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リュウジは応接間へと向かった。右手にはアイナがしがみ付き、左にはリュウイチがいた。
応接間にはガラス戸に狩りが灯っていた。
リュウジは歩みを緩めることもなく、そのままの足取りで戸の前まで来ると二つノックをして、戸を開けた。そこには出る前と変わらぬままの社長と店主、女将と施設長がいた。緊張が走る。
「ああ、ちょうど君らのことを話していたところだったんだ。……さっき話したリュウイチと、アイナです。リュウジの兄妹分ですよ。」
そう村田に紹介を受け、リュウイチとアイナは三人の来客を順繰りに見詰めた。
「初めまして。あなたたちがいつもリュウジに手紙をくれる、リュウイチ君とアイナちゃんなのね。ずっと、どんな子かなって思ってて、会いたいと思ってたのよ。」女将が身を乗り出して言った。
アイナは幾分緊張して、リュウジの背に隠れた。
「いつもお世話んなってる、女将さんだ。挨拶しな。」
アイナは視線を下げ、「こんにちは。」と小声で囁いた。
「こんにちは。」
「リュウジから話は聞いていますよ。」店主も朗らかな笑みを向けた。「お花好きの可愛いお嬢さんと、賢くて医者を目指しているリュウイチ君。ああ、話に聞いていた通りだ。」
「初めまして。篠崎隆一です。いつも、リュウジがお世話になってます。」リュウイチはそう言って深々と頭を下げた。
「おお、たしかにしっかり者だ。」
店主の言葉に大人たちは笑みを溢す。
「私は東京のM、という所で定食屋をやってる、吉村、です。リュウジ君にはいつも助けて貰っていてね。」
「そんな……。」リュウジはそう言って黙した。
社長が意を決したように頭を上げ、躊躇いがちにリュウイチを、アイナを見た。
「私は、……リュウジ君のバンドの事務所をやっています。菅野です。」
リュウイチとアイナの息が停まった、かに見えた。
「……リュウジのパパですか。」アイナが恨めし気に言った。
明らかな沈黙が生じた。
「……血筋上ではそうなります。でも私には堂々とそう言ってのける権利は、ないと思っています。」
「どうして。」女将の言葉には悲痛な響きが帯びていた。
「……リュウジ君を育てられなかった。育てられるはずだった、家族を壊してしまった。妻を殺してしまった。」社長はそう言って項垂れた。
「そんなこと、……。」再び苦々し気に口を開いたのは女将であった。「私らには子どもはいません。欲しかったけれど二度も流産して、子どもは産めないってお医者さんから言われて。……もう、子どもと歩む幸せな人生は望めないんだって、そう思って目の前が真っ暗になった。だけど、この人が、自分らの子は望めなくても、世の中には親のない子や親と暮らせない子もあるんだから、そういう子を育てるのはできるんじゃないかって言って、色々調べてくれて。それでね、こっちの村田さんと何度か面会をして頂いて、そしてここから子どもを引き取らせて頂いて。次々に四人も、子どもと一緒に生活さして貰って、本当に私は毎日幸せだった。そして四人目の子を自立さして、子供がいなくなったがらんとなった家を見たら、未練がましくも寂しくなっちまってねえ。お客さんは毎日来てくれるから、仕事してれば気は紛れるけれど、やっぱり子どもっていうのは格別ですよ。子供がなくなって、何となくがっかり気落ちしちまった、そんな時に、今度は村田さんの方から連絡を貰ったんですよ。中学は出てるから養育というのじゃあなくって、店の手伝いと部屋を貸してやって欲しいって言われて。そんなこともあるのかって思ってたら、リュウジが来てくれて。それでやっぱり毎日楽しくて楽しくて、リュウジは本当にいい子だったからねえ。でも、それは全部が全部、リュウジやそれ以外のお子さんを、産んでくれた本当の親御さんがいるからだって思いは忘れたことないですよ。最近は虐待、みたいなことする馬鹿な親もいるけど、それは、本当に腹立たしいし哀しいし、とてつもなく苦しくもなりますけれど、それだってこの子を産んでくれたってことについては、感謝してもしきれない。私はそう思ってきました。」
