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そんなある日のことであった。近所(と言っても車で十五分はかかる)にある、小学校の体操服やらジャージやらを販売することで、どうにか成り立っていると思われる小さな服屋がいよいよ廃業することとなった。それ自体は珍しいとか意想外とかというよりも、来るべき日が来たとさえ思われるものであったが、そこで売り残った服を施設で利用してほしいということで、車三台分もの衣服が持ち込まれたのである。
子どもたちは喜んだ。もとより自分の好きな服なんぞ選べた例はないのであるから、そんな大量の服の中から自分の趣味とサイズに合ったものを選べるというのは、この上ない悦びであったのである。
早速リュウイチとリュウジはアイナを連れて、大量の衣服が山となっている食堂へと赴いた。すでにそこには数人の子どもたちがいて、おさがりではない、真新しい服に歓喜の声を上げながら、服の山を選り分けているのであった。
「うっわ、凄ぇー!」リュウジは思わず服の山に倒れ込んだ。「これ、何枚貰ってもいいのかよ?」
「どんどん、いくらでも持っていきなさい。あ、あんたらはこれからもっともっと背が伸びていくんだから、大きめのも選んでおきなさいよ。」服の山を運び入れて幾分疲弊した風の職員が笑いながら言う。
「よっしゃ! 俺はジャージ! 黒か青の、ジャージ!」リュウジはそう叫びながら目当ての服を早速探していく。
「アイナは何が欲しい?」
そうリュウイチは問いかけたものの、アイナは服の山とリュウジの喜びように圧倒され、人差し指をしゃぶったままびっくりしたように目を見開いていた。
「アイナが着られるような小さいのは、あるのかなあ。大人用のが多いかな。」
アイナは暫く茫然と立ち尽くしていたが、その時、次々に学校から帰って来た年かさの子どもたちがやって来て、この様子を見て騒ぎながら職員に手短な説明を受けると、歓喜の声を上げて自分の服を探し始めた。
「あんまオシャレなのはないなあ。そうだよね、益田屋だもんね。」女子高生のマイが軽口をたたく。
「ほら、そんな失礼なことを言うのならあげないよ。」職員に叱られ、マイは肩を潜めて服を一枚一枚広げていく。
「昭和レトロも最近は流行ってるからな。こんなのもいいかも。」と言って一枚の花柄のスカートを広げた。「ちょっと丈、長いか。」
咄嗟にアイナがそのスカートを引っ掴んだ。
「何、アイナ。」
アイナは口を引き結んで、スカートをもぎ取ろうとする。
「これは、私が先に見つけたの。……っていうか、あんたじゃ着られないでしょ。これ、大人用だよ? お・と・な・よ・う。」
「アイナの!」
職員がアイナを抱きかかえる。「アイナちゃんのはこっち。」
「いやー!」そんなアイナの金切り声を、誰もが初めて聞いた。
「いいよいいよ、そんな好きなら。こんなおばさん臭いの、どうせいらないし。」マイは驚いたように言って、スカートを放るとさっさと食堂を出ていく。
アイナは安堵したように花柄のスカートを抱き締め、そこに顔を埋めた。
「どうしたの? マイお姉ちゃんに上げればよかったのに。」
アイナは激しく首を横に振る。
「マイも言ってたけれど、これは大人用だからアイナには当分着られないよ?」
「やだ!」
「困った子ね。今まで我儘なんて、言ったことなかったのに……。」
「アイナ、アイナ、」リュウジがどこぞから見つけてきたのは、アイナによく合うサイズのオーバーオールだった。「これいいんじゃね。山歩く時なんかにさ。」
「あら、いいわね。」職員が一気に破顔する。
「はい、アイナにあげる。」
アイナは首を横に振った。あたかも振られたように感じたリュウジは、口を尖らせた。
