鬼神薬
翌日昼
山間にて
「相手にするな!飲み込まれるぞ!」
怒濤に勢いで押し寄せて来る「フェイズ1」を必要最低限のみ相手にして進んで行く。
両脇の建物の隙間という隙間から、奴らが溢れるように現れる。
紬は左手に持つ小太刀を一閃、サクラで奴らの脳天を撃ち抜く。そのまま八城の居る殿の位置まで後退してきた。
「八城君。特殊弾以外全部撃ち尽くした。もう銃での援護は出来ない」
「了解だ。紬は桜と二人で道を作れ!両脇は俺と時雨で固める。」
「「了解」」
「あいよ大将!!」
紬は弾切れになったサクラを腰のポーチに仕舞い、二本目の小太刀を抜き放ち桜の加勢に加わる。
桜の戦い方が武士だとすれば、紬の戦い方は忍びのようである。
紬は五本全ての小太刀を器用に使い、刺突による致命傷を奴らに与えている。
紬は奴らが掴んでくる腕を切り払い左足から抜刀した小太刀で奴らの顎下から刺突。
その刺突を抜き放ち右隣に居る桜のいる方向へ小太刀を投げる。小太刀は桜の横を通り過ぎ迫って来る一体の眼窩に突き刺さる。
次いで四本目の小太刀を抜き放ち、膝、太もも、腕、頭の順で切り裂いていく。
最初に倒した奴らに刺さったままの小太刀を引き抜き納刀したかと思えば、燕のように奴らの隙間を搔い潜り別の個体に刺さったままだった小太刀を抜き、代わる代わるに致命傷を与えていく。
「紬さん後ろ!」
「分かってる」
紬は誰よりも冷静だった。何より来るのが分かっていたからだ。
紬は後ろに迫っていた奴らの腕を取りダンスを踊るように一回転、小太刀の鍔鳴りが響き小気味良い音を鳴らす。
それは紬が小太刀を納刀した合図だった。
桜が見たのは、いつ抜刀したのか分からないほど洗練された技。
ぽとりと奴らの頭部が太陽で熱せられた地面に落ちる。
「桜、惚けている暇はない」
桜は目の前で何がおこったのか分からず、ただ呆然とそれを眺めているだけだった。
紬が見せたその技は、それ程までに美しかったのだ。
そして目を見張るべきは、その技だけでない。
それまで紬が見せた技はどれも美しく完成された技ばかりだ。
奴らを倒すために磨かれた技、どれほどの鍛錬を積めばあの域に至る事ができるのか、剣を握った事のある桜には分かっていた。
「べっ!別に惚けてなんていません!」
桜は純粋に悔しかった。
十六歳と十八歳。二歳も年上の私が剣の技術で遅れを取っていると感じる事に。
桜も現れた奴らにすかさず刀を上段に構え、一刀。
体重の乗ったその刃は、奴らの頭部を切り飛ばした。
「そのドヤ顔嫌い」
「ふへへっ、今度私の相手して下さいよ」
「銃でなら相手になる」
「それ私死んじゃいますよ!」
数は手前に十、奥の二十以上紬と桜は四肢に力を入れ紬は小太刀を、桜を刀構え直す。
「紬さん均等に、半分ずつでいいですか?」
「後輩なら先輩より働くべき」
そんな声を掛け合いながら、倒した奴らの数が百を超えたとき異変に気付く。
「ん?ちょっと待つ。何か様子がおかしい、桜下がって!」
紬の呼びかけより先に桜はそれに対処していた。
「へへっまた来ましたね。リベンジですよ!」
「フェイズ2」が二体。その内の一体の攻撃を桜は即応してみせた。
「桜!八城君と交代!」
「大丈夫です!それよりもう一体の方よろしくお願いします!」
桜は「フェイズ2」が持つ二本の鉄パイプを軽々と往なし懐に入り込む。
「攻撃が単調なら!」
桜は刀を逆手に持ち相手の獲物の上を滑らせる
「まともに受けなきゃいいんです!」
滑らせた刃で相手の喉元を切り裂く。
「桜!離れろ!」
反射的に八城は叫んでいた。
桜の刃は喉元数センチで止まってしまっていた。
それは偏に刀の勢いが足りない。
そして、もう一つ。
奴らの進化がもたらした変化がそうさせていた。
桜は手元の感覚が止まるのを感じた直後刀を手放し、後ろに大きく飛んだ。
