Uターン
最終目的である7777番街はゴルフ場を丸々居住区にした、少し特徴的な作りになっている。
周りが森に囲まれており、その森中にワイヤーによるトラップが仕掛けられ、奴らの侵入を阻んでいる。
東京と言っても、八王子も近いここまで来ると人工物と自然色は半々といったイメージだ。
坂や、下りが多くなり、幹線道路以外を使うとなると、途端に道に迷いそうになる。
そしてこの旅路において最も長い道程になる距離だ。
直線距離にしておよそ一五キロ。
そして八番隊が来た中でも、最も奴らの層が厚いとされている区間だ。
慎重に進み、なおかつ最小限の戦闘で切り抜けなければ、即座に物資が底をつく。
というのに、八番隊の戦闘は激しさの一途を辿っていた。
「時雨!桜の方に回り込め!」
「あいよ大将!」
「紬!時雨の援護をしつつ後退。先に進めばもう戻れなくなるぞ!」
777番街より二キロの地点。
時刻はもう夕暮れ時。
今現在、新規ルートを探索しているものの、ほとんど前に進む事が出来てない。
だが、奴らだけは至る所から湧いて出てくる。
「桜!後退だ。これ以上先は危険過ぎる!」
「でも、奴らが邪魔で戻れません!」
凄まじい数が桜を包囲するように集まっている。
時雨も紬も、桜に近づこうとするが、突破力が足りない。
倒す数と増える数がほとんど同じなのだ。
だが八城が前衛に出れば、後ろには完全に撤退できなくなる。
当然道が塞がれればその分は前進するしか無い。
だが前に進めば、奴らの数は未知数である。だがこのままこの場所に居れば間違いなく、こちらが数で押し潰される。
「クソったれ!」
八城は後退を諦め、紬と時雨の援護に回る。
「全員!前進だ!あのデカい、建物に入る!」
時雨と紬はすぐさま桜の援護に入る。
「馬鹿桜」
「ちゃんと周りを見ろ!」
桜は時雨と紬からの叱責を受けつつ、刀を振るう。
「ううぅぅ…ずびばぜん」
「説教は後だ!全員入れ!」
八城達はなんとか手頃なマンションの中に逃げ込み、防火扉を閉め、人心地つく事ができた。マンション内四階部分にある休憩スペースのソファーに全員で集まっていた。
「あ〜死ぬかと思った……てかよう!桜てめえ!少しは周りを見ろってんだ!」
「おかげで無駄弾を使う羽目になった」
桜は先頭でずっと戦い続けていた。だからか、ほんの僅かの気の弛みで自分が孤立している事に気付くのが遅れた。そして気が付けば、桜が対処できる人数を超え、結果撤退が出来なくなった。時雨も紬も、どちらかと言うと団体から離れる事無く、出来るだけ人に任せる戦い方で孤立する事は無かった。
「ごめんなさいぃ……ごめんなさいぃ……私が、わたじぃが悪かったですぅ…」
桜は泣きながら二人に土下座させられていた。
「誠意がたりひんのやで、のう、姉さん」
「まったくやで」
「まずはそのやらしい身体。ほんまに反省しとんのか?その身体に聞いてみるかいの、姉さん」
「まったくやで」
「うぅう、や〜め〜て〜く〜だ〜さ〜い〜」
八城は何を見せられているのか。二人は、土下座する桜を棒で突きながら、似非関西弁で、桜を執拗に責めている。存外二人とも元気そうだ。
そんな桜だが、その突破力は二人と比べても軍を抜いているのは確かだ。
だがそれを持ってしても、突破が困難な区間である事は間違いない。
「そうだ紬、今日の戦闘で、とりあえず取っておいた物があるんだが……」
八城にはよく分からない物なのでとりあえず紬に渡す。
「これは?」
「これは?って、お前が大好きなやつだろ。」
八城がそう言って渡したのは数発の銃弾だった。
「大元の拳銃は駄目になってるのが殆どなんだが。以外と込められっぱなしになってる弾は駄目になってなくてな、一応、取っておいたんだよ。」
それは元々警察官だった遺体から持ち出したものだった。
「これを私にどうしろと?」
