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それからはアイナの部屋には花が絶えることなくリュウジによって飾られた。山にはいつも何かの花が咲いていたのである。
「アイナは、あんな小さいのに女の子らしいな。」リュウジはいつものように、リュウイチと山から帰ってくる途中、リンドウの花を握り締めながら言った。
「でも、どうして花が好きなんだろう。」
「花好きなのに理由なんかあるかよ。蜂だって鳥だってどいつも花が好きだっつって突っついてるじゃん。」
「そう、だけどさ。」リュウイチは一人、もしかするとアイナが施設に来る前、何らかの花を愛する、愛さなくてはならない要因となる経験があったのではないかと一人訝った。
「もしかすると、アイナが育った家では、たくさん花が咲いていたとか……。」
「家が、……恋しいのかな。」
たしかにアイナに見てわかるような大きな怪我はなかった。となると、保護者から暴力を受けたというよりも、単に捨てられたか、それとも子供を育てられない環境になったか、育てるべき人が亡くなってしまったか、そういう考え方の方がしっくりくる。
だとすれば親や家に対する恐怖心よりも、恋しさの方が勝っていても何らおかしくはない。顔が腫れあがって、腕が折れていても親を恋い慕う子供がたくさんいるのを、リュウイチもリュウジも間近で見ていた。彼らには親の記憶がない分、それがどういうことに起因する感情であるのかはさっぱりわからなかったが。
ともかく、物静かで、でもその割には興味津々とでも言ったように、何でもかんでも不思議そうに見つめているアイナは、施設では年少の部類に入る彼らにとって庇護欲を掻き立てられる初めての存在であった。施設の規則で、犬猫を飼うことは禁じられている。一度野良犬を拾ってきて甚く叱られた経験のあるリュウジには、初めてのペットができたような感覚をさえ抱いていた。それにアイナは見た目も可愛いし、拙いながらも話もできる。二人は競うようにアイナの面倒を看ることに固執した。
リュウイチとリュウジは同じ部屋で、朝一緒に起きると、そのまま食堂に行く前にアイナの部屋にやってくる。そして職員に着替えさせられているアイナの頬を突っついたり、不器用そうに髪をとかしてやったりも、する。そしてアイナの手を引っ張って食堂にやって来て、まずアイナに小さな子用のご飯を用意してやり、ぼろぼろ溢しながら食べるのを拭いてやったり、飽きてそっぽを向き出すと、「食べないと大きくなれないぞ」と一介のような口を利いたりし、ひと通りアイナの食事を終えさせると、今度は自分たちの朝食を食べるのだった。
その後は、リュウイチとリュウジは施設の前から出るバスに乗って、小学校へと行く。アイナは職員に抱かれて、二人が登校するのを門の前で見送るのが常である。
「いったっしゃい。」
たどたどしくそうアイナが言うと、リュウイチとリュウジはいつものことだのに、争うようにバスの中から手を振る。その後アイナも日中は専門の施設へ行って言葉を習ったり、カウンセリングを受けたりして昼ご飯は幼稚園に通う他の子供たちと一緒に食べる。それからは人形で遊んだり、絵を描いて遊んだりをしながら夕方には戻ってくる二人の帰りを待つ。他の子供たちもいるにはいるのだが、アイナはやはり何かにつけて構ってくれるリュウイチとリュウジにとりわけ懐いた。
リュウイチもリュウジも、バスで小学校に出発するや否や、アイナのことが恋しくなってくる。
「俺らが学校行ってる間、アイナは遊んでるだけだぞ。いいよな。」とリュウジがぼやく。
「それがアイナの仕事なんだよ。」リュウイチは淡々と答える。
「俺も遊ぶ仕事に就きてえ。アイナと一緒に遊ぶ仕事!」
「そんな仕事あるかよ。」
「何だよお前、今あるっていったじゃん!」
「違うよ、そういう意味じゃない。……まったくリュウジは。」
と、面倒くさそうに言い放つと、リュウイチは今日のテストの掛け算九九の表を見て勉強を始める。リュウジは詰まらなさそうに山道の風景を見詰める。
しかし帰り際にはそんな諍いをしたことなぞ、すっかり忘れて二人して出迎えたアイナをはしゃいで交互に抱き上げ、ランドセルを放り出すと三人して山へと出かける。山にはアケビだのイチイだの、花以外にも食べられる実がたくさん生っていて、リュウイチにとってもリュウジにとってもそこはこの上なく楽しい遊び場であった。リュウイチとリュウジは交互にアイナを背負って、山を登り、太い蔦にぶら下がって遊んだり、木登りをして遊んだりした。それに付かれると木の実を取って食べ、施設の明かりが点き出すと慌てて山を下り夕飯を食べた。
そんな日常を送る内に、アイナの頬には肉が付き、それから体付きもしっかりしてきた。遅まきながら少しずつ言葉も出るようになったし、リュウイチとリュウジの裏山での少々乱暴な所のある遊びにも乗じることはできないにせよ、なんとか後ろに付いて回れるようになった。
リュウジはお気に入りのガマズミの実などを度々アイナにくれてやったが、アイナはそれよりもやはり花が好きで、珍しい花をしゃがんでじっと見たり、また摘んで帰ってきたりするのだった。
それを見るたびにリュウイチは心密かに、アイナのこれまで育った環境を思わずにはいられなかった。きっとそこには幸福な花がたくさん咲いていたのではないだろうか。そのような暮らしが突如絶たれてしまったことで、アイナはショックを受け言葉を発せなくなってしまったのかもしれない。そう思えば一層アイナを守ってやらなければならないと、決意がより確固たるものへとなっていくのであった。




