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リュウジはバイトをする以外には、部屋でギターを弾いたり、高校から送られてきた課題に勤しんだり、それから都会の街並みをただ歩いてみる、というので日を送っていた。今頃はリュウイチやアイナは何をしているだろうと思いに耽ることもあったが、それよりも新たな生活に次第に興味の中心は奪われて行った。
そもそも自分が上京をしてきたのはバンドを組むためである。しかしどこでどう働きかければバンドができるのかも、リュウジには皆目わからなかった。そしてとりあえず、先日プレゼントを買いに行ったデパートに入っていた楽器屋に通うことにした。そこに行けばとりあえず楽器を趣味にしている人がいるはずであったし、また、メンバー募集のチラシなんぞも所狭しと貼ってあったので、それをチェックしに行くのであった。
ある日のこと、リュウジが弦だのピックを見ているとギターコーナーの奥から、ギターの音が聞こえてきた。ちら、と見遣ると長い金髪の男が熱心にギターを弾いていた。
問題はその風貌やらテクニックよりも、ギターが本でしか見たことのない超貴重なヴィンテージ品であったことである。
リュウジははっと息を呑んで暫くその様を見詰めていた。男は若かった。おそらくは二十代前半であろう。なぜこの若さでこんなに高級なギターを弾けるのであろう。羨望というよりも好奇心で、リュウジはただただその金髪の青年を見詰めていた。
男の後には数本の特別なギターが飾られるガラスのキャビネットがあって、その真ん中がぽっかりと空いていた。おそらく男の弾いているギターはあそこに鎮座していたのであろう。そして、その下に貼られていた値札にリュウジは驚愕した。
--200万円。
暫くすると男が視線に気づいて、リュウジを見上げた。男は何とも人好きのする笑みを浮かべ、手招きをした。リュウジは一瞬振り返ったがここにいるのは自分しかいない。一応自分を指差して首を傾げると、そうだと言わんばかりに男は二度も三度も肯いた。
「弾いてみる?」
そう言われ、リュウジは慌てて首を横に振った。200万もするそんな楽器は、とてもではないが触れられない。自慢ではないが、自分のギターは0円だ。ゴミ捨て場で拾ったものだ。
「ああ、そう。でも、……いい音だよねえ。」
男はそううっとりと言うと、再びギターを爪弾き始めた。髪は背までの金髪。明らかにメタラーの風貌であるが、リュウジはギターに惹かれ、ほとんど目の前まで近づいていた。
「……これ、いつのすか?」
「60年代のモンで、超レア物。ここには一本だけ入って来たみたい。」
「ふうん。」
「……弾いてみたら?」
再度誘われリュウジは一瞬考え込んだものの、こういう機会はまたとあるまいと思い、手の汗を腰で拭い一つ肯くとギターを借りた。手が否応なしに震えたが、そのまま男の座っていた椅子を借り、リュウジはちょうど思いついたJudas PriestのPainkillerを弾き出すと、男はその選曲とテクニックに絶句した。
「おいおいおい、マジで?」何がマジなのかは言った本人も知れないが、とにかく男はそう言った。
リュウジはせっかく弾き始めた所なのに、と訝しく思いつつも指を止める。
「ええ? もっと弾いてよ。そうだな。次は『The Ripper』。」男は次々と曲をリクエストし、リュウジに弾かせた。おそらくは男は常連客なのであろう、店員も試奏を制することはおろか、何も言わなかった。リュウジは調子に乗って五曲も六曲も弾いた。弾き終えると、
「ねえ、君。何かバンドやってるの?」と男は尋ねた。
「やってない。東京出てきたばっかりだし。」
「マジで!」どうやらこの「マジ」というのが彼の口癖らしい。「じゃあ、今日から俺と組もう。な、いいだろ。」
「いいけど、……バイトもあるんだ。」
「じゃあ、スタジオ代は俺が持つよ。」
「え? ……そういう意味じゃあなくって。……バイト先、定食屋と居酒屋を兼ねた店だから、土日は結構お客さんが来るんだ。」
