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UNITED  作者: maria
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 リュウジはその翌週に施設長と共に電車に乗って、初めての東京に降り立った。

 そこは都心、というには程遠い閑静な住宅地の一角ではあったけれど、リュウジにとってはまるで非現実な場所に見えた。家々が立ち並び、道に絶えず人が行き交う風景は、テレビの中でしか見たことがなかったのである。リュウジは暫く口が利けなかった。

 それでも施設長に促され、駅から十分も歩くと、吉村夫婦の店はあった。

 「よし屋」という古風な暖簾のかかった、小さな飯屋であった。

 「準備中」の古びた札が掛けられていたが、施設長は構わずノックをし、「こんにちは」とがらりと戸を開けた。

 そこには箒を手にした白い三角巾を着けた女将と、厨房で同じく雑巾片手に掃除に励む店主の姿があった。二人は施設長とリュウジを見るなり満面の笑みを浮かべ「まあ、いらっしゃい」、「遠い所ようこそ」と口々に述べ、準備中の店の一角に座らせ、茶と菓子を出し、施設長との十年ぶりの再会を喜び合った。

 ちっとも変わらないねえ、否、白髪が増えた、そんなことを頻りに言い合った後、店主と女将はリュウジをじっと見詰め、君がリュウジ君か、話は聞いているよ、と言った。

 リュウイチはがたりと音を立てて立ち上がり、「北沢龍一です。本当にこの度はありがとうございます。お世話になります。」と大声で捲し立てると、深々と頭を下げた。

 まあまあ、そう固くならずに、と女将に座らせられ、元気そうな子だ。これならお客さんにもすぐ可愛がって貰えるだろう、うちのお客さんはいい人ばかりだから。そんなことを言った。

 それから、一人暮らしをしたかろうけれど――、店主はリュウジを温かく見詰めながら語った。東京でアパートを借りるのには、頭金だ敷金礼金だとなかなかお金がかかる。そのお金を貯められたら保証人には私がなるから、それまではうちの二階で暮らしたらいい。今までも子供たちが暮らしてきた所なんだ。飯はこの商売だ、きっちり三食出すし、その方が東京での暮らしにも早くなじめるだろう。そんなことを笑みを浮かべながら言ってくれた。リュウジは何度も頭を下げて、この僥倖をどうして受け入れていいものだか苦しいぐらいであった。


 それから夫妻はリュウジのために開けたという二階の部屋を案内してくれた。何もない部屋だけどね、もし必要なものがあれば持って来るなり、こっちで新しく買うなりしたらいいよ、女将はそう言って襖を開けた。

 そこには何もないどころではない。机とベッド、更にはTVとCDプレイヤーまでご丁寧に用意してあった。ずっと里子たちが使っていたもので悪いけれど、そんなことを女将は笑いながら言ったが、今まで施設の一室をリュウイチと二人で使っていたことに鑑みれば、上等にも過ぎる上等さであった。リュウジは暫く口が利けなかった。

 店主も仕事は上京してから覚えてくれればよいと言いつつ、丹念に手入れのされた厨房を見せてくれ、まずは皿洗いと掃除ぐらいかな、開店時間は昼と夜に分けているから、昼飯を食うタイミングがズレちまうけど、まあ、直に慣れると思うよ、もし腹が減ってどうしようもないならおむすびでも何でも、作ってあげるから。そんなことを説明した。

 リュウジは気付けば何度も頭を下げ、頑張ります、精一杯働きます、そう口にせざるを得なかった。夫妻にも施設長にも、それから溝渕にも、心から額づきたい想いでいっぱいであった。

 この幸運を、決して蔑ろにしてはならない。自らの努力でもって、生かしていかねばならない、いつしかそんな決意さえ芽生えていった。

 そしてリュウイチにも、――どうかリュウイチの夢が叶うように。リュウイチの努力が実を結ぶように。二人で幸福な春を迎えられるように。そう、心から念じた。


 リュウジの祈りは、容易く叶えられた。

 というのも、リュウイチは志望校に首席で合格を果たしたのである。それが知れたのも、合格発表の直後、高校の教師から中学に、ぜひともリュウイチに入学式での新入生代表の辞を述べてほしいと依頼があったため、それと知れたのである。

 それでリュウイチは一足先に高校に通うこととなり、原稿のチェックやら朗読の方法やらを教えられていた。また、中学の教師からの直々の依頼があったとかで、高校の教師も、早速入学前だと言うのに塾へ通えぬリュウイチのために、課題を既に十分に用意しており、リュウイチの勉学の指導に当たっていた。リュウイチも医学部に進学するという夢のため、毎日必死になってその課題に取り組んでいた。

 リュウジはリュウジで相変わらずギターの練習に励んでいたせいで、あまりリュウイチと二人きりになって話をするような時間もなかった。しかしそれが改めて別れ、であることを意識せずにいられるのでリュウジの救いになっていることも確かであった。

