廃城13
見上げた空は青く夏の空の切れ目に積乱雲が漂う蒸し暑い昼下がり、八城と見知らぬ迷彩服を着込んだ屈強な彼らは、無人の街を歩いていた。
数分歩いた頃合いに、八城が逃した十名の生徒と数名の迷彩服と混じってご機嫌な一華が合流し賑やかな大所帯のまま海岸沿いの幹線道路を三十分程進むと接岸されている三隻の小型艇が見えて来た。
ただ者ではないという事は彼らの行動からして明らかだろう。
統率の取れた行動に手にした武装に移動手段として用いている船、何より彼らの戦闘能力の高さは一般人八城から見ても逸脱している事は明白だ。
彼らは船内に居た彼らの仲間の手によって、次々に船内へと乗り込んでいく。
八城も柏木に先導され小型艇ヘと乗り込むと、以外にも中は広々としており幾つかの部屋に別れた一部屋へ八城を招き入れる。
「怪我をしているのにこんな遠くまで歩かせて済まなかったね。いま傷の手当をするからそこに座ってくれるかい?」
ニコリと浅い笑いを見せた柏木に軽く会釈を返しつつ今の状況をなんとか理解しようと辺りを見回してみても、八城が知るものは見当たらない。
「どうしたんだい?といってもキミが混乱するのも無理もないよ。僕たちだってこの一ヶ月で分からない事だらけの中で戦って来た」
八城を手当てする横顔は哀愁に満ちており、柏木と名乗った彼女のこれまでの戦いを僅かながら垣間見る事が出来る。
「当然ながらキミの混乱はもっともだ。一華先輩が居たとはいえキミはたった一人で戦って来たようなものだからね。だから僕が知っている範囲で良ければキミの質問に答えよう、気になる事があるならなんでも聞いてくれ」
擦り傷に消毒液を掛けられ、ひりつく痛みに耐えながら八城はこれまでの道中に考えを巡らせる。
「今の……というか、この世界は今どうなってるんだ?なんで人が人を食ってる?あの化け物は一体なんなんだ?」
八城の足にガーゼを巻き付ける柏木の旋毛を見つめながら、八城は絞り出した質問を口にすると柏木は手を止める事なく淡々と血色の薄い唇を動かす。
「正直な話をするのなら僕たちも分からないというのが正しいだろうね。この現象が発生してから早急にあの化け物に対しての調べを進めているが、生体や行動原理や弱点に至るまで解明不足としかいえないのが現状だ。ただ通常の奴らが群れをなして人を食う。食われた人間は人食いの化け物に代わり、奴らの隊列に加わっていく……目で見て分かる範囲であるならそうとしか言えないかな」
「なら……なら!アイツはなんだって話だろ!アンタも見た筈だ!なんだよアレは!なんで人を食う筈の感染者が感染者同士で殺し合ってんだよ!」
声を張り上げて恐怖をひた隠す八城だが赤い甲冑の感染者を思い返し、未だ恐怖に震える拳を握り込む。
柏木は八城の心情を見透かしたように、八城の傷の手当を仕上げていく。
「僕達はあの、奇妙な動きをする個体の事を総じて『ユニーク個体』と呼んでいるんだ。他の感染者と比べても行動の範囲が分からない個体だが、ユニーク個体に共通しているのは一個体の圧倒的なまでの攻撃力と、他の感染者グループから総じて攻撃を受けているという事だ」
柏木は、前の白板に数枚の写真を貼付けていく。
様々な形をした異形の化け物が総勢三体、その中には先に戦った赤黒い肉の甲冑の化け物の姿もある。
「見て分かる通りこれら三体全てがいま確認されている僕たちが『ユニーク個体』と呼んでいる特殊な個体だ。そしてあの戦場であの個体が現れてから感染者の流れが変わった。感染者は学内校舎に居るクイーンを守るように動き出した。その中心に居たのがキミとあの甲冑の化け物だ。僕たちが来たとき、正直に言って八城くん……キミの救出は絶望的だった。校舎周りは感染者に囲まれていて手が出せる状況じゃなかった。だから僕が部隊の撤退をする選択を取ろうとした時その中で突然、奴らの包囲網に穴が空いた……いや、開けざるを得なかったんだろうね。『僕らに対して』守るべきクイーンへの穴を開けてでも防がなければならない脅威があの場には居た」
説明するまでもない、柏木が言うクイーンにとっての脅威とは間違いなくあの赤い甲冑の感染者の事だ。
「キミは運がいい。キミの運と判断で子供達は助かった。これは紛れもない事実だ。だけどキミの幸運はあの場にあの化け物がいた事であると同時に、キミの不幸はあの化け物が居た事だ」
八城に対して嘘をつく理由が目の前の柏木にはない。信じたくはない、だが事実なのだろう。
「とにかくだ、キミは何者にも噛まれる事なく生き残った。フレグラに関しても、摂取量を徐々に減らしていけば問題ない筈だよ、今はゆっくり身体を休める事に専念すれば良いさ。大丈夫、ここは安全さキミを助けた僕が保証するよ」
空調が効いた室内に、簡素ではあるがベットもある。
何より感染者が入っている事のない海上であり、頼もしい彼らも居る。
人が人らしく居られる空間がここにはある。
「あっ……あぁぁっああああ!」
ただ痛い。腹でも胸でもない。
だが踞る程に痛い。
この光景は何よりも八城を痛みヘと誘う。
「大丈夫かい?キミは随分と頑張ったようだね」
優しく背中を擦られ、八城はようやくこの場所の意味を理解する。
安心して眠れるのは幸せな事だ。
食卓を囲む家族も、言葉を交わし笑い合う友人も活力となる温かい食事も身体を潤す冷たい水もそれは全てが幸せだった。
あらん限りに、八城の中で抑えていた感情が押し寄せる。
「俺は!明日の予定も、みんな!この夏にやる予定があったのに!妹の誕生日だって!近かった!頼られたって助けられないんだよ!俺はそんな大層な人間じゃないんだ!みんな……みんな……」
「そうだね、みんな明日を生きる予定だった、無論僕だってそうだ。でも僕やキミが望んだ予定通りの明日は来なかった。だけど八城くん予定通りの明日が来なくても、キミは紛れもない誰かの今日を明日へ繋いだ。僕や僕の仲間じゃ間に合わない場面でキミは一人でも動いた。それは誇るべきキミの力だ」
ここに辿り着きたいと願った人間が一体何人居ただろう……
暑さに茹だる幹線道路を何度走っただろうか?
時に囮となり、時に自身が逃げるために走った。
意識が朦朧としながらも視界に捉えた景色は決して忘れる事なく八城の脳裏に張り付いている。
道中は無理の連続だった。
体力は削がれ、怪我もしている。
八城の身体が休息を求めているという事は八城自身が一番理解している、だが八城にはまだ一つだけやらなければいけない事がある。
「あの!……」
意をけして発した言葉だったが、次いで来た荒々しい扉の開閉音が八城の次に続く言葉を遮ると、次には見知った憎たらしい顔が向こう側から現れた。




