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「今、答え出さないといけないのか……?」リュウイチは顔を顰めて尋ねた。
リュウジは力なく首を振る。それが「答えを出すタイミングがわからない」なのか、「答えは今出さなくてもいい」なのかは計りかねた。
「だって、お前だって社長が父親だってつい最近知ったんだろう? そんなの、……すぐに答えを出す方が無理だ。」
リュウイチは解っていた。施設に入っている子どもたちが、どんな親であれ、面会や外泊のできるのを心から楽しみにしていることを。それが皆無であったこの三人が、どれほど惨めで孤独な思いを抱いていたかを。それは必然的に、親への両極的な思いを募らせていくこととなる。――すなわち、愛情と憎悪。会いたいと思う気持ちが強くなればなる程に、会ってくれない親への恨みが膨れ上がる。その両極の間で、自分たちは疲弊し、諦め、自分の気持ちを整理しつつ生きてきたのだ。
でもそれは、決してマイナスのことばかりではなかった。愛されなかった者への深い同情心を培えたのだから。三人は心から労わり合った。最も傍若無人だと思われていたリュウジだって、本当は誰よりも優しい気質を兼ね備えていることをリュウイチは知っていた。そんなリュウジが、以前はともかく人を恨んだりする人間であるはずがないではない。父親と会えたことは、辛いことばかりではないはずだ。
「リュウジ、パパと会えて、嬉しい?」
アイナが尋ねる。そこには少なからず羨望が入り混じっていた。
リュウジは遠い目をした。
「……わからない。わからないんだ。自分の気持ちが、わからない。存在さえ知らなかったのに、急にそんなこと、言われても……。」
「親の存在なんて、微塵もなかったからな。」リュウイチが溜め息混じりに呟く。
「アイナにはいるよ。」
リュウイチとリュウジは驚いてアイナを見つめた。アイナはいつもと変わらぬ、平然とした顔で言った。
「アイナには、ママがいる。」
「マ、ママ?」リュウイチはそんなことを今まで一度も聞いたことがなかったので、そう繰り返すだけが精一杯であった。
「おばあちゃんもいる。」
「……そ、そうだったんか。」リュウジは思わず自分の苦悩も忘れ、目を丸くした。
「アイナには、ママとおばあちゃんがいる。」
アイナは再びきっぱりと言い放った。リュウイチとリュウジは口を噤んだ。だとしたらなぜ、施設に入居して一度も会いに来ないのか、そしてその問いは必ず、残酷な答えを伴う。
「おばあちゃんは、お花の葉っぱをむしってたら倒れちゃったの。ママは、パンとジュースをよく買ってくれたの。でも、怖いことの方が多かった。……おばあちゃんは、アイナちゃんって呼んでくれた。アイナが一番かわいいって。まいんち、……いっしょにお花の世話してた。」
アイナは突然唇を震わせたかと思うと、ああ、と聞いたことのない低い唸り声を上げ、大粒の涙を溢した。リュウイチが慰める間もなく、突如声を上げて泣き始めた。
「おばあちゃん、おばあちゃん、おばあちゃん!」
「アイナ、落ち着け。」リュウイチがアイナの両肩を持つ。
「おばあちゃんは倒れちゃった! そんだからママの所に行った! でも、でも、本当はおばあちゃんと一緒が良かった! おばあちゃんはかわいいって言ってくれるから! あったかいご飯まいんちくれるから! 頭撫でてもくれる! 一緒のお布団で寝てもくれる! なのに、なのに、おばあちゃんはいなくなっちゃった! どこに行ったの? 何で置いてくの?」
悲鳴を帯びた叫びに、リュウジは息苦しさを覚える。アイナの祖母はアイナの目の前でおそらくは、急死したのだ。それをアイナもおそらくはわかっている。でも、受け入れたくなくて、もがいている。唯一自分を愛してくれる人を目の前で亡くすことが、どれ程の苦しみを与えるかは想像し難かった。
「そうだったのか。」リュウイチが溜め息交じりに言った。「辛かったな。」
アイナは両目を手で覆って、肩を震わせた。おそらくは今まで口にすることもできなかったのである。それを、現実だと認識したくないあまりに。
「おばあちゃんは長いお花のスカート履いてて、かわいくって、お庭もお花がいっぱい咲いてて。おばあちゃんがお花もかわいがって、全部かわいかったの。全部。全部。」
「それで、アイナも花が好きだったんだ。」リュウジはそう言って、アイナの震える背を撫でた。
アイナはゆっくりと目元から手を降ろし、疲れたような素振りでリュウジを見つめた。
「リュウジのパパも、リュウジが可愛いって言うよ。きっと、言うよ。だって、そうだもん。」
「たしかに、……リュウジの曲を、いいって言ってくれた人なんだよな。それってリュウジをいい子だって言ってくれるのと同じじゃないのか。」
「曲ってどんなの?」
「あの時、……ライブでやったのは、俺がバイト中火傷してさ、これ、昔もやったことあんなって思って。切り離された記憶っていうか、隠蔽された記憶っていうか、記憶にも裏切られてた自分のことっていうか、そんな感じの曲。」
「きっと父親はリュウジの痛みに、気付いたんだ。血で繋がってるから、ピンと来たんだ。」
リュウジは視線を泳がせる。
「俺にも、そんな人がいるのかな。」リュウイチの言葉に再びアイナの双眸から涙が零れ落ちた。




