荒城18
「大将、済まねえが身体中痛くてそっちに行けそうにねえんだ。迎えにきてくれねえか?」
インカム向こうの時雨の声は、覇気が無く間近で聞こえる呼吸すら何処か弱々しい印象を伝えてくる。
「……別に構わないが、お前今何処に居るんだ?」
「前一緒に行ったファミレス覚えてるか?その中だ。腹が減って死にそうだからよ、出来るだけ早めに頼むぜ」
それきりプツリと通信が途切れ、仕方ないと八城はあのファミレスに向けて歩き出す。
階段を上がり薄暗いファミレスにはあの頃より砂埃が溜まり、その片隅に整った顔立ちの女がドッカリとソファーに体重を預け座っていた。
「よぅ!大将!ひさしぶりだなぁ!少し痩せたんじゃねえのかぁ?」
「そういうお前もダイエットか?寝不足までして思い詰めてるみたいだが、寝不足は乙女の大敵だろ?アイドル時代に習わなかったのか?」
いつも通りの軽口を叩き合いながら、八城は懐に忍ばせていた携帯食料と飲み水を時雨へ手渡していく。
「おいおい、化粧水と美肌パックが足りねえじゃねえかよ!それになんだこれ?何時も代わり映えしねえ水なんか持ってきやがって!アイドルにはクソ程甘ったるいジュース飲ませんのが、世代問わずのルールだろうが!」
「はぁ……仕方が無いだろ?とりあえずそれで我慢してくれ」
机の上にアイドル然とした長い足を置き、かったるそうに水を飲み携帯食をこれまた不味そうに食べていく時雨は、見るからに疲弊していた。
態度の悪さで誤魔化しきれない時雨の疲労は、最早限界に近いのだろう。
だが、それもその筈だ。
時雨は八城より先にこのルート上にあるファミレスの中で待機していた。
それは、つまり――
「お前、たった一人でこの規定ルートを先回りしたのか?」
有り得ない……と思いたいが時雨ならやりかねないだろう。
だがそれでもたった一人、あの山間を抜けるには困難を極めたのは間違いないだろう。
「しかたねえさ、私が撒いた種だ。私がけり付けるのが筋ってもんだろ?」
「じゃあ、歌姫……天王寺催花は……」
ケリを付けると発した時雨のその言葉に、八城は一つの確信に至る。
そして時雨も、最初からその前提で動いていたのだろう。
「わりいが逃したぜ。つうかよ、大将も気付いてたんだろ?アイツの声が出ない事によう」
八城としても、歌姫の声が本当は出ないという事に確信はなかった。
だが予兆は幾らでもあった。
だがこの作戦、歌姫不在は最早八城の中では関係ない。
「逃げたか、それは良かった」
「ハハッ、良かったかよぅ!これでも私は、帰ったら裏切り者って言われると思って、はらはらしてたんだぜ?」
「それは悪かったな。これからでも怒ってやろうか?」
「勘弁してくれ大将!そんな事無くてもこっちは大変だったんだ!アイツに殴られるわ、馬乗りにされるわ、こっちは助けようとしてんのに、アイツはとんだクソ野郎だぜ!」
クソ野郎と罵る割には、良い笑顔を見せるという事は、時雨は天王寺催花と良い別れが出来たのだろう。
『歌姫』天王寺催花の旧友である藤崎時雨にこそ、その役目は相応しい。
八城が押し付ける形になってしまったものの、最も良い形で天王寺催花を安全圏まで運び出す事が出来た。
「クソ野郎なぁ……そりゃあ、お前がクソ野郎だからしょうがないんじゃないのか?」
「大将も人の事言えた立場かよ!」
誰も居らず、時折隙間風の抜ける音だけが通り抜けるファミレス内で二人の乾いた笑い声だけが響き渡る。
笑い過ぎたのか、時雨は雛に刺された脇を押さえじっとりとした汗を隊服の袖で乱暴に拭っていく。
「それで?これから大将はどんな作戦を立てる予定なんだ?」
傷が痛むが口元が僅かに歪む程度に押さえ言葉にせず、作戦に挑む意欲を向ける辺り流石は橘時雨と言ったところだろう。
だが作戦参加、特に戦闘においての時雨の参加は到底不可能とみていい。
「そうだな。丁度目の前に歌が歌えそうな奴が居るんだが……どうだ?もう一回アイドルやってみないか?」
天王寺催花が居ない今、大きく作戦を変更せざるを得ない。
そして八城は、このような事態になる事を予想し、一人『歌姫』の代役に目星をつけていた。
戦闘に参加せず、だが作戦に参加するのなら、時雨の居場所は舞台の上だ。
そして舞台の上に立つのなら、橘時雨はその名を変える。
「藤崎時雨。お前に歌姫の代役を頼みたい」
此処で重要なのは如何に歌姫だと思わせる事が出来る歌唱力を持っている人間であるかどうかだ。
その場所に『歌姫』が居ると思わせる事が出来て、本当に歌っている様に聞こえるのならそれでいい。
「ハハッ!大将!私に歌えって?それも藤崎時雨にだぁ?」
「お前が歌えないなら桜辺りに頼むしかないが、そうなった場合はお前が一日掛けて歌唱指導してやれよ。俺は責任はとらないからな」
「馬鹿言うんじゃねえよ!桜に歌わせんなら、一年前から歌のレッスンが必要になるじゃねえか!まぁ、ある意味桜の歌声は化け物に匹敵するかもしれねえが、アイツの才能は人様に見せていい代物じゃねえな」
時雨にそこまで言わせる桜の歌声が逆に気になるが、時雨本人が否定するなら答えは一つしかないだろう。
「……仕方ねえ、私が歌ってやるよ。だが催花の歌声みてえに観客は集まってきやがらねえが、大将はそれでもいいのか?」
「なぁに、かまいやしない。少しやり易いのが、少しやりづらくなるだけの違いだ。その代わり、お前にはちょっと仕事を頼む事になるがな」
天王寺催花の声は奴らを呼び寄せる。それは僅かな声でも周辺クイーンの群れを動かす程強力な物だ。
だが時雨にその声はない。時雨がただ歌っただけでは精々周辺のフェイズ一を集めるの関の山だろう。
だが問題はそこではない。
歌姫の代わりを務め、歌姫だとただ一人『天竺葵』にバレさえしなければそれで構わない。
その分、歌唱力のある時雨なら本当に歌姫である天王寺催花が好きな人でなければ聞き分ける事など不可能だろう。
「時雨、悪いがこれから少し動けるか?お前が歌うとなると事前準備が必要になる」
歌姫の歌声はその声で奴らを呼び寄せるが、時雨の声ではそう易々と集まらない。
だが集まらないなら、集まる様に工夫するしかないだろう。
「……はぁ、動きたくねえが、しかたねえな……」
水も携帯食料も食べ終えた時雨は、一息の内に立ち上がる。
二人連れ立ってファミレスから出立し作戦の下準備を済ませ、7777番街区へ辿り着いたのは、夜の帳が降りた後だった。




