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「アイナがいるぞ。ほら、あそこに、ちゃんと座ってる。」リュウジはそう言ってリュウイチの肩を叩いた。
体育館の前方には新入生用の椅子が用意されており、そこには忙しなく突っつき合ったり、喋りながら、入学式用の小綺麗な衣装に身を包んだ一年生たちが三十人ばかり座っていた。
「アイナ、小っちゃいなあ。」リュウイチが呟く。「遠くだと余計に小っちゃく見える。」
「大丈夫だ。いじめられたら俺がすっ飛んでっから。」
「でも一階の一年生の教室に向かって飛び降りちゃダメだぞ、マジで。」
「ふん。」リュウジは不敵な笑みを浮かべながらそっぽを向いた。
アイナは不安気に周囲を見回している。後ろを振り向きリュウイチが手を振ったのを見て、アイナは安堵の笑みを溢した。口角をきゅっと上げて、靨を作っている。
「……『はい』って、返事できるかな。」
「大丈夫だ、昨日ちゃんと練習したから。」
入学式までに習得しておくべき項目として、返事と挨拶、それから自分の名前を読み書きできるように、とあり、前者はリュウジが、後者をリュウイチが担当し、アイナはそれらをきちんとマスターとした上で本日を迎えたのである。
「でも、アイナ、緊張しちゃいそうだよなあ。さっき校長先生に挨拶されただけで、固まってたもんなあ。」リュウイチが心配そうに言う。
「そしたら俺が返事すりゃあいいだろ。」
「ダメだよ!」慌ててリュウイチが怒鳴った。「いっくら返事できなくても、勝手に俺らが返事するのは、ダメなの。そんなことしたらアイナが笑われるんだからな。絶対ダメだぞ。」
リュウジはふんと唇を尖らせて、入学式の開始を待った。
アイナは時折後ろを振り向きながら不安そうな顔を見せている。その都度「大丈夫だ」と口でリュウイチとリュウジは伝えた。
そしていよいよ入学式が始まり、呼名が始まった。新入生たちは次々に返事をしていく。元気な声もあれば、やはり黙りこくってしまう子もある。
「……アイナ、大丈夫かなあ。」
「……白河アイナさん。」
アイナはぎくり、と肩を震わせると。一呼吸置いて、「……はい。」と、小さく、それでもはっきりと答えた。リュウイチとリュウジは思わず手を握り合った。
「言えた。」
「言えたな。」
その後は先程まで校門で子どもたちを温かく見守っていた校長が、返事の出来たことを甚く褒め、出来なかった子もこれから頑張っていこうと激励し、それから友達を作ることの大切さ、仲良くすることの楽しさを述べて、式は終わった。アイナたちは担任の先生に連れられて、教室へと戻って行った。
リュウイチとリュウジも教室へと戻り、昨年度と同じ担任教師から今日から新学年となること、入学したばかりの一年生には優しく接することを説かれ、帰りの会が終わるのと同時に、一年生の教室へ飛んで行った。着飾った保護者の間をすり抜けて、アイナの席へと駆けて来る。
「アイナ!」
「ちゃんと返事できてたな。」
アイナは恥ずかし気に俯いた。
「おお、懐かしい教科書。」アイナの机上に並べられた教科書を、リュウイチは丁寧に撫でた。
「これでアイナも勉強するんだなあ。……わかんない所あったら、全部教えてあげるからね。」
「アイナちゃん、ばいばい。」隣に座っていたお下げ髪の女の子が、母親に手を引かれつつそう言って、アイナに手を振った。
「友達できたんだ!」
アイナは顔を赤くしながら、「ばいばい」と少々ぎこちなく手を振る。
「もう、アイナ友達できてんだ。」リュウジも繰り返す。
アイナは来た時と同じように、リュウイチとリュウジに手を引かれバスに乗って帰っていく。
--こうして小学校生活が始まった。
言葉少なではあったが、アイナには友人もでき、勉強も大きな遅れを来すことなく、順調に進んでいった。
親のないことで心ないことを言われるのではないかというリュウジの危惧も、どうやら杞憂に終わり、リュウイチが教室から飛び降りることなく日々は過ぎていった。
アイナは大好きなお花係に立候補していた。毎朝教室に置かれた花瓶の水を取り替え、その仕事ぶりを称えるべく、学期末には担任手作りの表彰状さえ持ち帰って来た。リュウジはそんなものは貰ったことがないものだから、物珍しそうにいつまでもアイナの賞状を見詰めていた。
それから幼い頃からリュウイチとリュウジが裏山を連れ回し続けていたせいか、体躯は小さいものの意外に体力はあり、体育はなかなか得意な方らしかった。それでアイナは運動会でも活躍を見せ、リレーでは上位何名だかに入ったとかで、ひまわり型のメダルを取って来た。
「アイナは、走るのめっちゃ早いんだな!」
運動会の晩、食堂で皆の前でリュウジにそう褒められると嬉しく、アイナは「ちょっとだけ」と照れたように答える。
リュウイチは運動より勉強の方が得意な性質であるから、「アイナが羨ましいよ。俺もあんなにみんなの前で早く走ってみたいな。」と言った。
「アイナは運動もよくできるし、それから学校でもね、お花係を毎日しっかりやってるって先生にも褒められてるのよ。」職員の溝渕がそう言ってアイナの頭を撫でた。
「アイナはお花好きだもんな。いいよな、俺には好きな係がないから、誰も褒めてくれないんだ。」リュウジがテーブルに肘をつきながら溜め息を吐く。
「そういう問題じゃないでしょう。」リュウジは頭を小突かれ、「いて!」と叫んだ。
「ちゃんとみんなのために、決められたことはやらなきゃダメなの。掃除当番サボって、校庭のタイヤ引っこ抜こうとするなんて何考えてるのよ、もう。」
「な、なな、何で知ってんの……?」
「先生から電話かかってきたわよ!」
リュウジは肩を顰めて、慌てて麦茶を飲み干す。
アイナはそれを見てクスクスと笑った。
そうこうしている内にリュウイチとリュウジは小学校を卒業し、そこと隣接する中学校に入学することとなった。