26
ちょうど昼を回ったばかりのリハ開始一時間前に到着すると、ライブハウスは既に多くのバンドマンたちでひしめき合っていた。さすがにリュウジにとっても何度もライブをこなしてきただけあって、見たことのある顔が多い。次々と見知った顔に簡単に挨拶をしながら楽屋に入ると、早速ギターを取り出し準備を始めた。そこにアレン、キョウヘイ、ヨシが入って来る。
「いよう。」と真っ先に声を掛けてきたアレンの顔は、しかし明らかに強張っていた。
「……どした? 緊張してんのか?」リュウジが恐る恐る尋ねると、
「あのな、あのな、……実はな、今朝方レコード会社から声掛けられる夢、見た。」
ヨシとキョウヘイは既に聴いているのか、すぐさま苦笑いを浮かべる。
「おお、良かったじゃん。正夢になるといいな。」
強張った顔のままアレンは急にリュウジの前に至近距離で座り込むと、「あのな、俺昔っから正夢見る体質なんだよ。母ちゃんもばあちゃんも、そうなの。そんで、兄貴や姉貴はそういうのなくって、俺だけがその、変なオカルト体質受け継いでんだよ。」と稀代の秘め事でも告白するような真剣さで言った。
リュウジはきょとんとアレンの顔を見詰める。
「じゃあ、ますます良かったじゃん。」
「そ、そう、だけど、……失敗できねえじゃねえか。」
「お前、失敗するつもりだったんか。」
「んな訳ねえだろ!」
「俺は別にレコード会社が来ようが来まいが、ライブは失敗したくねえ。できねえ。だって、お客さんも付き合いで来てるバンドマンも、金払って時間削って来てくれてる訳だからさ。」リュウジはそう言い放つとギターのチューニングを始めた。
「たしかに、そうだな。」アレンは何故だか至極納得したような顔になり、「俺が間違ってた。」勝手に反省をし、傍に会ったパイプ椅子に座り込んだ。
「俺は、リュウジの欲の無さを学ばなきゃなんねえな。俺がリュウジに惹かれる理由はそこにあんのかもしんねえ……。」何やらアレンはぶつぶつと呟いている。
「何言ってんだよ、俺だって欲ぐれえあらあ。」
「ねえよ。」
「あるって。」
「じゃあ、何だよ。」
「……ううん、そうだな。今日は親父さんと女将さんが来るからな。特にミスらねえようにしてえ。」
「マジで? 親父さん女将さん来るの?」ヨシが頓狂な声を上げた。「挨拶しとこう。いつも旨いカツありがとうございますって。」
「とか言ってまた差し入れして貰おうとしてんだろう?」キョウヘイに突っ込まれ、慌てて
「違ぇよ! 俺、リュウジに持ってきて貰ってから、あの旨さに惚れこんじまって店何回も通うはめになちまってるかんな!」と答える。
「まいど。」リュウジはそう言って、再びチューニングの続きを始めた。
「ちなみにな。うちの親父とおふくろも、よし屋は旨ぇっつって休日なんか二人してデートがてらよく行ってら。」アレンが言う。
「へえ、お前んち、フランス料理フルコース、とかしか食わねえのかと思った。」ヨシが意外そうに言った。
「まあ、大体はそうだな。」
嫌味が嫌味にならず、ヨシは思わず顔を顰める。しかしアレンには今更ながら金持ちであることを鼻に掛けるような思いはさらさらないのである。ただ、事実を述べただけだと言ってよい。ヨシはそれを知っているからこそ、余計に詰まらなく思った。
「フランス料理かあ。食ったことねえなあ。」リュウジが首を傾げて言った。
「おお、いつでも食いに来いよ。シェフが作ってくれっから。」
「ま、いいよ。よし屋の飯が俺的には一番だし。」
「そういう所が欲がねえっていうんだよ。」アレンの発言にさすがのヨシも頷いた。
さすが集客数の多いイベントだけあって、リハスタートと同時にバンドは次々に楽屋に入って来てはステージに出てリハをこなしていった。
リュウジらはリハの進行を見ながら、自分たちの出番を待っていた。
正直、テクニック的な意味で巧いバンドは幾つもあった。リュウジが注目してしまう、というよりも注目せざるを得ないのはやはりギターであるが、自分よりも優れたテクニックを有しているギタリストは幾人もいたし、その度に尊崇の念を覚えるのであったが、しかし曲にかけては自惚れめいた思いが沸々と沸き起こって来るのを抑えられなかった。
――自分の曲の持つ深み、のようなものに匹敵するバンドはない。彼らの提示する曲における全ての絶望はポーズであり、全ての憤怒は仮初である。全ては曲のために想像された代物に過ぎない。もしかすると彼らは必然に駆られて曲を作っているのではなく、作らねばならぬから作っているのではないかという気さえ起こした。
