根城12
瞼が熱い。
焼け付く喉の奥から込み上げる吐息には朝霧のような不透明な感情が見え隠れしていて、桂花はそれを胸の内に隠し押しとどめようと、もう一度深く息を付く。
「よろしく……お願いします……」
しどろもどろに出た言葉と耳朶に響いた表面をなぞる音よりも、素直な鼓動が鳴らす音色を聞かれているのではないかと桂花は意味のない不安が頭をよぎるが、今一度桂花は自身の立場を思い返して小さな嫌悪が身を攀じる。
私は、何を考えているのだと……
仮にも西武中央でシングルNo.を名乗る『浮舟桂花』が東京中央でシングルNo.にも入らない少女の手を取り縋って、ようやく立っているのだから当然だ。
ただ、それでも桂花はこの手を離したくはない……
自分よりの華奢で、自分よりも温かいこの手を離す事がどうしても出来ない。
「あの〜桂花さん?そろそろ、手を離して頂けると嬉しいのですが……」
遠慮がちに言う桜の言葉に、桂花は弾かれるように手を離す。
「あっ……ごめんなさい……」
名残惜しくも桜の手を離す桂花に僅かに首を傾げたが、それ以上を気にすることはなく、桜は紬へと向き直る。
「それで、紬さん。何か今の状況への打開策があるんですよね?」
桜が向き直った先の紬へ確かめる桜の問いに、紬は小さく頷きながらポケットから最後の一発となったシリンダーを取り出して見せる。
赤い液体で満たされた半透明のシリンダーは紛れもない『クイーン因子』の塊である菫の血液だ。
「八城くんが言うには、これが鬼神薬を抑制?する作用があると聞いた。だからこれを八城くんに打ち込む。実に単純な作戦」
「…………なるほど、隊長に……なるほど」
大まかな説明は合っている、ただ桜は一つの懸念が頭を過る。
「歯切れが悪い、何か問題がある?」
「いえ、その辺の細かい話は後にしましょう。確かに私も現状それが最善だと思います。ですが、根本的な問題が一つ。今の隊長にその大きな弾を打ち込めるだけの隙があると思いますか?」
「普通なら弾を見て避ける事は不可能……でも確かに、普通の弾頭と比べて麻酔銃のシリンダーを打ち出すのは火薬ではなくガス式。通常弾頭よりは目で追う事は可能ではある」
実弾に比べ麻酔銃専用のガス式銃は、弾速が大きく劣る。
ただ、常人がそれを見て避ける事など出来る筈もない。
だがそれは、常人であればの話だ。
鬼神薬によって、コンマの秒数を覗き見る今の『東雲八城』は決して常人には含まれないだろう。
「今の八城くんなら出来る可能性は」
「はい。多分ですが、今の隊長なら発射されてからシリンダーを避ける事ぐらいはしかねません。なので……」
一つ心を決めたように、桜は量産刃の柄を握る。
「私が隊長を止めます」
思い返すのは、敗北の数と辛酸を舐めさせられた初対面の邂逅だ。
『真壁桜』が隊長と慕う『東雲八城』の実力を嫌というほど知らされたあの時から、果たしてどれだけ強くなれたのだろうと自身に問い直す。
「……可能?」
奇しくも自身の問いと同じ設問を投げかける紬に、桜は乾いた笑顔で返す。
「今は『出来ない』と言える状況ではありませんからね」
化け物達がしのぎを削る最前線。
未だにあの戦場を自身の居場所だとは到底思えない桜だが、それでも自身が一番近い場所に居る事は確かだ。
微かな沈黙の後、紬は桜に歩み寄りその背中に小さな手のひらをソッと添えた。
「……了解した。私の全てを桜に委ねる。だから必ず八城くんの目を覚まさせて」
戦場を駆ける小さな影は、最も戦場を知る『東雲八城』と遜色のない経験と腕を戦場で磨き上げて来た。
『白百合紬』彼女はきっと百戦錬磨と言って過言ではない。
そして今桜の胸の内を満たすのはむず痒いような喜びだ。
力を磨いたのは、生きる為であり、そして何より妹である『真壁桃』を守る為でもあった。
だが戦場に出て初めて知ったのは、誰かを助ける事を考えるより先に自身を生かす事すらも危うい現実だ。
そして。その現実で誰よりも戦い抜いて来た『白百合紬』はトリガーを引く指を桜に預けている。
「桜、隊員として隊長を助けて」
そこには同じ隊服を身にまとい、同じ仲間として『白百合紬』は立っている。
ただそれだけの事で、桜は零れ落ちそうになる涙と笑みを……
『白百合紬』から、ここまでの信頼を得た万感の思いから込み上げる快感を吐息に混ぜて吐き出したのだった。




