錯誤2
押し込められた室内は埃臭いものの、過ごしやすい涼しさを保っている。
現在時刻が午前九時、十二時間後という事はここを出る事が出来るは夜の二十一時前後という事になるが、この温度であるならこの部屋が蒸し風呂になることはないだろう。
だがより問題なのは暑さより子供達の方だろう。
暗く沈んだ子供達がどんな気持ちで薄暗いこの部屋の中に居るのかなど想像するまでもない。
一縷の望みと共に難局を乗り越え、ようやく辿り着いた場所には自分を待っていてくれる両親も受け入れてくれる知り合いも居ないとなれば、これまでの苦労の意味が無い。
再会を果たせなかった子供達が感情を押し殺し、すすり泣く声が所々から聞こえて来る。
だがそんな子供など気にしない事が当然の如く一華は落ち込んでいる子供など素知らぬ顔で、部屋をぐるりと一周した後に部屋の隅で寝始め、共に押し込められた看取草は気まずげに八城たちへ勢い良く頭を下げた。
「本当にごめんなさい!私があらかじめ言っておけば八城たちに嫌な思いをさせる事もなかったよね……」
見るからに落ち込む看取草だが、一定時間を置いて感染者を見定めるのは必要な処置である事は間違い。
それに、多くの人々が集まっている避難所を預かっている代表という立場であれば、万が一にも安全を確保するのは当たり前だろう。
「まぁ、あれだ。外で見張ってくれるなんて、ここは親切な人間居るみたいだし。それに安全な場所に居る事は確かなんだ。全員無事に避難所に到着した、外を気にせず安心して休めると思えば有り難いよ」
気にすべきは、八城の個人的な感情よりも、子供達の方だ。
今八城の目の前には二色の顔色がある。
一つは親に出会えたことから緊張の糸が切れ零れる笑みを浮べている子供。
そして二つ目はこの場所に誰も居なかった子供達だ。
肉親も知り合いも居ない子供達。
八城と一華がこの子供達を連れて歩く事が出来るのは避難所である『朧中学』まで……つまりここまでだ。
これ以上先へこの人数の子供たちを連れて行けば、待ち受ける運命はそう遠くない未来に絶たれる事になるだろう。
だから、最も生きる確立が高く生きるのに最も過酷な環境に彼らを置いていくしかない。
不安気に見上げる視線に八城は不器用な笑いで返すが自分たちの道すがらを理解しているのだろう、暗い顔はこの数日で見たどの表情より暗く沈んでいる。
ここまでの数日ではあるが短くない期間守ってくれていた八城がいなくなる事が、子供達にとってどれほどのストレスになるかなど八城には計り知る術もない。
「安心しろ、大丈夫だ。きっと何とかなるさ」
これ以上の無責任な言葉もないが、子供達へこれ以上に掛けられる言葉がない事も事実だ。
そして八城の気休めで緩和される程この子供達は街で起きている現実を何も知らない訳でもない。
子供らは直面し子供達にはどうにもならない場面をどうにかしてしまった大人が二人居ただけだ。
「八城〜難しい顔をしているけれど、どうにもならない事の方が多いのだから考えるだけ無駄よ」
「どうにもならないからって、何も考えない方がいいなんて訳がないだろ」
薄暗い体育倉庫に八城の苛立ち混じりの言葉が響き、子供達が大きな声にビクリと萎縮するが一華は意に返した様子はない。
むしろ子供の反応を楽しげに見つめ笑みを深く作っていく。
「それはどうかしら?今のアナタはきちんと自身の目的を決め切れていない様にしか見えないのよ〜そんなことじゃ本当に選ばなくちゃいけない時に足下を掬われるわ〜」
人の感情を逆撫でするにも限度がある。
感情で反射的に言い返そうとした八城の腕を看取草が咄嗟に掴む。
「八城……大丈夫だよ、私もここの人たちに出来るだけお願いしてみるから!ね?!だから落ち着いて……今この子達にとって唯一頼れるのが八城だけなんだから……」
看取草は周りの大人が言い争いを始め、不安と戸惑いを浮べる子供達を見渡した。
八城は自身の浅はかさにグッと言葉を堪えるが、一華は呆れた様にその様子を鼻で笑って見せた。
「お人好しを何処までも貫けると思わない方がいいわ。それじゃあ自分も守れない。この世界で重要なのはルールを必要としない事に気付く事。強い者が弱い者を助けると思わない方が良い。不確定な個々人が持つ善意だけがルール足りえるこの世界で、自分の力を過信すれば命を落とす事になるのだから」
一瞬の緊張は、きっと八城が最初に居た避難所で囮として使われた記憶が鮮烈に蘇ったからだろう。
誰かを助ける為に誰かを犠牲にする。
誰かが誰かを助ける事は途方もない善意だ。
だが、誰かが誰かを犠牲にする事は、害を為す悪意になり得る。
全てが同じ場所にあるのだ。
誰かを犠牲にする事と誰かを助ける事の善悪は同じ場所混在する事が出来る。
避難所において犠牲になる標的がたまたま八城に向けられて、八城にとっての悪意になっただけで、助けれた避難所の多くの彼らにとってあの男がとった『八城を犠牲にして助かる』という行動は誰かを助けるための『善意』足りえた。
そして、あの場所から八城を突き落としたあの男性も自分の力を過信しなかった。
だからこそ、あの場で八城は選ばれた。
善悪が同じ場所にあるのなら、合理性は時として人を何よりも残酷にさせるのだろう。
そして『野火止一華』は己の欲望が合理性と同居している。
残酷で合理的。
無駄がない故に、強者であるから人の心を理解する必要がない。
だが八城は違う。
八城は誰と比べるまでもなく、自身の身の丈を理解している弱者だ。
だからこそ、八城は目の前の子供を放って置く事が出来なかった。
「俺は、助けられる人間を……ましてや子供を助けるのは当たり前だと思う……いや、そんなの当たり前じゃなきゃいけないだろ!」
だがそれでも、八城は一華の様な合理性だけで行動できる人間ではない。
一+一で答えが出るのなら人は誰も迷わない。
八城は間違っていない……
間違っていない筈なのに、言葉に出した言葉に自信が持てない……
砂利を噛む様な不快感は、単純に八城の中で一華のこれまで選択と言葉が間違っていないからだろう。
だが、そんな八城の様子を見かねた看取草は勢い良く立ち上がる。
「八城は間違ってないよ!八城が迷って私達を助ける事を選んでくれたから、この子達も私も生き残れたんだから!この人にどんな事言われたって、助けられた私が絶対に八城の事は否定させないから!」
止めよとした八城を気にした様子もなく、看取草は次いで隅で座っている一華へと振り返った。