女将の腿の上に丁寧に並べられた拳は、細かく震えていた。
「だから、社長さんが父親だって言えない、そんな権利はないっていうのは、私からしてみたら、いらぬ遠慮ってものですよ。リュウジはいい子です。それは私が保証します。リュウジは、人の事をああだこうだ恨むようなチンケな気持は持ち合わせていません。気持ちの整理がつくのには時間がかかるかもしれないですけど、リュウジは社長さんのことをとても好いているし、私らにもすぐ本当の親みたいに心を開いてくれて、仕事だって頑張るし、だからお客さんにだって人気なんですよ。常連さんなんてね、リュウジがいないとつまんねえなあなんて言うんですから。そういう子なんですよ、リュウジは。」
リュウジは顔が熱くなるのを感じ、おそらくは人目にもそれとはっきりとわかる程紅潮しているであろう顔を少しでも画すべく、俯いた。
「そうですよ。」言葉を継いだのは、隣のリュウイチである。「リュウジはまあ、やんちゃですし好き勝手ばっかりやらかして、ここにいた時は職員さんも学校の先生も困らせてばっかりでしたけど、誰かを傷つけたりってことは一度もしたことありません。それだけは、本当に、誓って。……親のいる子に嫉妬したり、恨んだり、そんなことも一つもないし、アイナとか他にも小さい子なんかが夜、寂しくて泣いていたりすると慰めてやるんです。時にはギター弾いたりもして。そういうのが断然得意でした。俺は、リュウジがギターで食べていきたいなんて言わなければ、学校とか、こういう所で働いたら一番子供の気持ちがわかるんじゃないかって思ってたぐらいなんです。実際俺だってリュウジがいなかったら、ここでどんな風に暮らしてたんだろう、想像もつかない。リュウジがいたから、俺は毎日ここでの生活を寂しい、厭だなんて思うことなく過ごせたんだ。リュウジがいると自然と場が明るくなるんです。学校で厭なこととか辛いことがあっても、施設帰って来てリュウジといると忘れちゃうっていうか、不思議とどうでもいいことに見えてくるんだ。」
再び沈黙が訪れた。それを破ったのは、社長であった。
「親が無くても、子は育つ、か。」
「親はいますよ。」女将が言った。「親がいなけりゃ、この子がこの世に誕生することはなかった。それから育ての親だっていっぱいいます。だって、ここの職員さんたちは、みんな子どもの親代わりですから。私らだって、気持ちだけはね、親の気持ちです。」
「いやいや、リュウジはなかなか骨が折れましたよ。」施設長が小さく噴き出した。「リュウジぐらい学校の先生に呼び出された子は後にも先にもいませんよ。」
リュウイチも噴き出す。
「そうそう。リュウジの親がお父さん、お母さんだけだったら大変でしたよ。何せ毎日何かしらやらかして先生たちを困らせるんだから。」
リュウジは顔を赤くして何かを言い出そうとしたが、しかしいずれも真実であり弁明の余地もないのである。
「……私もリュウジの親にさせて貰えるよう、努力させて貰えませんか。」
「大変ですよ。」施設長が意地悪く囁いた。「でも、親は多い方が力強い。吉村さんご夫婦に、社長さんが加わってくれれば百人馬力だ。リュウジもちゃんとした大人になれるかもしれない。」
「もう! ……もう、俺はちゃんと働いてもいるし、勉強もちっとはやってるし、人を困らせたりはしてねえんですってば!」遂にリュウジが反論した。
「そうですよ。」女将がにこにこと頷く。「リュウジはいい子です。私らの自慢の子です。」
リュウジは困惑顔のまま噴き出した。




