の代表が住人より遠征隊を優先したなんてバレたら、代表としての立場だって危ういだろ」
「その時は喜んでこの地位を降りるわ、それに出来ることをせずに紬ちゃんが居なくなって自分を責めるよりはマシよ」
雨竜良が命を賭して守り抜いた少女を恨む事もなく、雨竜冴子は優しく紬の頭を撫でる。
「良の分までしっかり生きてもらわないと許さないわ」
「おいおい、子供相手だぞ。そんな言い方しなくてもいいだろ」
だが、恨まずとも言葉の裏に潜む激情は今もなお冷める事を許さず熱を持ち、雨竜良という存在の大きさを忘れる事はない。
「関係ないわ、人の男の最後を使い切っておいて生温い生き方は許さないのは当然でしょう?それに、今のあの子を子供扱いしているのはもう八城くんだけじゃないのかしら?」
「……ん?それはどういう意味だ?」
紬は子供だ。
それもまだ16歳の少女と言って差し支えない年齢である。最近は反抗期が入って来て中々に扱いづらい時もあるが、初めて会った時からすでに反抗期だったため、八城の中で紬が言う事を聞かないのは基礎設計と言っても過言ではない。
「アイツは子供だろ?人の言う事は聞かないし我が儘は言うし、手が付けられない」
「そうかしら?大人だって人の言う事を聞かない人間も居るし、親しい間柄なら我が儘だって言うわよ、気を許してる相手ならなおさらね」
冴子は若干不貞腐れた紬をもう一度見返して、八城へ厳しい視線を投げかけた。
「よく考えてあげなさい。紬ちゃんはアナタが思うよりずっと考えてる。理解できていないだけでね……さぁ、もう行ってちょうだい。早くしないと住人が押しかけて来るわ」
追い出される様にして、番街区を後にした八城たちは地図の案内に従ってセーフルームへと向かって行った。