「どうしろとも何も、使えばいいんじゃないか?」
紬はその弾丸を受け取り大きなため息を付いた。
「は〜八城君は乙女心も弾の種類も分かってない。」
「弾の種類はともかく、乙女心は関係ないだろ……」
「この弾は38スペシャル。私が持ってる拳銃は九ミリパラベラム、規格が違う。この弾は回転式か、この規格に適応した拳銃じゃないと使えない」
紬は弾の大きさを並べて見せてくる。確かに、若干八城が渡した弾の方が大きい。
「じゃあこいつは使えないのか?」
八城は見つけては隠れて弾を収集していたので、計三十発程弾を持っていた。
「紬、回転式の拳銃があれば、そいつが使えんのか?」
時雨が話を聞いていたのか、桜を弄びながら会話に混じる。
「そう、でも何故か八城君が弾だけ持ってきたから使えない」
「ねぇ?何で俺責められてんの?弾拾いしたのに何で?ねえなんでなの?」
そんな八城を無視して時雨は一つの拳銃を紬に渡す。
「じゃあよ、これで使えるってことか?」
時雨がそう言って腰のホルスターから出したのは銀色の回転式リボルバーだった。
「時雨!回転式持ってたの?」
紬が珍しく目を輝かせ時雨の両手をがっしりと握る。
「あっ……ああ、私はあんまし使う事ねえし……ほれ、やるよ」
「いいの!?」
珍しく紬は目をキラキラさせながら時雨から回転式を受け取る。
「凄い、サクラ。」
「え?私ですか?」
「桜は凄くない。同じサクラに失礼」
どうやらサクラとは、時雨から受け取った拳銃の名称らしい。
八城自身、銃という物をあまり使わないので、自分がどんな名前の銃を使っているかもよく知らない。
「時雨は桜より優秀。良い仕事をする」
「おう、ありがとよ。」
紬の態度の急変に時雨も反応できず、戸惑居ながらも言葉を返す。
「たいちょ〜う…ゆるじで…ゆるじでぐだざぃ〜」
「俺は怒ってないし、多分誰も怒ってないから!だから!近づいてくんな!」
流石に涙と鼻水を垂れ流しながら、足下に縋り付かれると鬱陶しいし、少し可愛そうだ。
だが何より毎日洗濯できないのだ、無駄に服を汚されたくない。
以上の理由で、縋り付こうとするのをやんわり押しとどめる。
「分かった、分かった。どうどう。そうだな?悲しいな。でもやっぱりそういうのは、同性同士でやってもらってな?」
「ううう〜紬ざん!じぐれざん…ごべんなざっぃ〜」
「うっわ!きったねえな!こっちくんな!」
「断然拒否」
三人はマンション内を逃げ回ったが、最後には身体能力の差で全員桜に捕まっていったのだった。それから二日目。
「これってまずいですよね?」
「ああ、まずいな。」
八城の声は気まずさ半分本当に切羽詰まっているのが半分という感じだ。
「っていうかよ…これ迷ってるよな?」
「食料も後四日分しか無い。」
戦闘に戦闘が続き、丸二日目。777番街から、七キロ地点に入った所で、撤退と前進を繰り返していたのだが、いつの間にか自分たちの現在地が分からなくなっていた。
「とにかく何か目印になるものを探して……」
「八城君あれは?」
そう言って紬が指差したのは大きな川だった。
「この辺りにあるデカい川ってえと……おいおいマジかよ」
時雨はその事実に愕然とする。そうここは神奈川と東京の県境。つまり多摩川の主流。
今自分たちの目の前の橋を渡れば東京に行く事ができる。
だが、八番隊が通るルートに多摩川を超える行程は含まれていない。
「隊長……これって私たち大分北上してきたってことですよね?」
「ああ、今俺達は、新規ルート探索の外に出ている。」
その事実に隊の全員は絞り出す言葉もない。
当然だ、この行程で、三日目内一日は無駄な行程が含まれている。そしてここから戻ればまたあの激戦の中を通る事になる。
「どうすんだ?進むのか?それとも戻るのか?」
時雨のその問いは、ルートに戻るのか?それとも、ルート関係なく目的地に進むのか?という事だ。全員が八城の言葉に注目しているのが分かる。