その直後今まで桜が居た場所に確実に死に至らしめる一撃が振り下ろされる。
「へヘッ…すみません駄目でした」
攻撃を受けなかっただけ及第点と言った所だろう。
「こいつを使って向こうの紬を助けてやってくれ。こっちは俺が懲らしめてやる」
そう言って八城は自分の量産刃を桜に渡す。
「いいんですか?」
「俺にはこいつがあるからな」
八城は代わりに雪光を抜き放つ。その刃には黒い斑紋が所々残っているが、使用限界までは、まだ大丈夫だ。
「時雨!一人で十秒、耐えられるか?」
「ふぅ!かっくいーな!そいつを十秒でやるのかよ!こっちはまあ、ある程度は大丈夫だ!好きに暴れな!大将!」
八城は向き直り、一体と対峙する。
フェイズ2の一体は喉元に突き刺さったままの刀を抜き取り構え直す。八城以外の全員の体感温度がガクッと下がった気がした。
三人が握る刀に暑さからではない別の汗がジワリと染み出す。
聞こえたのは鍔鳴り。
次の瞬間には、刀を手に持ったフェイズ2は胴から上が無くなっている。
桜と時雨はその時初めて雪光の、その恐ろしいまでの切れ味を見た。
「どういう原理なんだ、それ……」
八城はそいつが持っていた刀を拾い、雪光を鞘にしまう。
「向こうはどうだ?」
「ああ……桜も紬もなんだかんだ言って以外と噛み合うのが不思議だよな。」
「違いないって……おい!嘘だろ!」
時雨は初めて焦っている八城の顔を見た。血の気が引いた顔、大きく見開かれた瞳が見つめる先は、二十メートル程先の十字路。
その一角に奇妙な出で立ちの一体が佇んでいた。
「次から!次へと!」
喉元が弛みブヨブヨとした喉元の皮が足下近くまで垂れ下がっている。そして何より特徴的なのが、深紅の瞳だ。その瞳は、観察するように此方をじっと見つめていた。
「紬!桜!時雨!全力で後退しろ!今直ぐだ!!」
八城はその言葉とは逆に、前に出た。
「あいつを殺さないとまずい!」
雪光を抜刀。宙を駆けるように一線。道中の最低限を切り裂き、押し潰す。
後十メートル横薙ぎ、打ち落とし、切り上げ。
後五メートル奴らの一体を蹴り倒しドミノ倒しのようにして、集まった所を雪光で串刺しにする。雪光を奴らに差したまま、もう一方の刀の柄に手を伸ばす。
後一メートル。一足一刀の距離。
八城が確実に仕留める事ができる間合い。最速にして最強。だが割って入るように一体が八城の身体に手を掛ける。構わず八城は抜刀した。
居合い。
手応えはある。
切っ先が後ろに居る個体ごと切り裂いた筈だ。目の前の一体がぐらりと倒れ後ろの個体の姿が見える。肝心の「赤目」は立っていた。確かに傷は与えた。だが致命傷に至らなかった。八城は構わず再度刃を向けるが、遅かった。
「ぁあぁぁあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっぁあぁあっっぁあああああああああ。」
咆哮。
八城は耳を塞ぐことをせず、その一体を力任せに切り伏せた。
「全員後退だ!早く!」
間に合わなかった。89作戦で最も被害をもたらした奴らの中でも最悪と言われる個体を呼び出す「フェイズ2」通称「赤目」。
そう呼ばれる個体を殺し損ねた。その事態の危険性を知っているのは八城と紬だけだ。「フェイズ2」を桜と紬で何とか倒したのを確認して八城は紬を呼びつける。
「紬!丸薬を!」
「でも……」
言い淀む紬を掴み引き寄せる
「早く!」
もう近い、羽音が徐々に此方に近づいてくる。
「でもだって!」
「死にたいのか!早く!」
無駄話はしている暇はない。
一秒でも早く行動を起こさなければ八番隊は全滅してしまいかねない。
紬は赤い粒を一つ八城に手渡した。そして代わりに、八城は紬に雪光を手渡す。
「こいつを頼むぞ」
「八城君……」