それはアレンも同様だったようである。いよいよ次がリハの順番ということになり、ステージ袖で待機していると、「やっぱ、リュウジの曲が最強だよな。」と呟いたのである。
同じことを感じていたのかと驚いてリュウジがアレンを振り返ると、アレンは厳しい眼差しでステージを見据えつつ、「やっぱ、俺らの武器は曲だよ。俺はそう確信してる。」と繰り返した。
リュウジが何とも答え得ずに、しかし照れ隠しに口を尖らせていると、
「せっかくお前と出会えたんだ、俺はこのチャンスを絶対物にしてみせる。」アレンは確信めいた言葉を口にした。
「物って?」
「俺はやっぱりバンドで成功したい。」
リュウジが何も答え得ずにいると、
「お前がそういう意識で曲を作ってる訳じゃねえってことは十分に承知している。でも俺はやっぱり、親父や兄貴、姉貴らに認めて貰いてえし、もっと世間にも認められてえって思ってる。」
リュウジは暫く考え込み、
「……俺は、……正直好きなことができりゃそれでいいかなって思ってるだけだけど、アレンに付いてこうとは思ってるよ。」と呟いた。
アレンは一瞬驚いたようにリュウジを見詰め、それから一気に破顔したかと思うと、リュウジを羽交い絞めにした。
「うわ! 何すんだよ! お前!」
「あっははははははー!」アレンは狂ったのではないかとばかりに哄笑した。
「もう出番だぞ! おい、ちょっと、やめろって!」
アレンはしかしヘッドロックまで固めてくる。
「やっぱお前最高だよ! 俺が見つけた中で一番のダイヤだ!」
そうして前のバンドのリハが終わった。Day of Salvationが彼等と交代にステージに上がり、そして準備を整えていく。リュウジはこうしてこれからどれぐらいのリハとライブを重ねていくのだろうと不意に思った。これはその無数に繰り返されるうちのたった一回に過ぎないのだ。しかしそれは同じことの繰り返しではない。一回一回自分は得るべきものを得、そして成長していくのだ。アレンを引き連れて、ヨシとキョウヘイを引き連れて――。
ステージから見える風景はいつもよりも広く、そして高かった。静寂に包まれたそこが今夜はどのように沸騰するのかを想像すると、リュウジの頬はほんの少し弛んだ。
準備を終えたキョウヘイがドラムの音を出していく。続いてベース、そしてリュウイチのギター、そしてアレン。これらが一つになると、あっという間にそこに世界は現じた。リュウジはそれが不思議でならない。幻惑、というのではないのだろうが音を出すと、曲を合わせると、一気に目の前に世界が広がるように思われる。そしてライブになればそこに観客たちが加わり、世界は一層拡大していく。それぞれの思いが世界を創り出すのだ。
Day of Salvationは数曲メインとなる部分だけを合わせていき、モニターの音量のチェックをし終わった。PAが全てにOKを出すと、ステージ袖でスタンバイしていた次のバンドが交代でステージにやって来る。
リュウジたちは楽屋で楽器を片付けると、近くのラーメン屋に少し遅めの昼食を摂りに行った。広い店内には他のバンドのメンバーたちもいて、互いに目配せをしながら微笑み合った。
「メタラーって何でラーメン好きなんだろうな。」アレンは氷水を呷ると、そうぼそりと呟く。
「ああ、そうだよな。しかも家系。」ヨシは肯きつつ言った。「あいつらのSNS、機材かラーメンのことしか言ってねえもんな。」
「でもアレンはモデルやってんだから、あんまこういうのはダメなんじゃねえの。デブるだろ。」キョウヘイが尋ねる。
「撮影前は食わねえよ、さすがに。」
「へえ。アレンもそういうとこあんだ。」リュウジが言う。
「そういうとこってどういうとこだよ。本業じゃあなくたって金貰ってんだから、それなりの責任はあるだろが。」
「アレンの本業って?」
「デスメタルボーカリストだ。たりめえだろ。今更言わせんな。」アレンはそう言って満足げに笑った。しかしデスメタルなんぞで成功するより、ハーフで容姿に恵まれている以上、モデルの方が余程社会的に成功する可能性は高いのではないかとリュウジは思ったが、それで突如翻意されても困るのでそれは今度機会があれば聞いてみようと思った。
するとそこにタイミングよく味噌ラーメンが出される。
「今日はいいのか。」
「今日はライブのためのエネルギー補給が最優先だかんな。」
リュウジの前にタンメンが出される。湯気に顔をくゆらせながらリュウジはその匂いを嗅いで、幸福感に酔いしれると割り箸を割った。




