潮風香る夕暮れの街
旧市街に集まっていた魔物の群れを全て浄化する事に成功した俺達は、ティアとユキに依頼をしてきたモンスタースレイヤー協会にその事を報告した。
そして翌日。
俺達は夜明けと共に4ヶ月間を過ごした街をあとにし、別の街へと向かい始めた。言ってみればこれは、修行の場所を変える様なものだ。
モンスタースレイヤーはあらゆる場所、あらゆる場面で適切な戦いができないといけない。故に街の責任者と契約をしている、常駐型のモンスタースレイヤー以外の弟子を持つモンスタースレイヤーは、基本的に同じ街に半年と留まらないのが普通だ。
「次に行く街は海に一番近い街だって聞いたけど、海ってどんな感じなんだろうな?」
「私は一度だけ海を見た事があるけど、とても広くてとても塩辛い水がある場所よ」
「ええっ!? お水が塩辛いの? どうしてどうして?」
「私もそこまで詳しくは知らないけど、海について書かれた文献によれば、海には大量の塩が溶け込んでいるらしいわ」
「へえー、大量の塩がねえ。何でなんだろう? 不思議だよな」
「うんうん。見るのが楽しみだね。お兄ちゃん」
「そうだな」
「2人共、私達は遊びに行くわけじゃないのよ? あくまでも目的はエリオスの修行の為だって事を忘れない様に」
「「はーい」」
生真面目なユキの言葉に2人同時に返事をする。
確かにユキの言ってる事は尤もだけど、少しくらいは楽しみがあってもいいと思う。ティアだって絶対に隙を見て遊ぼうと思っているはずだから。
それに俺とティアは一度も海を見た事がない。となれば、せっかくの海を見ないという選択肢は無いだろう。未知なるものを知る事も、モンスタースレイヤーになる上で必要な事だと思うから。
そんなまだ見ぬ海への期待を膨らませつつ、俺は歩を進める。
こうして目的の街へと向かいながら襲いかかって来る数多くのモンスターと戦い続け、そろそろ陽が傾きかけた頃、俺達はようやく目的だった海に一番近い街へと辿り着いた。
「ここが海に一番近い街か……前に居た場所と違って街を囲む壁が高くて厚いな」
「うん。それに、風に乗ってちょっと変な匂いがしてくるね。お兄ちゃん」
「それが海の匂いよ」
「えっ? 海ってこんなに変な匂いがするの?」
「正確に言えば、海に溶け込んでいる塩と生息する生物の匂いかしらね」
「へえー。なんだか不思議」
「そうだな。今までに嗅いだ事もない匂いだしな。でも、何でか分からないけど、どこか懐かしい感じもするんだよな」
「あっ、それ分かるかも。私もそんな感じがしてたから」
「「不思議だなー」」
ティアと顔を見合わせてそんな事を話していると、思わず同時にそんな言葉が出た。
「私もその感覚は分かるけど、今はとりあえず街に入って宿を取るわよ。明日からの準備もしておきたいから」
「そうだね。それじゃあ行くか」
「うん!」
俺達が高く厚い壁に囲まれた街門を抜けると、その中では前の街と同じ様に沢山の人達がそれぞれの生活を送っていた。
そして俺がそんな光景にほんの数秒ほど目を奪われていると、ちょうど正面に位置する場所に居た、俺よりもやや年上に見える茶色の腰まで伸びるロングヘアーをした若い女性が、にこっと微笑みながらこちらへと近付いて来た。
「こんにちは! お兄さん達は旅人ですか?」
「あ、はい。まあ、そんなものです」
「この街は初めて?」
「はい。たった今着いたばかりなんですよ」
「そう! それならちょうど良かったわ。良かったら私達が経営する宿屋に泊まってくれないかしら? 高級な宿屋みたいなおもてなしは無理だけど、料理の腕には自信があるから」
「なるほど……て事だけど、どうする?」
「私はちゃんと休めるベッドとシャワーがあるなら構わないわ」
「もちろんシャワーはあるし、部屋にもそれなりにふかふかのベッドを用意してるわよ?」
「そう。それなら私は大丈夫よ」
「それじゃあ、ティアはどうだい?」
「…………」
ユキの承諾を得た俺は続いてティアの意見を聞いてみようと声をかけたが、ティアはそんな俺の言葉には答えず、なぜかじっと声をかけて来たお姉さんを凝視していた。
「どうしたの? ティア?」
「……お姉さん、もしかしてお兄ちゃんを狙って声をかけて来たんですか?」
「えっ?」
唐突なティアの質問に、声をかけて来たお姉さんは唖然とした表情を浮かべた。いつもの事ながら、ティアの他の女性に対する警戒心は半端じゃないほど強い。
「ティ、ティア! そんな事を言ったら失礼だろ!?」
「ううん。これはちゃんと確かめておかなきゃいけない重要な事だよ」
「いや、でもさ……」
「どうなんですか? お姉さん?」
「ふふっ。そうね、確かにカッコイイ人だとは思うけど、私には勿体ないわ。だから、私があなたのお兄さんを取るなんて事は無いから安心して」