「三人は先に昨日の廃校に行ってくれ。俺も後から行く」
桜と時雨は事態が飲み込めていない。
だからなぜこんなに二人が焦っているのか分かっていない様子だ。
「おい!何の説明もなく後退ってのは、どういうことだ!」
「そうですよ!それに隊長、後から行くって……私たちと一緒に行かないみたいじゃないですか!」
「いいから言う事を聞け!そんな事を今説明してる暇はない!一秒でも早くここから離れろ!」
怒鳴り散らすように言う八城の剣幕に、二人も今の事態がただ事ではないと認識する。
「っ……分かったよ。だが後できっちり説明しろよ。」
桜と時雨は、納得はしていないが、踵を返し昨日の廃校に向かって行く。
「お前も早く行け」
「私も戦う」
「足手まといだ」
「でも……」
「邪魔だ、行け」
「死なないで」
「なるべくな」
「絶対に。じゃないと行かない」
「分かったよ。だから早く行け」
もう時間はそんなに残されていない。
八城は紬が離れたのを確認して、紬から受け取った丸薬を噛み砕いた。
梅干しのような酸っぱさが脳天を突き抜ける。
それを無理矢理飲み下す。八城は昔この味が嫌いだった。
だが何度も飲んでいる内に好きな味になっていた。
数秒後。
視界からから色が抜ける。
音が消え、物が輪郭を失う。
あるのは空間の歪みだけだ。
歪みに沿うように刀を振るう。
何か手応えが刀越しに伝わる。その歪みが、自身の腹に何かを突き立てようとするのを蹴りつけ、返す刃で上から刺し貫く。
「隊長って、なんなんですか?」
そこから二百メートル程離れた所で三人は一度足を止め、後ろを振り返る。
「フェイズ3」そう呼ばれる個体と八城は対等以上に戦っていた。
言うなれば、その形状は昆虫に近い。
人間の形からかけ離れたそれには羽が生え、人間の足のような物が計六本。
そして鎌のような形状を持つ腕のような部分が、前と後ろに二本ずつ付いている。
だが何よりも脅威なのは、その大きさだ。
人間では考えられないような三メートルを越す巨体。だが八城はそんな相手に平然と攻撃を躱し、その内に鎌の一本を刺し貫き、切り飛ばして見せる。
「ありゃ人間の動きじゃねえな……」
時雨が有り得ないものを見たように眉根を寄せる。
八城のそれは三次元的、地面に足をつけている時間の方が稀なぐらいだ。
「行こう、二人とも、ここじゃ、まだあれに見つかる。」
紬は言われた通り時雨と桜を安全な所へ連れて行く。
一人は己の力不足を嘆き。一人は疑問を。一人は好奇心を抱きながら。廃校に向かって行った。三人が廃校に到着しても日はまだ高く。午後二時といったところだ。
「お〜い、ちみっこ〜お前さっき八城に何か渡してたよな?確か、丸薬とか言ってたか?」
「そう言えば私も見ました、赤い粒みたいなやつ」
二人は興味津々と紬へと詰め寄っていた
「あれは一華から貰った薬。」
「かー!お前その説明だけで、私たちが納得すると思ったのかよ!」
「でも、それ以外説明のしようがない」
紬は余程八城を一人で置いて行った事がショックの様子だ。
「じゃあ聞き方を変える。あの薬は何のために飲む薬なんだ?」
「……一華はこれを鬼神薬と言っていた」
紬はタブレットに入ったそれを全員に見せる。
「鬼神薬?なんだそりゃ。」
「その薬を飲むと飛躍的に思考速度が早まると一華が言っていた、ただ詳細は飲んだ本人にしか分からない」
「思考速度?それはつまりお手軽に強くなれる薬ってことですか?」
「そんな生易しいものじゃない。思考速度が変わっても、肉体はそのまま、無理を続ければ身体が壊れる。それに、適用者には副作用がある」
紬が今は痛くない筈のお腹を擦る。
「副作用?それって何かまずいんですか?」
桜の問いに紬は頷いた。
「八城君は薬の効果が抜けなくなると言っていた」
