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UNITED  作者: maria
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 とんでもない聞き違いをしたのかと思った。少なくともその声が発された瞬間、リュウジには理解のできない音、としてのみ耳朶に響いた。暫く経ちどうにかその意味を解して、しかし悪い冗談だと笑い飛ばそうとして、社長のよく見れば無精鬚の伸びた、そして幾分こけた頬を見れば自ずとそれもできなくなった。

 リュウジは、混乱する頭を抱えたままただただ茫然と、次の社長の言葉を待つ他になかった。やがて社長は震える唇で、時折項垂れながら訥々と語り始めた。


 ……そうです。まずは妻との出会いから話さなくてはなりません。私は、今から二十年前、大学を卒業して二年度、ある女性と恋愛結婚をしました。彼女は大学時代に知り合い、恋愛は順調でしたが、結婚の際に少々揉めました。というのも、私の母親が結婚に強く反対していたからです。

 思えば彼女の母親が、彼女がまだ小さい頃不幸な事故に巻き込まれ、亡くなっており、父親の手で育てられたことを、よく思っていなかったことが発端だったと思います。更に、私は同じ大学でも四大の方でしたが、彼女は短大部の方で、それも気に入らない一つの要因でした。それから、彼女の穏やかで物静かな性格も、何もかも母とは合わなかったのです。

 しかし私は彼女以外の女性と結婚することなど、到底考えられませんでしたので、母親の反対を圧してどうにか結婚に漕ぎ付けました。結婚に反対していた母も、入籍をしたと告げると、「では結婚式はあげろ」と言ってきました。

 ……でも賛成をしてくれた訳ではないのです。誰を呼べ、かれを呼べ、ドレスはこれにしろ、食事のメニューは、式次第は、テーブルのセッティングは、と、私はもう何も言ってくれるなと何度拒絶したかわかりません。でも母の意向ばかりを反映させる結果になり、彼女……、その時は妻、ですね、妻は窮屈な思いをしていたようですが、それでも最初が肝心だからと母親の意見に従順にしておりました。

 結婚というものは、特に成人した者同士であれば、独立した個人同士であるのだから、親なんぞの介入する余地はないとは思っていたのですが、母親は執拗に我々にかかわってきました。何としても菅野の家を継続させなければならない、という思いであったようです。

 その頃私は妻とマンションで新婚生活を始めていましたが、そこにも度々姿を現しては妻に嫌がらせをしておりました。私が仕事に出ている間、嫁としての行儀作法を教える、料理を教える、家事を教えるといった名目で、度々マンションに押しかけたり、妻を頻繁に実家に呼び寄せ、嫌がらせをしたりしていたようです。そんなことには応じなくてもいいのだから、と言って聞かせても、あなたの母親だからと妻は何とか、そんな母親とさえも理解し合いたいと努力をしてくれていました。

 そのような中、結婚一年目を迎えたある日、念願であった子供を授かることができました。高校時代から続けていたバンドも一時中断し、妻も私も心から喜び合い、私は一層仕事に専念し、家に帰れば少しでも妻を楽にしようと不器用ながらも家事や料理を行いました。私が作ったまるでスープのような失敗作のカレーを、妻はそれでも美味しいと言って食べてくれたこともありました。

 私は幸せの絶頂でした。妻もさすがに自分の体を労わるのが先決と、母の呼び出しにも応じなくなっていました。電話による嫌がらせも、幸せの陰に隠れていきました。

 そうして妻は無事に、健康な男の子を出産しました。私は元気な産声を聞き、涙が止まりませんでした。出産後、初めて妻と子どもに対面し、ただただありがとうとそれしか言葉が出ませんでした。妻は今まで見たことのないくらい美しく、子どもはそんな妻によく似ていました。私は妻の体を抱き締め、何度もありがとうと繰り返しました。

 子供の名は、妻の父親の「竜三」と、私の名前の「司」から取って「竜司」と名付けました。男の子が産まれたら私の名を、女の子が生まれたら妻の名を、と二人で決めていたのです。

 竜司は風邪一つ引かず、お乳をよく飲み、元気に育っていきました。私は仕事帰りにおもちゃだ、衣服だと何かしら子どもに買って帰るのが常で、そんな私を子煩悩だと妻は笑いました。このまま子供が大きくなり、次に子供が生まれても生まれなくても、家族で楽しく幸せな時間を過ごしていくのだと私は信じて疑いませんでした。

 そんなある日のことです。竜司がちょうど十ヶ月を迎えるようになり、ハイハイを始め、家の中をあちこち動き回るようになりました。私たち夫婦は、毎日のようにその様を写真に納め、映像に録り喜び合いました。しかし、私が仕事に出た直後のことです。妻がほんの少し目を離した隙に、竜司がリビングのテーブルの下に潜り込み、テーブルの上で沸かして置いたポットを溢してしまったのです。ポットはその真下にいた竜司の背を焼きました。異常な泣き声に慌てて振り向くと、妻はすぐに服を剥ぎ、風呂場で水を被せ救急車を呼び、そして病院へと向かいました。その車中、妻から職場に電話があり、私も急いで病院へと駆け付けました。