確かにこのまま多摩川沿いに進んで行けば迷うリスクも少なく、規定ルートを通り7777番街に行く事が出来る。だがそれでは遠征している意味がない。
これまでの経緯から見て、この周辺に新たなクイーンが現れたのは間違いないと言っていい。
なら今やるべき事は、出来る限りの情報を7777番街まで届ける事だ。
替え刃の残りは6枚。紬の残弾は五発の特殊弾と、残りは俺が渡した38スペシャルが三十発といったところだ。食料備蓄も残り四日。
「戻るぞ。俺達の仕事は、未開拓ルートを辿って7777番街にクイーンの位置情報を届けることだ」
「了解」
「違いねえな」
「了解しました」
その後八番隊全員で夕方まで掛けて未開拓ルートまで戻り、その日の行程は終了した。
その夜
「時雨はごねるかと思った」
「あ!実は私もそう思ってました」
紬と桜は身体を濡れタオルで拭きながら、布一枚越しに待つ時雨に質問した。
「はぁ!てめえら!存外失礼だな!」
「でも予想外だった」
「こう言っちゃあれですけど、時雨さんは良くも悪くも慎重派ですからね。」
時雨は気まずそうにボサボサの髪を纏め上げる。
「……ま、昔の私ならごねたかもしんねえな。でもあそこでごねたら、あの住人を置いて逃げた奴らと一緒になっちまうだろ。それだけは私のプライドが許さねえんだよ」
時雨は都筑PAで見た、あの隊員たちの顔を思いだす。
「あんなになるなら死んだ方がましだ」
「時雨らしい。そして一理ある」
「私は居なかったので、よく分からないですけど……隊長と一緒に住人の方を守ったのが時雨さんだったんですよね?」
桜は当時都筑PAに居たためその時の事を詳しくは知らない。
「ああ、だが守ったのはそこのちみっこと、あのよく分からん大将だ。私はバリケード作って壁叩いてただけだ」
時雨は自嘲気味に笑う。
「ちみっこっていうのは、もしかしなくても私の事?」
「お前が桜よりグラマラスな自信があるなら、本当に申し訳ない事を言ったな」
「時雨……世の中には許されない事が二つある。一つは好きな男子の名前を相合い傘にして、自分が知らない間に黒板に書く女子」
「それはお前が許さないだけなんじゃねえのか?」
「紬さん随分具体的ですね……」
紬の声からも、その情景はありありと思い浮かぶ。
「もう一つは、桜と比べて何かで劣る事」
「ちょっと!二人の喧嘩で、私を引き合いに出さないで下さいよ!」
時雨の立つカーテンの向こうでは、何やらまた喧嘩が始まりそうだ。
「しっかしよ、ちみっこはやけに桜に絡むよな?そんなに桜が気になるかねぇ」
「別に。ただ気に食わないだけ」
「おいおい、そんな寂しい事言うなよ。仲間だろ?それに桜だって自分が何でこんなに標的になるのか気になるだろう?」
「そうですよ!何でいつも私だけ滅多打ちになるんですか!横暴ですよ!」
「ほら、本人も気にしてるみたいじゃねえか。」
それは時雨の単なる気まぐれから来る疑問だった。
ただ何となく無言の時間が退屈で、気になっている疑問をぶつけたに過ぎない。
「嫌、絶対言わない」
「あれかぁ?もしかして、大将が桜に取られるとか思っちゃったのか〜」
「………………思って……ない」
「おいおい!マジかよ!冗談で言ったつもりなんだけどよ!」
「思ってない!」
だが紬の強い否定がより時雨の好奇心に拍車をかける。
「このパターン、時雨さんやめた方が……」
自分が被害を受ける事が分かっている桜は時雨を止めたいが時雨はその程度で止まる女ではない。
「は〜?こんな面白いことやめられっかよ!なんだ?ちみっこは大将の事が好きなのか〜?う〜ん?どうなんだよ〜」
「いだ!痛いです!やめて下さい!ほらやっぱり私に来た!なんでいつも!関係ない私を抓るんですか!」
紬は桜の脇腹をムグっとつまみ上げる
「抓ってない、それと時雨五月蝿い」