 リュウジは自ら上京する、という決意を固めたものの、それでリュウイチやアイナと縁が切れてしまうことを望んでいた訳では無論、ない。むしろリュウイチやアイナがここにい続けてくれることで、自分の還るべきところがあるというような、安心感に似た気持ちがあった。それは言うならば故郷、――親もなく家もないリュウジにとってこの施設がまさに故郷であった。

 そんなリュウジにとっても、アイナに自らの状況を説明をするのは苦慮した。

 しかしいつまでも黙っている訳にはいかない。

 

 ある日のこと、学校から帰って来たアイナを、意を決して講堂に連れて行った。

「四月から、ここを出て東京で暮らす」。そう伝えると、アイナは不審げな顔をしながらも、うん、と肯いた。

 その反応に呆気ないような、つまらないような気もしたが、面と向かって反対されなくて良かったという安堵もあった。しかし実際の所、アイナにはリュウジが上京するという事態がよく呑み込めていない、ということがわかってきた。

 講堂で夜分リュウジのギターを聴きながら、突然寂し気に「東京って遠いの?」「アイナのこと忘れちゃうの?」「帰ってこないの?」などと問うことがあった。

 そのたびにリュウジは「東京は近いし、アイナのことは忘れないし、帰ってもくる。」と言ったのであるが、アイナはやはり寂しそうであったし、遂にはあまり笑わなくさえなってしまった。

 溝渕も心配らしく度々説得をしているようであるが、あまり効果はないように思われた。

 

 どうにかアイナの笑顔を引き出したく、リュウジは昔のように裏山から花を取ってきてやったりもした。その時は無論喜ぶものの、しかし暫く経つと、また、「リュウジは何で東京行くの? リュウイチはここにいるのに。どうしてリュウジだけ東京行くの?」と繰り返す。「ギタリストになるため」そう言うものの、いつも講堂で弾いてるじゃない、それじゃダメなの、どうして東京でギターを弾かなきゃいけないの、変なの、などと言う。リュウジはどうしたものかと考え込んだ。

 「俺たちは、いつまでもここにはいられないんだよ。働くにせよ何にせよ、高校を出たら、ここは出なくちゃならない。」

 遂にはそんな突き放したような言葉になり、アイナを泣かせたりもした。

 頭を掻きながらリュウジは、アイナの部屋に赴き真向かいになって必死に言葉を継いだ。

 「リュウイチもあと三年しかここにはいられないし、アイナだってあと十年もしたらここを出ていくことになる。お花屋さんになるために。」

 アイナは不承不承肯いた。

 「俺は、でもギリギリまでここに居座って、高校に行ってもあんま意味がないと思うんだ。リュウイチみてえに頭いい訳じゃないし。だったら限りある人生、好きなことに費やしたい。……アイナは俺の得意なこと、何だと思う?」

 「ギターじょうず。」

 「そうだ。だから、ギターをもっともっとうまくなるために、東京に行くんだ。」

 「講堂でだって上手んなった。」

 「そうだ。一人でも講堂ででも上手になれる。でも、ギターっつう楽器は一人で弾く場合もあるけど、歌の人と、ドラム、……ドラムって太鼓な、の人と、それからベースっつって、ギターよりももちっと低い音を出す楽器の人と、そういう人たちとやると、滅茶苦茶かっこいい音になるんだよ。だから、俺はそういう形でギターをもっともっと巧くなりてえの。」

 疑い深い目でアイナはリュウジを睨む。

 「それでな、そういう仲間はここにはいない。そうだろ? 山しかねえんだから。でも東京に行けば、そういう楽器をやってる人が大勢いるんだ。その中で気の合う人と、趣味の合う人とバンド、……つうんだけどな、バンドを組みてえんだ。そしていつかライブやって、CDも作って……。」

 「そう、したいの?」

 「うん。したい。……俺の夢なんだよ。それを叶えるために、リュウイチよりもちっと早く俺はここを出ることにした。リュウイチのこともアイナのことも、大好きだ。本当はお前らと離れたくないけど、でも遠くに行ったからって言って、別にリュウイチやアイナのことを忘れちまう訳じゃない。ちゃんと電話もするし、手紙も書く。何なら、バイトすれば金が稼げるから、アイナに誕生日プレゼント送ってやるよ。何か欲しいものある?」

 アイナは目を伏せて小さく首を横に振った。

 「そっか……。急に言われてもわかんねえよな。ま、東京には色々なモノがあっから、思いついたら教えてくれよ。」

 その時アイナの唇がプルプルと震え出したのを、リュウジは不思議そうにじっと見た。

 「ずっと、ずっとリュウイチとリュウジがいると思った。」

 次第に紅潮してきた頬に、大粒の涙がぽろりと落ちた。リュウジは少なからず慌てた。

 「でもリュウジがばんど、ばんどしたいんなら、アイナは……。」

 リュウジはそっとアイナの頬を人差し指で拭ってやった。

 「リュウジ、頑張って。東京で、頑張って。」

 リュウジは微笑み、そしてアイナの頭を撫でた。その瞬間、堪えてきた嗚咽が一気にアイナの喉奥から溢れ出した。

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