「リュウジ、ありがとう。それ頂戴。後でアイナに貰っておくから。あなたも欲しいものあったらどんどん取ってきなさい。」職員に促され、リュウジは自分のジャージを探し始めた。
誰もどうしてアイナが大人用のスカートなんぞを欲したのかは、知る由も無かったけれど、一人リュウイチだけは、何か意味があるのだろうということだけ感じていた。それはアイナが施設に入る前のことと関係があるのかもしれない。もっと言えば、保護者や、アイナを可愛がってくれていた人と……。
そんなことを思うとリュウイチの胸はほっと温かくなった。自分には父母の思い出は、ない。しかも、職員の誰もその存在さえ言及せず、連絡もないとなると、死んでしまったのであろうと思っている。少なくとも、そう言われてもショックを受けずにいようと思っている。
アイナはどうなのだろう。もう二つなのだから、施設に来る前の状況を覚えている可能性も高い。しかしそれを言い出すのはさすがに憚れた。大抵ここに来ている以上は心に傷を負っている筈であるから。保護者が死んだり、保護者から捨てられたり――。
しかしある日呆気なくも、それか判明することになった。
いつものように、学校から帰ったリュウイチとリュウジがアイナを連れて、裏山へと遊びに出た時のことである。アイナにコケモモの実を食べさせ、それから白いチングルマの花を取ってやってる時に。おそらくリュウジは自分かリュウイチの名を言わせたく、問うたのであろう、否もしかすると、先だって木の上に咲いている木蓮の花を取ってやったものだから、自身の名が呼ばれるという自信があって尋ねたのかもしれない。
「アイナの一番好きな人は、誰。」
アイナはコケモモでべたべたになった手を、地面にすり付け余計に汚れてしまったのを不思議そうに見つめていたが、少し考え、「おばあちゃん」と答えた。
「おばあちゃん?」リュウジは頓狂な声で繰り返す。
「おばあちゃん。」アイナは今度は、にっこりと自信たっぷりに答える。
「おばあちゃんが、お花を好きだったの?」リュウイチが尋ね、アイナはこくりと頷いた。
「じゃあ、……二番目に好きなのは?」プライドが傷つけられたが、まだ諦めてはいないらしいリュウジが更に食いつく。
「ママ。」
「ママ!」リュウジは目を見開き、身を仰け反らせた。
「アイナには、おばあちゃんとママがいるんだ。いいね。」
アイナは再びこくりと頷く。
「おばあちゃん、お花のスカート履くの。」アイナは自慢げに言った。
「そっか。それでか。」リュウイチの脳裏には、益田屋の商品の中で、大人用でありながら花柄のスカートに固執していたアイナの姿が思い浮かんだ。
「おばあちゃんに、あげるの。」
「いいな、俺にはパパもママも、それからおじいちゃんもおばあちゃんも、誰もいないんだぜ。」リュウジが嫉妬にしてはあまりにも明るい声で言う。
「俺が元気すぎて、捨てられちまったのかもしんねえ。」
リュウイチはそれに対して慰めの言葉を持たなかった。
「そうそう。リュウジ、だからもう学校抜けだしたらダメだぞ。こないだだって先生たち、滅茶苦茶心配して、あっちこっち探してくれてたんだからな。」
リュウジは顔を顰め、おどけてみせた。
「あれは、プールんところにでっけえ鳥がいたから捕まえに行っただけだ! プールだし、学校内じゃん。」
「そういう問題じゃないだろう。」
「でも、マジででっかかったぜ。しかも真っ白で、すっげえ綺麗なの! あれ、渡り鳥だから放っといたらすーぐ、どっか行っちゃう奴だから、捕まえらんなかったけど見に行ってよかった。」
リュウイチは、はあ、と大きな溜息を吐く。アイナが心配そうにリュウイチの顔を覗き込んだ。その顔を見ると、リュウイチは思わずぷっと噴き出した。
アイナの祖母と母はどうしてアイナを手放してしまったのだろう。否、これだけ可愛い子なのだ。もしかしたら事故か何かで亡くなってしまって、ここに来たのかもしれない。リュウイチはそんなことを思った。