「そんな、露骨な否定のしかたがあるかよ!するならもう少し自然に……」
そう言いかけた時、勢い良く非常階段に続く扉が開く。
「お前ら五月蝿過ぎ!騒ぎたいならここから一キロ以上離れてからやってくれ!そこなら好きなだけ騒いでいいから!ここで騒がないでくんない!」
八城は下で奴らの動きを見張っていたが、下まで聞こえる声に痺れを切らして様子を見にきたのだった。
「八城君……堂々と覗きにくるなんて良い度胸」
「お前らが騒がなけりゃ、興味の無いお前らの身体を覗きに来る必要も無かったんだがな!」
「女性に対してそれは失礼」
「大丈夫だ。俺の中でお前らは女じゃない。とにかく!もう少し静かにしろ!いいな!」
八城はそう言い残すと非常階段を下りて行った。
「これ?……分かった?」
「初めて紬さんが可哀想だと思いました。」
「ああ、全くだぜ」
三人は八城が出て行った非常階段を見つめるのだった。
次の日
「なあ時雨、何で紬のやつ、あんなに機嫌悪いの?」
「そりゃあお前……」
時雨が珍しく言い淀む。流石に気付いていない訳はないだろうが、それでも時雨には人の心を慮る心が少しは残っていた。
「隊長が悪いと思います」
桜が殆ど感情を見せず言い放った。
「俺が?」
「まあ、否定はできなねえな……」
「俺が?」
何故か時雨も気まずげに、というか桜と紬に至ってはまるで敵を見るような目で八城を見つめている。
「まあいいや、いや良くはないけど……この際置いておいて……。ここからは激戦が予想される。孤立した場合は各自の判断での戦闘も止むおえない事態になる。その覚悟だけはしておいてくれ」
これはつまり、助けられない場合もある。
だからその時は自身の、最悪の回避を最優先にしても良いという事だ。
その言葉に他三人も表情を強ばらせた。
その叉次の日。夜、電車の中。
夕方までかかりようやく二キロ前進する事ができた。だが全員の息は上がり疲労困憊の様子だ。炎天下の中、前進と後退を繰り返しながら進む事ができたのだ。拭いた先から汗が吹き出してくる。カチカチと物がぶつかる音以外は無音。誰も言葉を交わそうとはしなかった。
次の日。夕方、廃校内。
八城は学校の屋上から双眼鏡で辺りの様子を確かめていた。
「後ろに六つ、見える限りで、前に二つ。」
言葉にして、やはりこの作戦がどれだけの無理難題なのかを痛感する。
「ここまでクイーンが最低限の距離しか取らないのも珍しいな。」
八城はもう一度双眼鏡を覗き込む。
見える範囲のクイーンは動く事無く、その場所に居座っている。
前方二つのクイーンは小高い丘の上に居座っている。そしてルートを確認すると、何度見てもあの山の周辺を超えなければいけない。
八城は幾つかのルートを算出する。
取れる進路は二つ。
一つは片方の道を迂回する方法。
この方法を取ると一度目の戦闘はそれ程でもないが、次の戦闘が激しくなる。そして何より時間が掛かってしまうのが問題だ。
そしてもう一つは山間を直進する方法。この方法を取れば今までに類を見ない程の激しい戦闘になるが、此処で敵を引きつける分次の戦闘が楽になる。
それにこれは最短距離を最速で突破する事が出来る方法になる。
「食料も少ない。ろくな休憩が取れてないせいで体力も厳しい。八方塞がりだな。おまけに……」
八城は雪光を鞘から抜く。その刀身には未だに黒い斑紋
の染みが残っていた。
「こいつも使えないとなると……これはいよいよ不味いな」
八城は隊長という肩書きが嫌いだった。
だが八城は隊長という肩書きの元、決断しなければいけない。
急造で付けられた隊長という肩書きが他人の生き死まで左右する決断を下すための大義名分になる。
苛立ち混じりに八城は雪光を鞘に戻す。
「行くしかないか……」
7777番街までの距離は後五キロ。
八城は覚悟を決める。隊員を死地へ送る覚悟を。