「お前そりゃ好都合じゃねえか!飲まなくても強くなれるんだろ?なんなら八城は……」
「違う!」
紬は苛立たしげに叫ぶ。
「良くない、鬼神薬の効果が抜けきらないといつか、人は壊れる」
紬の薬を持つ手は震えていた。それが八城にその薬を使わせてしまった罪悪感からなのか自分の無力さなのかは時雨にも桜にも分からない。
「でも、そんなの、そうなってみなきゃ、分かんないだろ?」
時雨が楽観的に言うが紬は力なく否定する。
「駄目、私はこの薬でおかしくなった人を二人知っている。一人はその感覚に耐えられなくなって自殺した。そしてもう一人は、その絶大な効果に飲まれて中央を追い出された。もし八城君がそうなったら……」
紬は震える手で何度も目元を拭う。何度も、何度も擦る。だが何度擦ってもグルグルと渦巻く感情から雫が溢れては落ちていく。八城に手渡された雪光が、紬の細腕にはやけに重く感じる。紬自身八城からこの刀を渡された意味が分からない程、八城と浅い付き合いではない。八城がこれを渡す理由は一つだ。
意味の無い戦闘で、この貴重な刀が失われてしまわないように。八城は誰よりもこの武器の価値を理解していた。そしてそれを思う度に、紬の胸は締め付けられる。
「あぁ!めんどくせえな!めそめそしてんじゃねえ!泣きたいなら女子トイレの個室に籠って声を押し殺して泣け!そしたら貴重な水をバケツに汲んでお前の頭からぶっかけてやるよ!」
「でも……八城君が……」
「うるっせえな!てめえ、いい加減しろよ!こっちは、お前の八城に対する感情なんざ、どうでもいいんだよ!お前が落ち込んでようが、時間は止まっちゃくんねえんだ。この後はどうすんだ?作戦は?お前が一番先輩なんだろ?私たちは、何をすれば良い?まさかお前を慰めれば良いのか?冗談じゃねえぜ!」
「時雨さんその辺で……」
「桜も何か言ってやれ!いざって時に膝抱えて泣いてる、単なるお子ちゃまがこの隊の二番手なんざ、泣けてくるぜ!」
「……さい」
か細い声が時雨に届いたが、何と言って居るのか聞こえない。聞こえないならその言葉に意味は無い。
「ああ?なんだよ、全然聞こえねえ!」
「うるっさい!」
次の言葉は全員の耳にちゃんと意味として伝わった。
その言葉を紬は、自分の感情に言い聞かせる様に紬は叫ぶ。分かっていた。紬は四年間泣かない日が無い程追いつめられた。そして紬は泣いても意味が無い事を嫌という程実感していた。意味が無い事はしない。それをしている間に大切な物が奪われてしまう。
紬は最後の一雫を拭い取る。
「八城君は必ずフェイズ3を撃破する。それと同時に八城君を戦闘不能にする。時雨も桜も付いてきて」
紬は振り切れた様に言いきる。そこには泣いている少女の姿は無い。
それは中央にて十番のNo.授かった白百合紬という、最強の一角を担う戦士の姿。
「急に良い顔になったじゃねえか。」
時雨なりの喝の入れ方だと、紬も理解していた。
「うるさい。現状私たち三人でもフェイズ3を撃破するのは不可能。だからフェイズ3を八城君が撃破したと同時に八城君を止めるしか方法が無い」
「止めるっていうのはどういうことですか?」
「鬼神薬を飲んだ八城君は今敵味方の区別が付かない。そして八城君はこのままいけば、「フェイズ3」を間違いなく倒す。そしたら次の敵を倒すために前進する。そうなったら最後。私たちでは八城君を救出する事はできなくなる。そうなる前に八城君の動きを止める必要がある」
「あの…」
桜が自信なさげに手をあげる。
「隊長は、通常でも勝てない相手なんですけど……それにフェイズ3を相手に勝つような人ですよ、私たちじゃ相手にならないんじゃないですか?」
「確かにな……ちみっこは何か勝算があるのか?」
「大丈夫、私に考えがある。」
紬は一つのネオン看板を見つけて嫌そうに眉根を寄せた。