 命にかかわるものではなかったものの、火傷は重傷で、生涯残るであろうと医師から宣告されました。妻は泣き崩れました。自分のせいで、竜司の命を危険にさらしてしまったと、私が何と言っても自分を責め続けたのです。最悪なことに、救急車がやってきたことを近所の人が母親に伝えてしまいました。母親はすぐに病院にやって来て、悲嘆に暮れている妻を散々に責め立てました。孫を殺そうとした、菅野の家を断絶させようとした、とそれは物凄い勢いで責めたてるので、私は初めて母に手を挙げました。母は信じられないとでも言ったような顔をしていましたが、すぐに退散していきました。私はそれを見て、もっと早くにこうすればよかったとさえ思いました。私にはどうしても妻と子が大切でした。彼等こそが私の家族でした。

 しかし母親は、それで妻を責め立てることを諦めた訳ではなかったのです。一週間程、竜司の治療のために私は仕事を休み、妻を休ませました。妻は精神不安定であり、自殺をほのめかすようなことさえ口にするようになったため、心療内科に通院させ、そこで貰って来た安定剤を服用させ、休ませる必要があったのです。そのお蔭で妻はどうにか眠れるようになり、竜司の世話も出来るようになりました。私は安心して仕事に行き始めました。

 しかし私が留守にしていた間です。母親がマンションにやって来て、再び妻を責め立てました。妻は遂に、壊れてしまいました。

 一週間もしたある日、いつものように竜司に新しいおもちゃを買って帰って来ると、家はもぬけの殻となっておりました。テーブルの上には離婚届と、妻の手で「今までありがとうございました。竜司と共に出ていきます。再婚して幸せな家庭を築いて下さい。」とありました。母が無理矢理書かせたのに相違ないと直感し、私は即座に実家に戻り母を糾弾しました。

 母は、「孫を殺そうとした危険な女に、いつまでも菅野の名を名乗らせてはいられない」と言い、そして断固として妻の行き先を明かしませんでした。今思えば、もしかしたら本当に知らなかったのかもしれません。私は妻を探しました。でも、妻には実家もめぼしい友人もなく、すぐに行き詰ってしまいました。私は大学時代の友人に協力を求めましたが、見つかりません。

 私は日々孤独と悲しみと、それから無力感と憤怒に翻弄され続けました。正直なことを言えば、母に何と言われても、私を頼って欲しかった。でもそれに足らぬと思われてしまったのは、私の力不足です。母を制し切れない私を許して貰えないのであれば、ただどこかで無事に生きていてくれれば。私は二人の無事を祈るしかできませんでした。

 離婚届は母が勝手に出したようですが、それさえもどうでもよいと思ってしまいました。傍に妻子がいないのであれば、紙切れ一枚で繋がっていようが繋がっていまいが、関係ないと思いました。ただ、私は母親とは一切、口を利かなくなりました。というよりも、認識ができないのです。何を言っているのだかわからないことさえ、多々ありました。仕事はできるのです。ただ母の声だけが、何やら認識できないのです。母は私を精神病院に連れていこうとしたり、はたまた見合いのつもりでもあるのか、見知らぬ若い女性を連れて来たこともありましたが、私は一切無反応を貫きました。三年もすると母は諦めました。泣いて詫びているようなこともありましたが、それでも私の心は一切動きません。

 そんなある日のことでした。これまでのいきさつをよく知っている大学時代の、一緒にバンドをやっていたこともある親友の一人が、知合いの営んでいるという興信所を紹介してくれました。どうやらこれを使えば、妻の行き先がわかるかもしれないというのです。私は最後の希望を掛けて依頼しました。

 興信所の解答は十日後に来ました。私はその答えを聞かなければよかったと思いました。見当違いとはわかっていても、興信所もそれを紹介してくれた友人も、いなかったらよかったのにと思わざるを得ませんでした。話を聞きながらただただ、体が震えてなりませんでした。私は後悔と絶望との渦に埋もれ苦しくてなりませんでした。

 妻は、何と、亡くなっていたのです――。

 見知らぬ土地で、車に挽かれたとのことでした。それも事故だか自殺だかわからないような状況で。見通しの良い国道なんです。そこに竜司を抱いたまま、飛び出したと。おそらく心中をしようとしたのではないでしょうか。全てに絶望して。……それでも警察からは事故として扱われ、事故の翌日には地方の新聞に小さく掲載されたというのです。私もその新聞のコピーを見せて貰いました。たしかに新聞記事には妻の名が事故の被害者として記されていました。たった数行で、誰へ当てられたものだかもわからない程寂しく新聞に載っていたのです。私は震える手で、新聞を揉みくちゃにしました。でも同席していた興信所の探偵も友人も、誰も私を止めませんでした。私がやがて、大泣きしたままその場に倒れ込むまで、誰も止めませんでした。

 「お気の毒様です。」興信所の男は深々と頭を下げました。自分と変わらぬ年の男です。こんな見も知らぬやつに何がわかるのだ、私は理由のしれない怒りで更に震えました。男は相変わらず深く頭を下げ続けています。私は思わず、それが自分の成すべきであった、妻に対する謝罪だと錯覚しました。

 「ただ、……息子さんは生きておられます。」

 男はそう言って切なげに眉を顰めたまま、私の顔を見つめました。

 私ははっとなって男の顔を見上げました。

 「どこに?」

 「A県の児童養護施設です。」

 私は口をぽっかりと開けたまま、暫く固まっていました。

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