「本当に?」
「うん。本当だよ」
「だったら私も大丈夫だよ。お兄ちゃん」
「そ、そっか。分かったよ。それじゃあ、3人でしばらくお世話になる事にします」
「ありがとう、助かるわ。それじゃあ、さっそく宿へ案内をするから、可愛らしい妹さん達と一緒に付いて来てね」
「はい」
どうやらこのお姉さんは、俺達の事を兄妹だと思ってしまったみたいだ。まあ、ティアが俺の事をお兄ちゃんと言っていたんだから、ユキも含めてそう思われてしまうのは仕方がないだろう。
そして俺達を宿屋へと案内する際に、このお姉さんは簡単にだが自己紹介とこの街の事について話しをしてくれた。
「――へえー。それじゃあ、シャルロッテさんの家は代々この街で宿屋を営んでいるんですね」
「うん。遠いご先祖様は宿屋だけじゃなくて、海に出て魚を獲ってたりしながら生計を立ててたらしいんだけど、今は海で魚を獲る事も難しいからね」
海には川とは違った魚などが沢山居ると聞いた事があるけど、なぜそれが獲れないのか少し疑問だった俺は、それをシャルロッテさんに聞いてみた。するとその理由は、当然の様にモンスターが関連していた。
ここは多くの人に知られている様に、海に一番近い街だが、それでも海は街に張り巡らされた第三結界の遥か外にある。
つまりはモンスターの生息範囲に海があるわけだ。となれば、その海に出掛けて魚を獲るなんて事が容易にできるわけがない。
このエオスにモンスターが出現する様になってからずっと、この世界はモンスターの脅威と影響に晒されている。それはどんな些細な事であってもだ。
世界にモンスターが突如として出現した理由は未だに解明されていないけど、いつかその謎が明かされた時にこのエオスは真の平和と平穏を取り戻すのかもしれない。
そんな事を思いながらシャルロッテさんのあとに付いて行くと、街の中心にほど近い場所にある、わりと大きな三階建ての建物の前で立ち止まった。
そしてシャルロッテさんはその建物の出入口である木製の両開きドアを開くとその真ん中へと移動し、こちらを向いてからその両手を大きく横へと開いた。
「私達の宿へようこそ! 精一杯のおもてなしをさせてもらうからねっ!」
「はい。よろしくお願いします」
「うんうん。それじゃあ、まずはあっちで宿帳に名前を書いてもらうね?」
「分かりました。では、僕が代表で名前を書きます」
「うん。いいよ」
そう言うとシャルロッテさんは宿帳が置いてある場所へと俺を案内し、そこで色褪せた宿帳を取り出してから俺に名前を書かせた。
「なるほど、君はエリオスって名前なんだね。うん、ありがとう。それじゃあ、泊まってもらう部屋に案内するね」
シャルロッテさんはとても明るくそう言うと上へ続く階段へと向かい、そのまま最上階である三階の一番奥の部屋まで俺達を案内してくれた。
「さあ! ここがエリオス君達に泊まってもらうお部屋だよ」
部屋の扉を開けてそう言うと、シャルロッテさんはそのまま部屋の中に入って窓を開け放ち始めた。そんなシャルロッテさんの手によって開け放たれる窓から、微かに海の匂いが入り込んで来る。
海に一番近い街とはいえ、その海もそれなりに離れているはず。それにもかかわらずこの様にして匂いを感じさせるのだから、実際に海を目の前にするとどんな匂いがするのかとても興味が湧く。
「それじゃあ、私は晩御飯の用意をするから、ゆっくりとくつろいでね」
変わる事のない明るい声音でそう言うと、シャルロッテさんはそのまま部屋を出て行った。
そして俺はシャルロッテさんが開いた窓の一つへと近付き、そこから外を眺めた。窓から見える街並みは夕暮れ時でも活気があり、街中を行き交う人達の数も多い。
そんな活気ある街であるが故に、俺は少し気になっていた事があった。それは、この宿に俺達以外の宿泊客が居ない事だ。
なぜこの宿屋に俺達以外のお客が居ないと分かるのかと言えば、それはさっき、俺が名前を書いた宿帳に俺以外の名前が書かれていなかったからだ。
窓から見える位置にある別の宿屋と思われる場所では、定期的に人が出入りをしていて活気がある様に見える。出入りをするお客の装いを見る限りでは旅人だろうと思うけど、この宿にはそんな活気が一切見られない。そこにはやはり違和感を覚える。
「ねえ、お兄ちゃん。晩御飯ができる前に少し街を探検しない?」
「いいね。散歩がてら街の中を歩いてみよっか。ユキも一緒に行こうよ」
「そうね。明日からの修行の準備もあるし、この街に何があるのかを把握しておく方がいいわね」
「うん。それじゃあ、荷物を置いたら行こう」
少し引っかかる事はあるけど、俺達はまだこの街へ来たばかりで知らない事が多い。しばらくは色々な意味で様子を見てみるべきだろう。
こうして俺達が訪れた新たな街での修行暮らしは始まった。