「じゃあ、平日夜に練習入れるようにしよう。土日はもしライブとか入るようになったら、前もって言えば、休めないか?」
リュウジは頭をフルに回転させ、おそらくはあの店主と女将であれば、日頃しっかり働けば文句を言わず休みをくれるであろうと思い至る。むしろ、女将なんぞは「もし恋人が出来て、土曜日日曜日にデートなんてことになったら、いつでも休むって言ってくれていいからね。うちだって元は二人でやってたんだし。まあ、あんたがいてくれた方がお客さんも主人も喜ぶけど、とにかくそういう時は遠慮しないで言うんだよ。」とやけに物わかりのいいことを言ってくれていたのである。
「……多分、大丈夫だと思う。」
「やった!」男は飛び上がった。「俺はボーカル。ギターボーカルをやろうと思ってたけど、君がいるんなら俺は手を引こう。だからこれを買うのもやめた。」
この、200万もするヴィンテージギターを買おうと思っていたのか、とリュウジは目を丸くする。
「俺はアレン。君は?」
「リュウジ。」
「クールな名前だな。」
いつもリュウイチと過ごしていた時には言われたことのない言葉だった。リュウジは肩をそばだてて、「バンドって、他にいるの?」と話題を反らした。
「ああ。いるいる。ライブハウスで仲良くなった人、それからここの店長に紹介して貰った人。」
「へえ。じゃ、もう曲とか色々あるの?」
「あるけど、リュウジが作ってきてもいい。一からやり直す。今まではどっちかっつうと、……まあ、適当だったんだ。俺が高校生だったし、私立だったからさ、校則がやたら厳しくて。辞めたかったんだけど、親はそれだけは許さねえってうるさいし。」
「ふうん。」ということは、男は年上なのかとリュウジは合点した。
「でも今年ようやく卒業したからさ、今はバンド一本だ。俺らがやってんのはまあ、正統派ヘヴィメタルっつうカテゴリーになんのかなあ、Day of Salvationっていうんだ。」
「へえ、どんな意味。」
「救済の日。聴いた人が救われるような楽曲を作りてえなって思ってさ。まあ、そんなの作れはしないんだけど。」
「アレンが曲作ってんの?」
「まあ、たまにはメンバーにどうしよっかって相談して作ることもあっけど、ほとんどは俺だな。……リュウジは曲作ったりはしてるの?」
「少しだけど。」
「じゃあ、今度持って来いよ。平日の夜、スタジオ押さえとくからさ。」
「俺はいいけど、他のみんなは? ……バイトとかしてないの?」
「一応してる。ベースは古着屋でやってて、ドラムは喫茶店。俺はモデル。」
「へえ、モデル。」リュウジは目を丸くする。たしかにアレンは色白で彫りが深く、背も高かった。
「俺、日仏のハーフなんだよね、だからこういう顔しているとぼちぼち需要があるんだ。」
「そうなのか。……もしかしてアレンって、本名なの?」
「そうだよ。アレン・西條だ。」
リュウジよりもはるかにクールじゃないかと、リュウジは一瞬騙されたような気になった。
それからアレンは連絡先を交換しよう、とりあえず次の練習日程連絡しなきゃいけないからな、と強引にスマホを取り出させ、「嗚呼、今日ここに来たことは運命だ。あのヴィンテージギターが出会わせてくれたのに違いない。ん? としたらやっぱ買うしかねえな。よし、買おう。」と、ギターをその場で買ってしまった。
「もし宝の持ち腐れんなったらさ、リュウジにやるから。」
「い、いいいい、いいいよ。」リュウイチは後ずさりしながら言った。
「じゃ、もしさっきみたく弾いて見たくなったら俺んち来てくれよ。こっからすぐ近くだから。リュウジんちはどこ?」
「俺も、すぐ近く。」
「そうなんだ。じゃあ、いつも使ってるスタジオもこの駅から徒歩五分圏内だから、バッチリだな。よろしく、リュウジ。」
そう言って機嫌よく金髪を翻しながら帰って行った。
連絡、は半信半疑ぐらいだったが、その晩早速アレンからはリュウジにスタジオに入る予定日を確認する内容と、彼らの曲がデータで送られてきた。スタジオ入る時までにコピーしといて。と言っても好きにアレンジしていいから、という一文を書き添えて。